第3話 パチリバタバタズリズリボトン

「すみません、伊勢崎さん。申しわけないんですが、そのまましばらくお待ちいただけますか」


 花蜜映写ネクタグラムの映像に話しかけると、彼女は困ったように微笑みながらもうなずいてくれる。


「とりあえず、急ぎの案件すませます」


 伊勢崎さんに伝えながら、自分の掌葉パームリーフを胸ポケットから取り出し、刺さっている飛翔花フラフラワーを抜く。そのまま軽く目の前に投げると、パチリと指を鳴らした。


 スナップ1回の短縮コールで、オレの前に春日部さんの映像が浮かび上がった。デスクに頬杖をついた彼は、そのままゆるく笑うと、いつものようにひらひらと手を振ってくる。


『……や。なんか、トラブっちゃったみたいだねー』


「はい。たった今、場内緊急速報投げました」


『見た見たー。じゃぁ、とりあえず、現状把握してね。対応は任せるけど、何か困ったら連絡すること。……あ、報告は全部終わってからでいいからね?』


 最後の一言に、ぐぐぐっと眉が寄る。

 こっちがバタバタしてるのに、この人は全く動く気がないらしい。ある意味一貫しているとでも言えばいいのか。


「……はい」


『じゃ、そういうことで。よろしくねー』


 薄い笑みを残して、春日部さんの姿はあっさりと消えた。


「……ちぇ。やっぱ丸投げかー」


 などと文句を言いつつも、悔しいと思ってしまうのは、そのいつもと変わらない様子に、肩の力が抜けたのを感じたせいだろう。


 春日部さんとの短い花蜜伝話ネクタフォンを終えて、オレは掌葉パームリーフをポケットに突っ込む。そして、ちらりと通話中の伊勢崎さんの方を見た。

 すると、伊勢崎さんは何か別の作業をしているみたいで、視線がこちらを向いていない。真面目な顔でときどき横を向いては、誰かと話をしている様子だった。


「越谷さん、全システムの停止を確認しました」


 そこへ、草加から報告が入る。


「おう。状況はどんなだ?」


 問いかけると、草加は作業服の肩を軽くすくめた。黒縁丸めがねの奥の目がどこか冷めた風に見えるのは、オレと違って頭脳派なコイツに対する思い込みだろうか。


「良くないですね。とりあえず、関連システムあわせて全停止しましたけど、詰まっているのは一か所じゃないみたいです。さっき谷塚が戻ってきたんですが、そのままプールに行かせました。……そろそろ連絡くるんじゃないですかね」


「やっぱりなー。原因究明もだけど、とりあえず、通常回復ってとこか」


「そうですね。まず、確実に詰まっているのが手前プールです。通常サイズより大きくなってますから、これを移動しないと。……あとは順にさかのぼって、詰まり始めがどこになるのか確認ですか」


「核抜きから核入れまで、1つずつプール見てサイズチェックだな。まいったー」


 オレは上を見上げると、かぶっていた帽子をくしゃりと握り潰した。


『越谷さん越谷さん、栄養剤です』


 そこへ、伊勢崎さんの声が聞こえて振り返る。彼女が慌てた風にオレに話しかけていた。


『とりあえず栄養剤を取り外してください。詰まり始めが分かったなら、そこから後の。無理なら、全部。洗い流してから別プールに移動しないといけないです。そのままじゃ、成長しすぎてプールからあふれちゃいます』


「そっか……! 栄養剤供給システム自体は停止しているハズなんだが……草加!!」


「供給システムは停止してます。洗い流しまではしてませんね。これから排水・洗浄開始します」

「小菅さん、排水口を全オープンにしてくれる? あと、各プールの仕切りも全オープンでお願い。梅島さん、プールへの流水シャワー開けて、あと最大水量に設定してください」


 デキる男草加は、いつも淡々と通常モードだ。

 そのまま自分の作業をしつつ、同時に次々女性事務員達に指示を出し始めた。

 その様子を横目で見つつ、オレは通話中の伊勢崎さんに向き直る。


「悪い、伊勢崎さん、お待たせしました。あと、もし他にも何か思いついたことがあれば、言ってもらえるとありがたいんですが」


『あ、はい、そうですね……。では、ちょっと資料を確認してみます』


 伊勢崎さんは視線を少しずらすと、軽やかに指を動かし始める。

 本気で助かる。向こう異世界風に言うと、足を向けて寝られないってヤツだ。


「越谷さん……谷塚からなんですが」


 草加の呼びかけに再度振り向くと、プール備え付けの緊急伝話かららしく、荒い画像の谷塚が両手を大きく振りながら飛び跳ねていた。


「お前、なにを遊んで……」


『こ、しがやさ……ダ、メで……す! プールからあふれ……!! うわっと!』


 オレの声にかぶせるように、伝話ごしに谷塚の悲鳴が響いた。

 飛び跳ねながら、何かを避けるように体をくねらせる谷塚の姿は、言っちゃ悪いが、面白かった。

 飛び跳ねる谷塚の足元をよく見ると、人間の頭ほどの大きさのスライムが床の半分ほどを埋めるように、ズリズリとうごめいていた。そしてその様子を見ている間にも、上の方からボトンと音を立ててまた一つ落ちてくる。


「おー。よく育ったもんだな……」


 思わず、オレは現実逃避気味につぶやいていた。奇妙なダンスを踊りながら、谷塚が泣きそうな顔をこっちへとむける。


『越谷さん! 俺の靴、穴あいたんすけど!!』


「場内は安全靴にはきかえるのがルールだろう? 支給の靴、どうした」


『じ……事務所、ですっ!』


「……作業服着ててよかったなぁ。さすがに私服は活毛繊維ウールファイバーじゃないだろ?」


 うちの工場で支給されている作業服と安全靴は、生きているもの以外はなんでも食べるスライム対策がされている。つまり、生きている繊維とも言われる羊毛ウールからヒントを得て開発された活毛繊維ウールファイバー製だ。


「まあ、うちのスライムは人体には無害だから。……ちょっと裸足はだしになるだけだな」


『越谷さん、ひど……あ゛ーーー!』


 画面から谷塚の姿が消えた。いや、画面外に移動しただけだな。


「転んだみたいですね」


「スライム踏んだんだろ」


「……バカですね」


 草加は冷たかった。

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