208.実験

 三人でリディアの部屋に帰って来て、まずリディアはお茶を入れた。それから手製のピザトーストを置く。

 本当はキーファに付き合ってもらったお礼に、ランチを奢ろうと思っていたのだが、彼に辞退され、それと共に外で話さないほうが良いだろうという結論になり、三人でリディアの部屋に集まったのだ。


「うまそーいただきます!!」

「美味しそうですね、いただきます」

「どうぞ」


 食パンに玉ねぎのスライスを載せ、マヨネーズとケチャップをかけてハムとスライスチーズで蓋をしてトーストする。簡単なものだけど、結構美味しいのだ。ついでにコーンスープも添える。缶詰のコーンクリームペーストを豆乳で薄めて、顆粒コンソメで味付けしたもの。胡椒とパセリでアクセント。


 ぺろりと食べて指を舐めるウィルに、ナプキンを渡したリディアは尋ねる。食べっぷりがいいのは見ていて気持ちがいいし、うれしい。


「おかわりいる?」

「いる!!」


 キーファが睨んでいるけれど、リディアは苦笑して彼にも尋ねる。


「キーファは?」

「俺は――」


 言いかけて口ごもるキーファに、リディアは笑顔を見せる。たぶん、ウィルの手前食べたいと言い出せないのだろうな、と。

 だがその視線の先にあるのはリディアの胸元で揺れるネックレス。その視線を追ってリディアは顔を赤く染めて、立ち上がる。


「……作ってくるね」

「ふーん」


 ウィルが思わせぶりに呟くのを無視してキッチンに立ち、トースターを開けたところでウィルがキッチンの入口に立っているのに気が付いた。彼のもの言いたげな目。

 

 慌てて背を向けて、ピザに手を伸ばす。けれど、その真後ろに立つウィルにさらに動揺したせいか。

 冷蔵庫の上、リディアより少し高い位置にあるトースター、伸ばした指ではなく、親指の付け根に熱い鉄板が掠めた。


「――っ」


 思わず手を引っ込めて押さえる。

 直後に掴まれた腕、抗議を上げかけた声を遮る強引な力。

 引っ張られるように流し台まで連れていかれる。蛇口をひねり、彼の手ごと冷たい水に赤くなった肌が晒される。


「ウィル!」


 流水音にかき消される声。見上げた隣の顔はやけに真剣だった。


「ウィル、大丈夫よ」


 こちらを見ずに、ただ流れ落ちる水だけを無心に見ている顔。


「――あのさ、俺、リディアを見るとうれしくて犬がしっぽを振るみたいに……反応しちゃうんだよな」


 音に紛れる彼の声はリディアの耳によく通る。


「けどさ、けど。……今日キーファといるのを見て、嫉妬した」


 リディアは口を開きかける。でも何を言えばいいのかわからない。あれは……でも確かにデートだ。否定することはキーファを否定することだ。


「正直――迷ってる」


 吐き出されたウィルの言葉。

 リディアは彼の顔を見上げて空いている手を伸ばす。

 何をしようとしたのかは、わからない。背を撫でて大丈夫だと伝えたかったのかもしれない。彼の魔法はまだ完成していない、出遅れているけれど安心させたかった。


 ウィルがふいっと顔を上げる、リディアもそのことに気を取られた瞬間だった、ウィルは冷やしていたリディアの手の甲を取り、濡れたままの手首に唇を寄せた。


「っ、ウィル!!」


 抗議の声をあげたリディア。止める間もなかった。

 引き寄せた肌は彼に吸われて、赤い痕がついていた。慌てて自分の手を強く引き寄せて、距離を一歩取る。


「行こうか、キーファが待ってる」

「ウィル、あなたね!!」


 不意に終わらせた会話にリディアはついていけない。けれど背を向ける瞬間、彼の逸らした顔が何かをこらえるように強張っていた。


 トースターの中で出来上がっていたピザを取り出して、ウィルは先に部屋に戻る。

 ちょうど窓を閉めたキーファが振り返る。ウィルは素知らぬ顔でピザを食べ終えていた。リディアは吸われた肌を隠すように、カーディガンの袖を下ろして、そこをそっと押さえた。

 

