284.believe you


 リディアには振り向かなくてもわかった。


 肩に置かれた手が、ぎりりと力を込めてくる。ようやく振り向いたリディアは顔を歪めた。まばゆいほどの白い光をまとい、現れたのは人としてあらざるほどの美貌と、力に溢れた存在。


「――リディア!」


 ディアンが叫んで、放とうとした光を消滅させる。兄がリディアの肩を突き出すように身体を押し出したからだ。


「彼女に、触れるな!」


 キーファが剣を振りかざし、突っ込んでくる。


 リディアはダメだと首をふる。声が出せない。兄に殺されてしまう。だがその前に、キーファは見えない何かに弾かれ、吹き飛ぶ。


「キーファ!」


 リディアが叫ぶと、リディアと兄――アレクシスを中心に真っ赤な魔法陣が地面に出現する。


 ディアンが構えている、半身をかがめて歪めた顔は苦しげだ。先程リディアの蘇りに全魔力を使ったせいだ。


 それでもディアンは、リディアにも聞き取れない言語で何かを唱える。


 複雑な文様を描く陣、足元に出現したそれはディアンのもの。そこを埋め尽くすリュミナス古語。そこから光が溢れだす。


 魔法陣の請願詞を見る。そこにある複雑な文言は、禁止魔法だ。


 ――内包するものの精神を焼く尽くす最強もの。ディアンはこれを用いてアモンを配下に置いた。


 それほどのものをリディアも巻き込んで展開させるディアンに迷いはない。だが、リディアの精神壁に、ディアンの精神が触れ覆うようにカヴァーしてくる。


 魔力波ネットワークは使えないはずなのに、彼が入り込んでくる。

 彼の瞳がリディアを射抜く、彼はアレクシスに魔法を定めながらリディアだけを見つめていた。


 彼が頷いた気がした、信じろと。


 リディアは顔を歪めた、拳を握りしめる。今、リディアはアレクシスの腕の中にいる、逃げられるはずがない。


 ――なのに、信じたくなった。


 リディアは自分の心、魔力の在り処を開放する。ディアンの魔力がリディア精神壁を覆う、崩れてヒビだらけのそれを覆うように、強い完璧な防御壁がリディアの心を守るべく覆い尽くす。


 精神を焼く魔法陣の中、リディアの肩を掴むアレクシスの様子は変わらない。うめき声もない、呼吸も変わらない。


 リディアに触れているからわかる。彼は全く動じていない。


「――っ、ちくしょー、なめんなっ」


 咆哮が聞こえた。それはウィルの叫びだった。唸り、獣の叫び。


 彼が身震いをして、身を屈めて攻撃をする獣のように炎をまといアレクシスに飛びかかる。


 人としてはありえない赤く染まった目は見開かれ、口には獣と見違えるほどの牙が並び、まるで鉤爪のように手を振り上げ、アレクシスの首に獣のように食いつき飛びかかる。


 リディアに同化したディアンの魔力が、リディアの身も守るように覆う。


 同時に魔法陣は、その中にかかった獲物の足をその場に縫い付ける術式を展開させている。


 身体と心を焼き尽くす魔法が、兄妹二人に襲いかかる。


 ――逃げることなどできない。逃げ場などない。


 ただリディアを見つめる黒い瞳だけが、リディアに訴えていた。逃げるなと。必ず助けてやると。


 リディアは拳を握りしめていた、ただそれだけを見つめていた。

 兄の存在など、感じない。


 ――最後の望みだった。それにかけてしまった。この腕から逃げ出せると、まだ道はあるのだと。


 リディアとアレクシスが炎に包まれる。体に熱さは感じなかった。ただ、胸を打つ瞳だけが、眼差しだけが胸を熱くさせる。


 リディアは覚悟を決めて、その時を待って目を閉じた。


 瞬間――すべてが消えた。


 目を開けてリディアは愕然とした。リディアだけではない、ディアンもその場に立ちすくんでいた。


 獣と化したウィルも地面に叩きつけられ、ゲホッっと血を吐く。 


 ――すべての魔法が――消えていた。


 先程もいきなりグレイスランドの防衛網が消えた、ついでネットワークも使えなくなった。だが、今度こそこの空間では、あらゆる魔法が消えたのだ。


 ディアンが両腕を見下ろす。

 そこにはなにもない。どころか、彼の膝ががくりと崩れる。


「せんぱい……ディアン先輩っ」


 リディアが叫び駆け寄ろうとした途端、リディアの頭を後ろからの手が鷲掴みにした。信じられないほどの力で腕の主はリディアの頭をつかみ、握りつぶすかのようにぎりぎりと力を込めてくる。


 リディアは、もがく。その手を外そうと、両手を頭上にあげるが、むしろ跪づかせようと、その手はリディアの額を地面にむけて押し倒す。


 力に負けて、リディアは地面に膝をつく。 


 万力のような力で締め付けられて、視界に星が散る。まるでこのまま潰してしまおうかという意思を思わせる力。憎しみではない、更に上をいく感情が彼の中にあるのか。


 目の前に星が散る、吐き気を堪えて、リディアはその姿を見た。


 フィールドは解かれていた。だが、グレイスランドの危機対応で追われているのか教員たちの姿はなかった。誰もここには注意を払わない。生徒も避難をしているはずだった、 


 ――なのに現れたのは、チャスだった。


 星が黒に変わる、斑に浮かぶ風景、その中でチャスは途方に暮れたような、泣きそうな顔をしていた。腕がだらんと下げられていた。


「センセイ。――俺、バルディア人、なんだ」


 ごめん、とその口は動いた。チャスの能力――全ての魔法を消滅させてしまうもの。とても強力で、危険なものだと思っていた。


 彼を導いて、彼が利用されないようにしないといけないと思っていたのに。


「ゲームは――終わりだ」


 兄の声が響いた。そして光が溢れた。兄に頭を掴まれたまま左腕を引っ張られ、弓なりに身体をぐいと前に押し出される。


 風景が遠くなる。それはリディアの意識が遠くなったせいか、それとも本当にグレイスランドが遠くなったのか。


「お前の負けだ、マクウェル」

「ソイツから、手を離せ――!!」


 ディアンの声が響いた。それはたしかに近くて、でも意識を失いつつあるリディアには遠い。


 リディアは彼に手をのばす。

 歪められた顔、彼の魔力はすでに枯渇していたのに。


 彼の手がリディアを掴もうとする。リディアも失いつつある意識の中、必死で伸ばす。リディアの人さし指と彼の人さし指がかすめる。


 それが最後の感覚だった。

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