214.バーナビー

 リディアを先頭に横穴に入る。

 順番は、リディア、ウィル、バーナビーとした。リディアのほうが小柄なのだ、大きい体が先にはいると、詰まるだろう。

 なにかがいた時に危ない、という彼らの反論には、絶対応じなかった。

 ついてくるならば、自分リディアが先頭といえば睨みつけ(これはウィルだけ)黙った彼ら。

 しぶったけれど、これだけは譲れない。


「ホント頑固! なんで守られようとしねーんだよ」


 ウィルが後で吐き捨てる。


「ごめんね、可愛げがなくて」


 ウィルが更に舌打ちする。本当に苛立ってる? 


「――っちっ。カワイーよ! だからムカつく」


 小声で吐き捨てる。

 動揺したわけじゃないけど、リディアは石に躓いて、僅かに前のめりになる。途端にウィルが腕を後から掴む。


「ホラ! あぶねーじゃん」

「暗くて見えなかっただけ」


 光球の灯りは最小限に抑えてある。これから行く先で、何が待ち構えているかわからないから、相手に見つからないようにだ。


「アンタのほうがヒールだし、体重も軽いし、躓いたりする可能性が高いの! 何かが来たときも吹っ飛ぶ可能性も高いんだよ」

「うん」


 リディアが肯定すると、ウィルはようやく腕を放す。そして不意打ちのように尋ねる。


「……動揺した?」

「え?」

「さっきので」


 いきなり身を屈めて聞いてくるのやめて。リディアは答えず顔を背ける。


「ふーん。……なるほどね」


 ウィルは、呟いて肩をすくめてそれ以上は聞いてこない。ただ何か悟られたようで面白くない。


「何?」

「ほめられ慣れてないんだなー」

「人のこと、悟ったように言うのやめて」

「リディアが尋ねたんだけど?」


 その通りだ。リディアは口を閉ざす。だんだんウィルの口の上手さに敵わなくなってきている。


「――いるよ」


 不意にバーナビーに言われて、リディアは足を止める。ウィルも同様だ。

 これまで直進してきていたが、正面は行き止まりになり、左方向に横穴があいている。


「この先?」

「うん。何かいるよ」


 リディアは光球を手のひらに戻して、一瞬考えてから胸元に入れなおす。


「……なんで、そこ」


 ウィルが口元を手で押さえて呻く。


「天井に飛ばすスペースもないし、手の中だと邪魔だし。服の中だからほんのり明るい」

「あのさ、見ずにはいられない」

「見なくていいの。ホラ前だけ見て。こっち向かない」


 リディアは彼らに背を向けて歩き出す。


「……魔女め。煽る魔女め」

「その通り。魔法師だもん」


 リディアは、誘導されるように更に奥へと続く穴のほうに足を踏み出す。

 後に二人も続いてくるが、足を踏み入れた途端にリディアは顔をしかめた。


 毛が逆立つような感触だ。


 リディアは、自分の肌を撫で、それから臭いを嗅いだ。魔獣のたぐいは、視覚で捉えるよりも臭いのほうが存在を示すことがある。

 今は両方ともにない。

 つまり、魔力を帯びたものの気配はない。


「なんか、広くなった?」


ウィルの声にリディアも周囲を見渡す。いつのまにか三人並んで歩けるほどの空間。

不自然だ。こんな空間を物理的に作れのは容易じゃない。

 

 つまり、何か不自然な力の作用――。


 先ほどの部屋を思い出す。呪詛や魔術の痕跡はなかった。怪しいのは、ただこの横穴だけ。特に不審なものはなかった。


 リディアは、足を止めた。


(――あの部屋、なんであんなものが、あったの?)


 どこにでもありそうで、けれど不自然なアレ。


 ――不審なものは、すでに持ち去られていた後だとしたら? その元凶がなくなったとしても、呪いや術は消える?


