288.you stay in my mind

 次の日、リディアは生気のない顔で看守に願い出た。「お祖母様の家に行きたい」と兄に伝えてくれと。


 そして食事に手をつけなかった。

 半日、返答はなかった。


 だからもう一度、昼に来た看守に告げた。「覚悟を決めるために、身を捧げたお祖母様の気持ちを感じたい」と。


 食事が来るたびに言い続け、それには手を付けない。


 ――晩年祖母が過ごした家、生涯を終えた家。


 跡取りを残すという義務を終え、夫であった祖父が第二、第三の妻を迎え入れたことで、誰からも顧みられなくなったからと、一族との関係から抜け出た祖母。


 祖父も、息子である父も、わずかながらも魔法が使え、国外の魔法学校を出たという変わり者の祖母を敬遠していた。


 祖母は誰も寄せ付けず、ただ一人で何を考えて日々を終えたのだろう。


(お祖母様の家に行ってみたい)


 ただ一人、自分と同じように魔法学校をでて同じように疎外感を感じていた女性ひと


 このネックレスをくれた人の暮らしていた痕跡を見たい。


 ――兄は、ハンガーストライキなどが通用する相手ではない。食事を取らないのも、いざという時に体力の温存ができなくなる愚かな方法だ。


 でも――彼らが母体となるリディアを器として必要とするのであれば。

 そして、リディアにネックレスを返してくれた男がいるのであれば、なんとかしてくれるのではないか。


 とても薄い望みだ。


***


 ――だが次の日、リディアはいつもの倍の魔力抑制剤を打たれ、魔力を吸収する魔法具である拘束具を両腕につけられて、さらに目隠しをされて、外に連れ出された。


 同行するのは、兄に遣わされた二名の護衛兵という名の監視役。

 シルビスの首都から南東に四十キロ離れたその場所は、喧騒から解き放たれた、穏やかな森に囲まれた館だった。


 父を産み役目をはたしたあと、彼女はこの館に移り住み余生を送った。父は息子として何か思うところがあったのか、祖母の生家であったここを買い取り、与えたと聞いている。


 今は管理人だけが住まうこの館だが、森には泉があり穏やかな風が吹き、その自然の優しさにリディアは泣きたくなる。


 滞在する予定はないから、侍女などは同行していない。管理人夫婦も遠ざけたのだろう。




 館に着き中に入ったところで、兵の一人である黒髪の男に目隠しと拘束具を外された。


 その彼の親指に見えたのは、師団の認識番号だった。魔法加工がされており、第一師団の者にしか見えない。


 彼の番号の上には“カーシュ”と名前が書かれていた。


 識別票は名前と番号をタリスマンやプレートに彫るもの、浮かばせるもの、身体に埋め込むものなど各自様々だ。それは死体や傷病者として運ばれてきた際の唯一の身元証明になる。


