256.神話に潜むもの

“――話があるという顔だな”


 キーファは黒髪の美女、ニンフィアノワール黒睡蓮と対峙していた。

 双方ともに緊張感や敵意はない。


 キーファはこの主が自身に危害を加えるものではないと認識していた。それは彼女自身もキーファを気に入り、何らかの期待をしているとわかっていたからだ。


“――修行は順調の様子”


「あなたから与えられた力が、ときを操る魔法だとわかった今、迷うことはありません」


 たしかに今も六属性魔法の発現はできない。

 これまで実技成績は最低だったが、基礎六属性魔法の理論が完璧だったおかげで、単位を取得できた。

 当時は、複雑な心境だったが、今は自分の特性がわかったので、成績などどうでもよかった。


“――自分の活かし方を覚えてきた、か”


「ええ。魔力の伝導はできるので、魔法陣の発動もできます。それに、魔力が外部にもれないので、それを今は感謝しています」


 相変わらずキーファの魔力は外に放出されない。そして、それは師団での潜伏活動に有利であった。

 魔力が人体から漏れると魔力波として検出される。それは指紋や声紋のように個体特有のものだとリディアはいう。

 リディアは感覚で誰の魔力かを感知するようだが、大きな機関だと魔力波で人物を特定されてしまう。戦闘や潜伏では、外に漏れる魔力を消すのが最も大変なのだとディックは言っていた。


 その手間が、キーファには必要ない。

 魔力のない一般人としか認識されないのだ。師団の入口にあるスキャナーでも、生体情報は取られたが、魔力波はなしと記録されている。


「それだけでも、ウチ師団にはウェルカムだぜ」とシリルに背を叩かれた。


 今回のシルビス入国でも、変装しPP個人端末のIDを偽装するだけで、入国できたのだ。 

 無能と思っていたことが、長所になったことに、なんとも言えない感情を覚えた。言うなれば、感動、だろうか。それとも、導いてくれたリディアへの感謝か。


“――して、何用じゃ?”


「あなたの正体です」


 彼女は、ただわずかに首を傾げ微笑んだ。無垢な少女のような動作に、色を見せる成熟した女性のような笑み。


 理解しがたい存在、だが彼女の存在そのものがそうなのではないだろうか。何かであって、何者でもない。満ちているようで足りていない。


「最初、あなたはリディアを厭う様子を見せました。呪いがあり穢れていると。あなたは聖属性であるからと思いましたが、俺は浄化の力を聖剣発動以降使えていない。そしてあなたは、それを使うにはまだ早いと言っていました。――正確には、俺に与えられていないのでは?」


 美女は曖昧な笑みを返すのみ。だからキーファは続ける。


「俺達は六属性を六芒星で習いました。けれど、リディアからは六角形で表す説を教えられました。その際に上位存在がいると。六角形の上辺、風と水の先にあるのが『生』を司る存在。その対極は『死』。――あなたは、上位存在であり、創世記における『月の君』、そして『死』を司る存在なのでしょう?」


 ほう、とため息を漏らした美女。安堵を漏らしたかのようにも、慈愛を見せるかのようにも見えた。


 『死』だからといって、残虐な性質とは決めつけられない。時に『死』は安息でもあるのだ。


「あなたがときを操る能力を授けてくれた時に、気づくべきでした。時を操る神は、時間を刈り取る鎌を持つと――死の神と同一視している宗教もあります」


 北・中央諸国連盟での教えとは全く異なる。だが、世界を構成する上位存在が、たしかにいるのならば、国や宗教によって呼び名は違えど、同一のものであることもある。


 ニンフィアノワール黒睡蓮と、キーファが名付けた女性は、ゆったりと口を開く。


“――ソナタの推測じゃが、アタリでもあり、ハズレでもある。そして少し違う。我は欠片であり残滓じゃ”


 キーファに彼女は答える。


“――先ずは我が与えたと言うときの力。それはソナタのもの。ソナタがそれを持っていたから、我がソナタを選んだのじゃ。己を見くびるな”


 キーファはゆっくり頷いた。


“――だが、月の君でもあった、というのはアタリじゃ”


「シルビスの聖書を見て違和感を覚えました。あの国では、『光の主』ではなく『太陽の主』なのですね」 


 シルビスでの図書館で閲覧した神話においては、『太陽の主』は唯一神。四獣はあくまでも、太陽の主の下僕。そしてグレイスランドに記載されている“光の主は東を、月の君は西を治めた”の聖句はなかった。


“――ソナタら人間は、歴史や伝承を、都合により削り付け加え、名を変えて記載するであろう”


「ええ。歴史も、創世記も、国によって都合の悪い箇所は削り、聞こえがよく修正するものです」


 では、どちらが正しいのか。

 シルビスとグレイスランド、どちらが真実を記しているのか、それはわからない。

 正しさというのは、国によっても違う。神々から見れば、更に違うだろう。事実でさえも、当事者のとり方によって違ってしまうのだから。


 だが、ここでは正しさは問題じゃない。何が隠されているのか。記されていないものはなにか、それがキーファには大事だった。


「聖剣から推測しました。俺が剣を発動させたとリディアは言っていました。けれど先程言ったように俺は浄化の力は使えません。マクウェル団長は、俺が持ち主になったと言っただけで、俺に浄化の力があるとは言っていません。――そして彼女に剣を与えたのは元はといえば、彼です」


 一息いれて、キーファの言葉を待つ女性に、力を得て言葉を告げた。


「――浄化の力は、リディアのものでしょう」


 あのとき、聖樹から力を借りて聖剣を発動させたと思っていた。リディアもキーファの力だと思っていた。だが、そこが誤りだった。隣にいたリディアにこそ、浄化の力があったのではないか。


「リディアが月の君の候補であるならば、あり得ます。満月フルムーンは、浄化の力があると昔から言われているでしょう?」


 満月の光は浄化作用がある、とリディアから聞いた。


 それで、思い当たったのだ。


“――おおむね、アタリじゃ。が、満月は浄化の力もあり、魔力を高める。魔のものにも力を与える”


「確かに、召喚などでは満月の夜が好ましいとされていますが」


“――ソナタらの教えでは、『光の主』は『月の君』を求め、『光と闇が争った』とあるだろう?” 


