221.Who is he ?
契約は案外あっけなかった。
ウィルにはなにが変わったのかもよくわからず、ただ目の前に赤い竜がいるだけだった。丈は五メートル強。窮屈だった体をくつろうぐように首を回す存在に言う。
「案外小さいんだな」
“小僧、我の本来の姿になれば、この大陸は崩れるぞ”
アロガンスが笑う。わずかに地面にさざ波のように地震が起きる。地中に深く根を張るように身を沈めている奴が動くと地震が起きるらしい。迷惑だ。
「さて、と。戻って蠍をやっつけないと」
「いい」
ディアンが言い放ち、その場で手を振る。遮られてウィルは眉をしかめる。
「は? あのさ、俺が――」
「時間切れだ。俺が面倒見るのは、お前が契約するまでだ」
そしてディアンが指先を下から上にと無駄のない動作で見えない何かをなぞる様に動かす。それを不審に思う間もなくウィル達は、洞窟の中にいた。
不自然に穿つかれた隧道、土の匂い、そして魔法陣の中の蠍が、巨大な尾を振り上げバシンと地面に打ち付けている。
いつの間にここに戻されたんだ、そう思いながらも蠍に目を向ける。ヤツは魔法陣の中で貼り付けにされていた。だが様子が違う。
最初は抗うように暴れていた尾がだんだんと動きが鈍くなり、やがて不自然にブルブル震え、最後はぴくぴくと体全体が痙攣をし始める。そして、その全貌が明滅する。
まるでこの世界から消えるかのように、存在がこちらとあちらを行き来しているかのようだった。
「リディア!」
ウィルはリディアに顔を向ける。
最初に蠍に目が行ったが、その後方、壁際にバーナビーに支えられて彼女はいた。
名を呼んでもウィルに目は向けない。ただ、その腕の中から白煙があがっている。それを見つめるリディア。どうやら何かの術を見届けているようだ。
ウィルは、そちらに駆け寄ろうとして、背筋を這う様な怖気に顔をこわばらせ、即座に腕で頭をかばいながら頭上を見上げる。
――何かがいる。
そして、ウィルの上に影がさす。
最初はよく見えなかった、ただ闇の中に蒼白な顔だけ。人ではない、肉体はない。幽霊のような霊体かと思うとそうでもない。
魔獣のように生気を持たない、なのに魔力だけが強い。
青白い顔、顎を覆う青い髭、血走り見開かれた目は瞬きをせず、食いしばった歯からは青い血が垂れ流されている。
ウィルも、実物はみたことがなかったが、人外だと即座に察知した。
それは人が本来持つ恐怖に根差した本能からの判断だろう。
――魔族だ。
それがリディアの中の呪詛版が放つ白煙と同様に燃え出し、顔が青い炎を宿し巨大な口をあげて、苦悶の雄たけびをあげる。
思わずウィルは膝をつく。心を鷲掴みにして動けなくさせる魔族の力なのか、それともウィルの恐怖のためか。
それが空中でリディアに狙いを定めると、大きく口をあけて猛スピードで飲み込もうと突進する。
“青ざめた公爵”――悪魔だ。
「リディア!!」
ウィルは警戒の声をあげる。リディアは顔をあげないどころか身じろぎしない。バーナビーが彼女の肩に腕を回し身体全体で庇うような態勢をとる。
だが、あの巨大な悪魔がそれで防げるものか。
”――アロガンス!!“
ウィルは手の平に意識を向けるが、炎が宿るどころか急激な脱力感に襲われ、同時にめまいと吐き気を覚えた。
魔力を持っていかれる、今の自分には――無理だ。
その前にディアンが立つ。お仕着せの長靴に押し込まれた裾、飾り紐の付いたパンツは皴一つない。 バックルで留められ綺麗に入れ込んだシャツは、リディアがつけた皴が残っていたが、見苦しさはみじんも感じさせない。
袖を折った白いシャツから覗く筋張った腕をディアンは無駄な力など一切感じさせない動作で掲げ、指をくいと地面に振り下ろす。それだけだった。
蠍がキーンと金属的なシステムが断ち切られたときのような凶暴な音を発して、最後に尾を地面に打ち付ける。頭上から大きな石ころが絶え間なく降るから頭をかばうが、腕の隙間から見る胴体には巨大な青い矛が地面にヤツを縫い付けるように串刺しにしていた。
「な、んだ、よ」
その矛を握るのは巨大な手、骨ではない、だが肉というのもない。黒くて筋張った三本指の手、それは何だ。
蠍が粒子状になり姿を溶かしこの空間から消え去る。
同時にその矛の持ち主、手だけの存在が文字通り矛先を変える。
矛を水平に持ち上げて三本の穿ちを、正面へと狙いを定める。そしてそれが勢いよく放たれた。