 灰色髪の男の名はわからないが、兄の配下だと思ったほうがいいだろう。


 リディアはカーシュを無視し、玄関ホールで天井を見上げた。吹き抜けとなった高い天井。緩いカーブを描く螺旋階段は左右から伸びていて、正面中央で合流している。


 その大きな窓から差し込む光が自分を照らす。まるで自分を歓迎してくれているようだ。

 壁紙は優しいイエローだ。


 手すりに手をかける。手すり子バラスターは蔦が絡まりあう薔薇模様で、見事な細工だ。


 それを見て思い出す。そこに手を何度も差し入れてくぐり抜けようと密かに遊んだ自分がいた。薔薇模様を何度も指でなぞった。


 ――自分は、一度だけここに来たことがある。


 管理人夫妻が丁寧に手入れをしてくれているせいか、空気によどみも埃っぽさもない。


 抑制剤の副作用と、ハンガーストライキと久々の歩行のせいで、わずかにめまいがしたが、すぐに気にならなくなった。


 ひとひとつ部屋を覗いてみるが、何しろ一度だけだ。ほとんど覚えがない。


 普段はかけ布が掛けられているであろう家具も、管理人夫妻が取り払ってくれたのだろう。


 リディアは一人掛けソファに腰を掛けて、窓を眺める。


 ドアは開け放たれていて、カーシュが内側に一人、外側に灰色髪の男が一人。


 許可を出した兄は、リディアが何のためにここに来たのか推測しかねているのだろうか。


 リディア自身も、よくはわかっていなかった。

 あの翠玉を見ていたら、行かなければいけない気がしたのだ。


 魔法学校を卒業し、ここに引きこもっていた祖母がどう思い、ここで暮らしていたのか、これからの務めを果たすリディアは、感じたかったのかもしれない。


 リディアは懐から石を取り出す。ハート型のエメラルドの魔石輝石だ。


 台座はディアンがつけてくれた、不思議な素材。色は虹色にも銀にも金にも輝く。

 

 窓越しの陽光に照らして覗き込んで遊ぶ。翠色がキラキラと光り綺麗だ。多角形なカットだ。

 確かにこれでは魔法陣は書き込めない。角度を変えて何度も眺めるリディアは、ふと首を傾げた。


 こうやって――遊んだことが前にもある?


 リディアは立ち上がり、部屋を見回した。兵の視線を感じるが、そんなものは気にならない。


 そしてマントルピースへと目を向けた。

 使われなくなった暖炉は、装飾されたタイルで蓋がされていた。青い色で描かれた農民らしき女性の生活の一部を切り取った絵。


 その絵をリディアは覚えていた。その蓋の上部には木製の丸いツマミが付いている。

 リディアはしゃがんでそれを掴んだ。


『――あなた、ここにいたのね』


 祖母の声を思い出した。


 つまみを引いても、硬くはめ込まれた蓋は、開けられない。子どものリディアが一度そこに隠れたことがあったから、塗り込められてしまったのだ。

 そうされても、リディアはそこで遊ぶのが好きだった。


 自分にはそれが、まるで別世界の入り口のように感じられたのだ。


かくれんぼカシュカシュね。まるで、あの印章のよう』


(――違う、この部屋じゃない……)


 リディアは、部屋を駆け出すようにして飛び出た。


 慌てて自分をつかもうとする灰色髪の兵の手をすり抜けて、また別の部屋へ。


 ――ここも違う。また別の部屋へ。


 ここも違う。


 そして一番奥の部屋に飛び込むようにして扉をあけた。

 後から兵たちが追いかけるように飛び込んできた。リディアは部屋の中に立ちすくんでいた。


 ――主の部屋としては、さほど大きくない。


 正面は大きめな出窓、それから木造りの大きめな机、そして素朴な椅子。

 ベッドには掛け布がかけられている。


 壁には祖母が作ったのか、ガラスの張りの蓋がされた額縁には見事なレース編みが挟み飾られている。刺繍などが女性の嗜みとされているシルビスでは普通だが、それでも彼女の作品は見事だと思えた。


 リディアはカーテンを開けて、硬い蝶番を回して開いた窓からの景色を眺めた。


 大きなニレの木が風にざわめいている。


「入ってこないで」

「……」


 無言でリディアの腕を掴んだ兵に言う。


「ここで大人しくしているから。せめて入口に控えて」


 カーシュが、灰色の髪の男にうなずき、出口へと戻り、そこに控える。

 視線は意識せず、リディアは机の上に目を走らせる。


 机上の本立てには、魔法学校の初等科の教科書、それから児童書。書籍はこれだけだ。 

 現代でも女性が書籍を読む習慣は少ないから、これぐらいの蔵書は当然とも言える。むしろ未だに魔法学校の本があることが意外なくらいだ。


 リディアは、その本を抜き取った。


 古い本の匂いがする。文字はより小さく、一頁における文章量も多い。リディアの時もけしてわかりやすい文章ではなかったが、今のように見易さは重視していない。


(――お祖母様は、共通語を理解していたの?)


