248.まだ、ここにいてもいいの?
転移した先は、第一師団の固定転移陣の中だった。
膝をついてへたりかけていたリディアだが、すぐにマーレンを見て周囲に声をかける。
「誰か、彼の治癒を……」
「リディア、大丈夫だ。メディカルケアスタッフに任せろ」
転移陣の光が消えたとたんに、ディックが周囲にある進入禁止棒を飛び越えて、リディアのもとにやってくると、両肩を掴んで言い聞かせてくる。
マーレンが担架で運ばれていく。
そこでようやくリディアは両手を力なく落とした。
いつのまにか気がつけば、空き室の一室に座らせられていた。支えられて連れてこられたのがここだ。
リディアのあとから入室してきたディアンと、キーファを交互に見つめる。
「……どうして?」
理由も方法も全てをひっくるめての疑問だった。
「すみません。あなたにあげたペンダントに転送陣を差し込んでおきました。ダーリング教授と師団に相談して、開発途中のものを仕上げました」
いざという時のために、と。
緊急脱出用としての用途として、携帯転移陣を大学と共に開発を進めているという。
「今回のような、転移からの転送への転換術式はうち
ディックが説明を補足する。傷ついた仲間を避難させ、代わりの人材を送る。そういう意図の魔法陣なのだろう。どれも実用化は困難と言われていたのに、様々な課題をクリアしている。
「すごいのね」
ダーリング教授はウィルの父親で、魔法陣学の権威だ。彼にまで働きかけるなんてキーファはすごい。
「マーレンは?」
「意識不明だが、既に亡命者として扱っている。元々グレイスランド王立大学の在籍者だ、承認はおりやすい。治療後にどうしたいか、お前が確認しろ」
どうして彼を助けたのか、とは聞けなかった。
リディアを助けるため、グレイスランドは――ディアンは介入したのだ。じゃないとリディアはあの場から動かなかっただろう。
「ああもう、そうじゃないだろ! リディア、大丈夫か」
シリルが駆け寄ってきて、リディアの頬を包む。
「おい、冷却材持ってこい! ついでに水も」
シリルがディックに命じて、後ろを振り向いたディックは自分の後ろに誰もいないのを見て、舌打ちして出ていく。
「ちゃんと食べてたか? いや、最後に食べたのはいつか?」
リディアはシリルの目を見つめ返す。親友の眼差しはこれ以上ないほど怒りと保護欲に溢れていて、リディアは戸惑う。
「……わからない」
シルビスで何かを食べただろうか、思い出せないのだ。
頼りない声を出すと、周囲に戸惑いの気配が漂う。どうして、こんなに心配されているのか。
「ボス、アンタ上着貸せよ」
シリルに命じられて、ディアンが思い出したかのように、黒い上着を脱ぐ。
「ったく、気が利かねーヤローどもだ」
シリルは武器の整備中だったのか、上半身は灰色のタンクトップ一枚、つなぎの上衣は半分ほど折り返して脱いでいた。彼女はディアンのトレードマークの戦闘服の上着を奪うと、リディアの足にかける。
そこでようやくリディアは自分の格好を悟る。わずかに羞恥心が湧いたが、どうでもいいという気持ちもある。
ディアンがわずかに嘆息して、ようやくリディアに近づく。
シリルが場を譲ると、彼はわざわざ屈んでリディアと目線を合わせる。彼がそんなことをするなんて初めてで、戸惑う。
ぼんやりと目を合わせると、彼の目は力強く見返してきた。黒がより濃い。
「お前の国籍の話をしてもいいか? これは、今ここだけの話だ、いいな」
リディアは首肯した。
「お前が退団届を出したとき、確かに師団はお前を除籍にした。だが、俺はお前を第一師団付にしておいた」
「え」
「俺は退団を認めてない。そこからこじつけて、籍を
師団を除籍されたのに、第一師団には、いたことにしてあった。
そんなのありなのか、しかもそれで国籍取得の申請ができるのか。
「すぐにグレイスランド国籍とすると、シルビス側にばれる可能性があった。だからお前が捕らわれたそのタイミングで、滑り込ませた」
「それって」
ぎりぎりだ。兄はすぐに対抗措置を取るだろう。でもあの場では――リディアを逃がした。
「そうだ。黙って引くような奴じゃない。だがうちにいる限りは、手出しはさせない。だから――いいな」
リディアは黙って、ディアンの差し出す書類を眺めた。あとから本人に署名をさせるなんてありなのだろうか。よほど、国王に借りを作ったのに違いない。
「私、ここにいて……いいの」
呟いたと同時に、頬を何かが伝っていった。頭にディアンの手が置かれて、迷うかのように、そのあと肩に引き寄せられる。
「もう、もどらなくて……いいの?」
「そうだ。――お前はグレイスランド人だ」
よくわからない。よくわからない。
でも、リディアの喉が鳴って、頬から伝い落ちるものの理由がわからなくて。体中から力が抜けていった。
「大学の方でも呪詛の犯人や魔法晶石の盗難調査が進んでいて、今先生の辞職勧告を撤回するように署名を集めています。すでに先生の自宅に連絡が行っていると思いますが、退職にはならないと思います」
キーファの声が響くから、益々リディアの目から何かが止まらなくなる。声は出さない。ただディアンの背を叩く手が優しくて、声を抑えることしかできない。
「ああもう、どけよ」
ディックがディアンをどかす。そして、ペットボトルのキャップを外すと水を手渡してくる。
「飲めるか?」
水を飲んだのは、最後はいつだっただろう、そう思いながら口に含み、食道から胃の腑に滑り落ちたとたん、リディアは口を手で押さえた。
「ごめ……」
ディックにボトルを返すと、立ち上がったリディアをシリルが支える。こみ上げてきた吐き気、そのまま彼女に伴われて洗面所に向かう。
――誰も何も言わなかった。案じるような眼差しを受けたまま、リディアは部屋を出た。
そういえばシルビスでは吐いてばかりだったと、ぼんやりと思いだした。
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