リディアに向かっていた悪魔――“青ざめた公爵”の顔を串刺しにする。
“グッオオオオオオオオーーー”
その雄たけびをものともせず、ディアンは矛に串刺しにされた悪魔の足元まで傲岸不遜な顔で悠々と歩みを進め、その悪魔の末期を見届けた。
「……ディアン、先輩。……ありがとう、ございます」
リディアの腕の中の白煙が消えてた。すでに呪詛版もない。
リディアはそれから、ウィルに目を向ける。
「……お帰り、ウィル……」
笑みを見せているが、その手は震え声も力ない。顔色が真っ青だ。暗闇でもわかる。
「リディア、大丈夫――」
セリフは最後まで続けられなかった。リディアの目が力を失い、そして首がのけ反る。バーナビーが後ろから抱きしめるように支えるが、全く自分で身体を支えていない。
「リディア! しっかり」
バーナビーが叫ぶ。
「貸せ」
ディアンがバーナビーから有無を言わさず強引に、リディアの両脇に手を入れて自分の身体に引き寄せると、膝裏と背中に腕を回して抱き上げた。
そして既に立ち上がりウィル達に背を向け足早に歩きだしている。
垣間見たリディアの顔が反動で晒しだされる。白い顔に、眉が僅かに寄せられて苦しそうだ。くにゃりとしていて、全く力が入っていない様子にあせる。
「どうなんだよ!!」
「……」
ウィルにもバーナビーにも頓着しないディアンを追い越し踏み出せば、そこはもう地上だった。背後に旧校舎がの玄関があり、ウィルとバーナビーは息を呑む。
転移させられた、全員。しかもその兆候は全くなかった。
「――俺だ。リディアが低魔力症で昏睡状態だ。意識レベル三百。至急リディアに適合する魔力を用意しとけ。すぐ連れて行く」
ディアンの胸に抱かれてリディアの顔は見えない。ウィルはディアンの足を阻めない。
「お前は、自分の医療施設に行け、一人で行けるな」
ディアンは振り返りもせずバーナビーに告げる。
空はブルーモーメントと呼ばれる空全体が群青になる夕暮れと闇の合間の時間に差し掛かっていた。
その中にキーファが堅い顔で佇んでいた。それに当然のようにディアンは命じる。
「今うちの連中が、向かっている。今回の調査はうちが請け負うと大学に言っておけ。お前に到着までの交渉を任せる。ここも封鎖だ」
キーファが頷く。すべて承知という顔だ。
だがキーファはただ唯々諾々と従うだけの性格ではない。
「リディアの容態は? 救急車を呼ぶべきでは?」
「うちの医療部に連れて行く。こいつのメディカルデーターがうちにある」
キーファは頷いて、足を方向転換させる。学長室へ向かうのだろう。庶務ではなくそこに直接話を通しに行くのだろう。
リディア別の奴に任せて自分の役割を果たす彼の度量に胸が焦がれる。
ディアンが指を動かすと、可視化された転移陣が開く。
転移陣は、相当な準備が必要で、しかも専門の魔法技師が必要なのだ。いつでもどこでも開けるわけじゃない。なのにさきほどからこんなに容易に発動させているのだ。ウィルはまたひとつ、やつとの能力の差に愕然とする。
だが、首を振りその考えを振り払う。
今は――リディアだ。
「リディアを頼む」
ディアンは頷いて、ふと思いついたかのようにウィルに目を向ける。
「――呑まれるな。気を許したら喰われるぞ」
「ああ」
それはアロガンスとの契約のことだろう。アドバイスらしきものに、応じる。
“――ウィルとやら”
先ほど、リディアの危機には全く反応しなかった奴の声が響く。ウィルは自然振り返ってしまう。しかしアロガンスのの姿はない、ただ声が響くだけ、しかも何かを含んでいる口調だ。
必要な時には反応せず、用があるときだけ接触してくる。どうやらコントロールには相当な訓練が必要なようだ。
“――せいぜいあの娘を手に入れるよう励め”
ウィルは肩をすくめる。
「言われなくても」
別にこいつを喜ばせるために頑張るわけじゃねーし。
“――そなたも難儀よなあ。人の子にここまでかどわかされるとは”
アロガンスの声が響く。自分に向けてではないと気づいたのは、アロガンスがウィルではない方へと声をかけていたとわかったからだ。
だがディアンは背を向けていて、すでに転移陣の中だ。
聞こえてないのか?
一瞬、呼び留めようか迷う。
しなかったのは、その獣の口調が何かを含んでいるかのようだったから。
“なあ――魔王よ”
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