257.神代と現代
キーファは答えない主に推測をつづけた。
「あなたがディアン・マクウェルを厭うのは魔の存在だから、と思っていました。ですが、月の君が魔王のもとに自ら行ったのであれば、その根拠がゆらぎます。魔王とは――俺達の想像する悪、または邪なる存在ではない?」
”――こればかりは言うておこう。あの方は――慈悲深き、いい男じゃった”
しんみりとした物言いに、懐かしさと慕う様子に、キーファは欠片でありながら彼女の本音を感じたように思えた。
“――ディアン・マクウェル。あれは、魔界を制しているわけではない。だが、制覇したというのは正しいであろう”
「魔物や魔族を抑え、統治をしているわけではないということですか?」
“――そこが当時の魔王とはちがうところ”
声には、わずかに苦い思いをにじませる響きがあった。
もどかしさ、寂しさ、そのようなものだろうか。
「……創世記では、勝敗が描かれていませんのは、やはり――」
“――唯一神が負けた、など記すものか? 魔王と月の君は、太陽の主の力を削ぎ封印した。言ったであろう、太陽の主の残った僅かな欠片であり良心が――リディアの主。光の欠片とでも言うべきか”
「まさか、魔王と月の君が結ばれた、などというのでは……」
“――ソナタも案外、邪推するのう。それは当事者どうしのことじゃ”
キーファは、動揺のまま誤魔化すように咳払いをした。確かに神々のこととはいえ、色恋のことは関係ない。だが――非常に重要なことだと思える。
“――月の君はその後人間となった。僅かな力を具象化して残した。それが我じゃ”
キーファはその声にわずかな哀愁のようなものを捉えた。
魔王のことを語るとき、少しだけ見せる表情。
それはディアンに対するものとは異なる。
創世記では“闇の王は光と相容れぬ種族を哀れんで魔界を与えた”とある。が、ディアン・マクウェルはその哀れみを魔の世界のものには持っていない。
当時の魔王には思い入れがあっても、その違いをこの女性が受け入れていない。
だからこそのディアンへの忌避ではないのかと、上位の存在に対してわずかながらキーファは推測した。
しかし、まだ疑問は残る。
なぜ月の君は人間になったのだ。
――まさか、いやでもそうかもしれない。
「邪推ついでに聞きます。他の大陸では月を神としてあがめることがあります。我々には馴染みがありませんが、月の女神と呼ばれる存在は、男嫌いで処女神だと聞いたことがあります。信仰が違えど神話同士は、融合し親和性を持っています。その、月の君が神聖を失ったのは――」
“――ソナタの想像に任せようぞ”
ふっと笑った顔は、遠い目をして遥かな過去に思いを馳せるようなものだった。
キーファの推測が正しければ、処女を失い月の君は、人間となり子孫を残した、というのか。それは、どこかロマンスであるようで、キーファには苦い思いを抱かせる。
現実に、今それに見立てられている、それぞれの登場人物がいるからだ。
「重要なことです。あなた達はリディアを月の君に仕立て上げたい。それは、光の主を慰めるため。だが、リディアがそれを……その女性としての、その資格を失っていればどうなりますか?」
“――処女を失っていればということだろう? 太陽のヤツは興ざめする、という可能性はあるな”
「それでもいいのですか?」
“――よくはない。が、その可能性があるならば、ソナタは試してみるか?”
キーファは口元を引き締め、拳を握りしめる。それで救えるならば、と、そんな理由でリディアを汚したくない。自分の主ながら己を侮辱されたような、見透かされたような不快が胸に込み上がる。
「結構です。彼女が正常な判断を持ち、俺のことを振り向いてくれるまでは――望みません」
“――難儀な性格よの。それはそれでよいと我は思うたのじゃが”
キーファは自分で聞いていながら、咳ばらいをして動揺をしずめて、その台詞を流す。
そんなキーファを穏やかに、そしてなぜかまぶしげに目を細めて美女は付け加える。
“――一つ。先程ソナタも言ったであろう。あの娘の穢れ、あれは一つの枷。あれで、月にはなれず、なれば太陽のやつも目覚めぬ”
「あの呪いのせいで――」
あれで、リディアが創世記の歯車のひとつにならずに済んでいる、一つの抑止力になっているというのか。では呪いが解ければどうなるのか。
キーファは絶句しつつも、答えを与えてくれた主に感謝をする。
しかし、まだまだ謎は多い。
リディアが月の君の候補であるならば、蘇る光の主――いや太陽の主は、本当にリディアを手に入れようとするのか。
なぜリディアなのか。彼女が光の主の欠片に気に入られているからなのか。
シルビスには一体何が潜んでいるのか。
シルビスを訪れた時の、あの奇妙な感覚が拭えない。
「シルビスは、なぜあそこまで、封鎖的なのでしょうか。特に女性に対して」
キーファはあの国で感じた疑問を呈する。そういうものだ、と師団でも皆が言う。
“――気づかぬか?”
キーファの主は意外、とでも言うように目を瞬いた。
“――ソナタらもきいたことがあるじゃろう。シルビス人は、リュミエール人の末裔じゃ”
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