 リディアのような苦労はしなかったのだろうか。


(……そんなはずはない)


 自分はかなり書き込んでいた。


 けれど彼女が理解していなかったとは思えない。

 書き込まれている追記は小さく、よく見ると馴染みのない言葉。シルビス語ではない、どちらかと言えばルーン文字に似ている。


 ざああと吹き込んできた風に、カーテンがはためく。リディアの身体を風が吹き抜ける。


(……これ、知ってる)


 リディアは目を閉じた。


(――グロワールだ)


 どうして忘れていたのだろう。自分はこの言葉を話していたのに。

 文字として見たのは初めてだ、なのにわかる。


(お祖母様は、グロワールで記していたの?)


 この教科書に共通語の記載はない。まるで何かを恐れるかのように。

 グロワールでさえ、最小の書き込みだ。


(共通語をこの国に持ち込めなかった……?)


 魔法学の本の最後に挟まれた紙片があった、茶色く変色し、よれていて、かなり古いものだとわかる。

 手書きのそれは、何かの図か落書きかと思い眺めて、リディアは顔色を変えた。


 それはいくつかの印章だった。

 ただし、どれもリディアが見たことがない図柄。まだ発見されていないものだ。

 学会でも発表されていない、効果も知られていない、名前も付けられていない、数個の未知の印章。


『――あなたは、これと同じね』


 祖母が言ったのは、この部屋でだ。閉ざされたマントルピースに隠れていたリディアを見つけた祖母が、連れてきて漏らした言葉。


 そのときにこの紙片を見せて示した印章。


 ――隠れる少女カシェット


 リディアは椅子に座り込んだ。

 いくつかの遺物からこの印章をみつけ、カシェットと名付けたのは自分だ。でもシンパシーを感じていたのは――。


 cacheカシュ-cacheカシュ、かくれんぼ。


 あの取っ手の向こうに、別世界があると見立てて想像していたリディア。それを見つけて、あの印章とリディアは似ていると言った祖母。


 リディアはもう一度懐から、翠色の魔石を取り出した。


 自分は――なんて思い違いをしていたのだろう。


 魔法学校で、誰からも魔石を贈られなかったと拗ねていた。

 でも、ちゃんと――先達から贈られていた。


 魔法学校の卒業生だった祖母から――もらっていたのに。


 リディアはその翠玉エメラルドの台座をいじる。

 ディアンがつけてくれた鎖には石をはめ込む台座がある。おそらく特注品だろう、石にピタリとはまるデサインだ。


 魔石を花と見立て、そのがくに当たる細工を捻ってみると、花弁がねじるように盛り上がり、石を覆う蕾のようになる。


 こんな細工がしてあったのか。彼は何も言っていなかった。

 チェーンと同じで不思議な色合いの素材の蕾を眺めたリディアは、目の前にかかげて、指が触れた瞬間に浮かび上がった文字に呆然とした。


 『リディア・ハーネスト 

1-5-0000897250』


 リディアの識別番号だ。昔と同じ番号。一は第一師団、五は治癒魔法師という意味だ。


 ――リディアは、片手で口を押さえた。


 ……こみ上げてきた嗚咽を堪える。


 過去には飾り気のない金属の認識票プレートは持っていたが、もう返却していた。番号さえも返納していたのに。


(どう、して……)


 どうして、残しておいてくれたのか。どうして、またくれたのか。


 そんなこと、わかっている。


 今でも、師団の一員だと――そこにいると証明してくれているのだ。


 リディアが失くさないように、二度とタリスマンを離さないように、と。こんなふうに隠して。


(……せん、ぱい)


 嗚咽をあげたら、内外に控える兵たちに聞こえてしまう。たとえカーシュでも、それを悟らせるわけにはいかなかった。




*you stay in my mind

(あなたは、私の心のなかに)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る