 ――否だ。


 解体工事が入ると聞いた時、そこにモノを隠していたとしてら――それを隠した人物は――焦って持ち出すかもしれない。


 後を振り返り、リディアは彼らをどかして横穴の入口まで戻る。

 そして呻いた。不可視の壁があり、通れない。


「リディア?」

「閉じ込められた、ごめん――」


 リディアが謝罪を言いかけると、ウィルが腕を伸ばし手で口を押えてくる。


「ストップ。『つれてきてごめん』とかは言うな。俺たちの意思で来たんだよ」

「――うん」


 確かに言おうとした。連れてこないのが正解だったけれど、そう言われたくないのだと言われると、謝罪はリディアのただの自己満足になる。

 リディアが素直にうなずくと、ウィルは手を外す。


「先に進むしかないけど、ここでまーー」

「待たないからな、一緒に行く」


 ウィルに続いて、バーナビーも頷く。


 リディアはわかったと、神妙に頷いた。

 そこからは無言でまた前に進む。


 ――しばらく無言で歩く。足元は瓦礫が転がっていて、次第にガリガリと壁を掻くような音が響いてくる。確実に何かいる。

 しかも、このカサカサいうのって、いやな予感しかしない。


 リディアは気合を入れる。深呼吸をして、心を落ち着かせる。


 ――唐突に、目の前が深い闇になる。


 いや、暗闇に何かが動いていた。闇の中、天井近くで何かが揺れている。一番闇が深いところ、黒いものが、闇が揺れて濃さを変える。


 闇と一体化しているものが、また楔を振り下ろし、壁をうがつ。

 目が慣れてくると、たくさんの足がカサカサと瓦礫を掻き出している。

 カツカツカツカツと口角が噛み合う。ガン、ガン、その尾が地面を穿ち穴を開ける。


 その顔は見えないけれど――おそらく二メートルぐらいある虫。さそりに似ている。


 そして、いつの間にかこの空間は大きくなっていた。この二メートルの虫が走ってくるには十分な広さだ。常識ではありえない。


 閉じ込められたと同時に、空間も何かの作用が及んでいるのだろう。


(無理だーー。これ以上は、巻き込めない)



「――二人とも聞いて」


 リディアは囁く。


「合図をしたら回れ右して、先ほどの閉じ込められた壁までダッシュ。いいわね、返事はしなくていい」


 リディアは蠍の動きを見る。唐突に、蠍が振り下ろしていた楔を持ち上げて空中で停止させる。カサカサカサと足が、うごめき、そして首が振り返る。

 リディアは口を開く。


「3,2,1――走って!!」


 リディアは鋭く言い放ち、彼らが動き出す気配と共に、真正面に向かい足を踏み出す。蠍まで急進し直前で足を止める。


 巨大蠍が顎を大きく開き、地面のリディアへと振り下ろすべく頭を仰け反らす、リディアは右腕を大きく振りかぶる。

 

 その瞬間、後から何か――腕だと分かった、そのときにはもう身体が浮かんでいた。

 視界が高くなる、足が浮く。後ろ向きに持ち上げられて、足が空気をかく。


「な、なにすんの!!」

「リディアの行動なんてお見通しだっつーの」


 後からの腕がリディアの腰に回ったと思えば、器用にリディアを反転させると肩に担いで、虫に背を向ける。

 そのまま彼は虫を背にして猛ダッシュする。そしてバーナビーがすれ違い、リディアの代わりに走っていく。

 すれ違いざまにゆるりと笑う顔。


「やめて、バーナビー!! ウィル下ろして、下ろしなさい!!」


 けれど、バーナビーは戻ってこない。


 ウィルの背を叩く、相当痛いはずなのにおろそうとはしない。


「バーナビー!!」


 リディアは担がれたまま身をよじり、バーナビーを見る。

 彼が足を止め、蠍と対峙する。手は下ろしたまま、掌が大きく開かれている。そしてなぜか蠍が動きを止める。そのまま両者動かない。


(何をする気なの!?)


「くそッ!」


 けれど、リディアを抱えたままのウィルの悪態が聞こえてリディアは振り返った。


「これ以上、やっぱり進めない!!」


 目の前には蠍が穿った穴、その侵入口がある。その先はここよりも明るい、広い空間が目の前に広がっているのに、ウィルの片手は見えない壁を叩いている。


「ウィル、おろして!」 


 ウィルの首にしがみついて、足をばたつかせる。

 見た目より筋肉の張った逞しい肩だ。リディアを抱えたまま走れたのだ、自信があったのだろう。そのための体重確認だったのかと思うと、自分の行動を予測されていたことに、悔しさが募る。


「暴れると――パンツ見える!」


 その言葉はリディアをおとなしくさせるのには十分だった。


(あとで、覚えてなさい!)


