222.lost patience
「――魔力補充にて、容態は安定しました。脳への損傷は見当たりません。じきに目を覚ますでしょう」
ディアンは、リディアを治療したメディカルスタッフに頷いた。早急の事案で出ていて、戻った早朝。あれからリディアは治療を受け、まだ意識は戻っていないという。
「ところで。一つ、彼女のことで」
「なんだ?」
リディアのいる治療室に足を向けようとしていた意識を戻す。
「先日のコカトリスキメラ改めアメーバキメラDタイプに囚われたあとに、行ったストレスチェックで、ストレス値の上限を大幅に超えています。診察及びカウンセリングを受けるように通告されていますが、どこの医療機関も受けていません」
ディアンは軽く嘆息した。
「わかった、言っとく」
「――お願いします」
ディアンは軽く頷いて、足を病室に踏み入れた。
師団は専用の医療機関を持っており、第一師団本部に隣接している。普通の事故や病気ではなく、任務によって、特に魔法による負傷に対する治療が必要なことが多く、またその際の団員の医療データーが機密事項の場合が多いからだ。
***
白い寝具の上に、リディアは寝かされていた。丁度カーテンが締め切らない中央からの光がリディアの顔に差し込み、眩しいのか眉が寄せられている。
ディアンがその顔に手をさしかけて日差しをさえぎると、寄せられていた眉間が開き、穏やかな寝顔になる。
――俺は、怖いよ。
真っ直ぐにディアンに挑むように向けられた眼差し。
――俺は、リディアが戦わないですむようにする。
ディアンの頭の中で声が響く。
「……ふざけんな」
声が漏れる。
「勝手なこといいやがって……」
いいや、勝手なことしやがって、だ。握りしめた拳が震えている。
――布団から覗くリディアの肩、薄緑の検査着は緩やかな作りで肩甲骨が覗いていた。
ディアンは布団をめくり、リディアの左腕をさらす。上腕部までしかない半袖の下で、リディアの腕は黒く染まっている。病的な静脈のように、または何かの枝が張り付いているかのように蛇行する黒い流れが這っている。
その下の前腕は、傷一つない白い肌だというのに。
ディアンは息を吐く。
――リディアが師団を辞めて、教職になったと聞いて、安堵が胸によぎったのは否定しない。師団は、危険と背中あわせの任務だ。そこから離れたのだから、もういいと。
己の手から離れることになっても。もう庇護下に置いておけなくても――そのほうがよいと。
なのに、胸が休まらない。時折襲いくる恐怖もやまない。
――リディアは自分を犠牲にする。
わかっていた。そうするだろうと、いつでもそうするとわかっていて、それでも戦いの中に置いていたのだ。
「何が、“団長”だ」
ディアンは吐き捨てる。
ディアンの目は、リディアの頸部に吸い寄せられるように向かう。そこには、上下に紙テープで簡便に押さえられた四角いガーゼ。さほど大きな怪我ではないからだろう。
ディアンはそれを剥がす。二つの穿たれた穴、その周囲は赤い、残された痕。
ディアンの頭に血が上る。衝動的な何かが突き上げた。胸に迫る熱。凶暴的な何かにも似た衝動だった。
「……っ、はっ……」
ディアンは伸ばした手を、見下ろす。リディに向けて屈んだ顔を歪めて、そして目をギュッとつぶる。息が荒い、震える手を戻すのは、相当な労力が必要だった。
かろうじてリディアの肩をつかもうとしていた手を戻す。
大きく息を吐き出して、ディアンはリディアの額に触れた。
「悪っ……かった」
リディアの額は、汗で冷たく湿っていた。柔らかい前髪を掻き上げる。
「お前を――傷つけることは、もうしない」
その頭を強く引き寄せそうになる手を握り締め、爪が痛みをもたらすまで堪える。
そして、ゆっくりその手を開き、そっと柔らかい金髪を掬った。
ディアンが出た先には、ディックがいた。
「報告。現場は封鎖中、今日から調査隊が入るけど、簡易調査で呪いのたぐいは一掃。悪魔は魔界に帰還した様子。呪詛をかけた張本人は追跡中」
ディアンは頷いた。
「――で。手は出したの?」
ディアンの一瞥にもディックは動じなかった、それどころかふてぶてしく呆れたように息を吐いている。
「俺はアイツを傷つけない」
「知ってるよ。それを守ってるってな」
「そもそも、こんな時に出すかよ」
ディアンの舌打ちと共に漏らされた本音に、ディックはようやく刺々しい気配を引っ込めて、片頬をあげた。
「出してたら殴ってた」
「お前に許可なんて取るか」
ディアンはディックを抜いて、本部に歩き出す。
「――でもな。何もしないほうが傷つけてるっていうこともあんだぜ?」
その言葉を背中で聞く。
「リディアはもう、子どもじゃねえんだよ」
吐露するような声に、ディアンは答えなかった。ただ内心で応じていた。
知ってる。
リディアは――もう、女だ。
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