「ええ、グレイスランドの国教はなぜ『光』なのか。魔法相関図の隠された上位存在が『光』であるならば、その反対の存在として『闇』も、太陽の対極である『月』も記されていないのか、そこが疑問でした」


“――謎はとけたか?”


 キーファは首をふり、まだですと答える。


「シルビス人たちは自国の歴史が古いと主張し、このあたりの信仰での聖地だという自意識が高い。そして、グレイスランドの教えは正しくないと言い続けます。あなたは、どうして月でなくなったのですか?」


 彼女は初めて目を伏せた。長く美しい黒髪のまつげが憂いを帯びて閉ざされる。


“――我は欠片。闇の主は、焼き尽くされる前に月となり、そして魔界に逃げた。そして、戦いの末の残滓が我”


「待ってください」


 キーファでさえも混乱しながら、創世記を思い出す。

 闇から生まれたのが『月の君』であり、『光の主』は、『月の君』を求めた。そして『闇の王』が魔界を作り、『光の主』と争ったのだ。


(――抜けているのは、ここだ)

 

 闇の王が唐突に創世記では出現している。

 ニンフィアの言葉を借りれば、月は闇の主から生まれたのだという。


「あなたの言う闇の主と、創世記の闇の王との違いは?」


”――ソナタ自身が言ったであろう。人間は、都合よく修正してしまうものだと”


 彼女の言葉を反復する。光の”主”がいたならば、闇の”主”がいても、おかしくはない。むしろ対極する名称としては正しい。


 最初に存在していたのは、光の主、そして闇の主。そこから月が生まれた。

 より教えが正しいと主張しているシルビスでは、太陽の主が光の主。

 

(グレイスランドとシルビスの、光の主、太陽の主は同一視していい。だが重要なのは、闇の存在)


 シルビスでの疑問が蘇る。


 ソル太陽硬貨、そしてリュナ硬貨。そのリュナ硬貨を六つ集めるとオンブル硬貨となる。


  月の欠片を六つ揃えれば闇になるということにキーファは違和感を覚えた。


 使用するには、不便であり数字が中途半端すぎるのだ。だがそれに慣れているシルビス人は疑問に思わず、由来を覚えてもいない。


「あなたは、月の欠片だと言いました。月の欠片を全て集めれば円を描き、満月フルムーンとなる。そして、満月が太陽を覆えば――月食――闇になる」


 ニンフィアは、闇の主から月の君が生まれたという。


(『光の主』は、『闇の主』を求めた。だが相反する存在同士が近づけるわけがない。潰されかけた闇が最後に残したものひかりが、『月の君』)


 それが隠された真実なのか。


 そして、彼女の言葉の謎に思い当たる。

 

 リュナ硬貨を六つ集めればオンブル硬貨になるという、この中途半端な数字。

 だが魔法師にとっては馴染み深い――六属性だ。


 彼女は、六属性を循環させろと言っていた。それらが正しく回れば――つまり六芒星が回転すれば、円を描く。

 つまり満月――フルムーンが出来上がる。


(そして、ニンフィアノワール《黒睡蓮は》月の君の欠片だという)


 月の君は、人間となったと聞いている。

 欠片としての彼女が、上位存在としての光の主の対極に位置しているのか。


 そして、月の君は、逃げた。――魔界へと。


「魔界へ逃げた、のですか」


 キーファは自分の声が掠れているのを感じていた。

 教え込まれていたことが覆される。にわかには信じられない。


 国教では、『魔界を支配する闇の王と、光の主が月の君を奪い合い争った』はずだ。


「魔界を支配したのは闇の王ではない?」


“――当時の魔王じゃ。ソナタらの伝承にはないじゃろう。そして月の君は魔王に助けを請い、太陽の主と魔王が争った。月は魔の物にも力を与えるからの”


「――そして、太陽の主は力を削がれ、光の主の――欠片となった」


 敵対していたと教え込まれていた魔界に、月の君が自ら望んで行ったとは信じがたかった。だが、月の君に選ばれなかった太陽の主が負けたという事実は都合が悪いからこそ、『闇の主』の存在が削除され、『魔王』は『闇の王』として修正されてたのではないか。


 そして、“当時の魔王”という言い方に引っかかりを覚える。では、現在にもそれに値するものがいるのか。


「余計なことですが、ディアン・マクウェルのことです。あなたはその正体、彼の事自体を話すことさえ嫌がる様子を見せました」


 彼女は黙ったまま。だがほんの僅かに眉を潜めたようだった。


「俺はリディアの力で彼と同調したことがあります。彼は六属性依存の魔法も操れます。でもそれだけじゃない、全く別の魔法を、魔法と呼べるもの以外も扱う。魔法相関図から外れた存在ですよね。あれ程の強大な力を扱う存在、そして創世記の再現。となると彼の役割も推測できます」


 彼女は応えない。が、キーファは続ける。


「彼は現在の――魔王、ですか?」



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