 リディアは、ウィルを叩いていた手を外してタイトスカートを押さえて、背後を振り返り、バーナビーを見つめる。


 一方でバーナビーは緩やかに動作をしていた。開かれた両手、何も持っていないのに、力を込めているように感じる。手をあげると虫は押されたように後ろににじり下がる。

 ぶるぶると堪えるように、そのまま蠍は震えだし、バーナビーが手を上げるたびに、少しずつ空中に浮かび上がる。


――念動力、だ。


 魔法ではない。まれにこの超能力というものを持つ種族がいるとは聞いたことがあるけれど、バーナビーがそうだったなんて。


 固唾を呑んで見つめていたら、ウィルもリディアを肩に担いだまま足を止めてくるりと振り返る。リディアはぐるりと回転させられる。見やすくなったのはいいけれど、このままの姿勢は落ち着かない。


「下ろして、ウィル」


 無理やり降りようと身体を揺らすと、ウィルがリディアの身体を一度しっかり抱きしめてから滑らせるように地面に下ろす。


 なのにそのまま後からお腹の下で手を組んで、ホールドする。顎を頭の上に置かないで!


 バーナビーはまだ蠍と対峙していた。

 彼はさらに蠍を持ち上げていた。天井近くまで巨大蠍を持ち上げると、地面にひっくり返すように叩きつける。

 リディアは、もちろん終わるまで大人しく見物していたわけではない。

 ホールドは本気でやらないと効果がない。リディアが腰を落とすと、ウィルの身体が前にかしぐ。その瞬間、腕をすりぬかせ、リディアは拘束から外れると走り出していた。

 

「――リディア!」


 リディアは、蠍が地面に叩きつけられるその直前に、腕を振り上げて手の中のものをその巨体の下に滑り込ませる。


 地面に落ちて一度バウンドした蠍は、ひっくり返って多足をカサカサと天井に向けて動かしている。

 その下にはリディアが投げつけた魔法具――ガラス玉が割れて蠍を取り囲むように魔法陣が開かれる。それは一線一線が赤い光を放ち、天井に向けて線を立体的に伸ばし、映像フォログラムのように蠍を閉じ込める牢となる。


“東には光 西には月 南には星 北には空。右手には炎 左手には風 右足には土 左足には金 聖人アレクシスと賢人ヨシュアの名において、邪悪なる意思を封じ込めたまえ。我の魔力を楔に、我の言葉を契約に、我の意思を錠とせよ”


 魔法陣が放つ赤い光が強く輝き、その中の蠍が暴れても微動だにしなかった。


「倒したの?」

「いいえ、一時的に封じたの。あらかじめ魔法陣を作って携帯してきて正解だった」


 このところいろいろ怪しいことが起きるから、魔法陣を持参してきたのだ。


「あれは魔獣?」

「いいえ、おそらく呪詛による傀儡。呪いを成就させるための実行犯」


 あの蠍からは魔法の気配がない。呪詛による仮初めの命だろう。陽炎のようなものだが、物理的な攻撃力は魔獣と同じくらいの威力をもつ。


「魔法では、呪いを防げないのよ」

 

 二年前はそれで痛い目にあった。

 リディアは、呪詛を封じる魔法陣を作り上げた、それがリディアの大学院時代の研究内容だ。

 呪いを封じるのではなく、悪意ある意思を封じるもの。ただし虫や幻獣のように意思を形として出てきた形あるものの動きを封じるだけで、呪い自体は解けないし、対象者の肉体に及ぼされた影響も防げない。

 まだリディアが望む成果までは程遠い。


「あくまでも足を繋ぎ止めているだけ。今のところは持つけど、永遠じゃないから」


 動きを止めるには倒すしかない。ただ、呪詛により発現したものだから、呪詛自体をなんとかしないと、また新たな傀儡が生まれる可能性もある。


(そもそも、呪詛は対象者が決まっている。私たちに襲いかかったのも、ここで迷っているのも――)


 リディアは首をふって思考を切り替える。


 一息つこうとして、リディアはバーナビーが突然、糸が切れた操り人形のようにカクンと座り込んだのを見て、慌てて駆け寄る。


「バーナビー!?」

「おい、どうした?」


 バーナビーは、苦しげな顔で苦く笑う。


「ごめん、時間切れだ」


 まさか、とリディアは思う。

 けれど、あの時の予感を――バーナビーの返事の違和感を思い出して、そして口を開く。


「薬、飲んでないのね。バーナビー」

「ばれたね、ごめん」

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