 キーファは何があったのかを気づいているかもしれない、目が案じていた。


「――一度換気をしました」

「ありがとう。確かに臭いがこもっていたものね」 


 彼の落ち着いた、そして何も聞かない配慮に安堵して気を取り直す。

 

 まず全員にマスクと手袋を着用してもらう。

 そして、キーファに買ってきてもらったものをそれぞれ白無地の紙の上に置く。


 アンプルに入った液状のものが二種、アルミパッチに入った錠剤系が三種、粉末が二種。どれもゲームで使うためのもので、相手を従わせるものだという。


「ひどい、こんなの市販されているのね」

「その気になるだけで、実際の効果がないからって知ってるからじゃん? 恋人や仲間同士でお使いくださいって書いてあるし」

「成分も書いてないから危険よ、そもそも恋人同士であってもDVになりかねない」


 同意なしの性行為は、恋人同士の間でもDVだ。


「それ、魔力増強薬と関係あるの?」


 わからない、とリディアは首をふる。

 ただ近年、魔力増強薬や偽物の乱用が魔法会で問題になっているのは事実。本物であっても、依存性があるし、長年の服用による魔力の枯渇作用も明らかになってきた。


「ただの遊びのグッズと思っていたら実は依存性物質だったら大変でしょ。販売者が意図的かそうじゃないかにしろ」


 販売者が意図的だとしたら悪質だけど、一生顧客になってくれるから知っていて販売している可能性が高い。その場合は闇の業者が関わっている場合が多いけど。


 または実験。一般人が知らずにデーター収集されている可能性もある。安価で大量生産できる偽魔力増強薬は、闇マーケットで需要が高い。


「師団でもね、問題になってるみたいなの」


 団長、副団長、それに準ずる者が許可をした場合にのみ服用可、としていたけれど、近年その規則が変わりつつあるらしい。


 リディアが在籍していた頃は、増強薬を使うなんて魔力不足を晒すみたいで恥ずかしい、みたいな気質があった。それでも必要とされる現場もあったから使用は上席者の判断。けれど、依存性があり中毒者が出ないわけではなかったから、ディアンもワレリーも団員には使用を好まなかった。


 けれどここ最近上層部が圧力をかけてきているという。便利なものは使え、と。むしろ積極的に取り入れる推進派が躍進してきて、議会で法案を通そうとしてきて現場を悩ませているらしい。団員を駒としか考えていないとワレリーもディアンもその阻止で忙しいらしい。


「私もね、依存者のケアに当たってきたから増強薬は絶対反対。どんなものでも、副作用はあるのよ」


 だからその芽となりそうなものが巷にあふれているのであれば、報告しておきたい。とはいえ、当てずっぽうで報告もできない。せめてケイが使ったものを特定しておきたい。というわけで、自分で購入してみたのだ。


 パッケージを開けて中のものと一緒に写真をとる。それから重さを計る。


「あ、待って。私が最初に匂いを嗅いでからね」


 不思議そうな顔をするウィルを制止する。


「そんな危険なものですか?」

「いいえ。こういうグッズだし効果はないと思うけど」


 生徒が匂いを嗅いで、ラリっちゃいました、じゃ懲戒免職だ。キーファがリディアの手を止める。


「確か先生、薬が効きやすいんですよね」

「ええと」

「俺達が嗅ぎます。それに先生、ケイといた時の記憶は定かじゃないでしょう?」


 リディアは考える。


「こうしましょう。二人でそれぞれ一つ嗅いだら十分程様子を見る。何も無さそうなら、次を嗅ぐの。半分を嗅いだところで、暫く休憩しましょう」


 全部で七種類だ。内服薬ならば三十分で効果がでるだろうが、嗅ぐくらいならば十分程度様子を見ればよいだろう。介抱役も自分の方が適任だ。


 怖いのは、複数嗅ぐことで相乗効果になってしまうこと。だから三個ほど開けてみたところで、一時間ほど休憩して様子を見る。前に嗅いだ匂いともまざらなくなるし。


 パーティグッズだ、慎重すぎると思う。けれど、慎重にしすぎて悪いことはない。

 退屈な作業だが二人は文句を言わずに協力してくれている。ひとつ目を開封してキーファはウィルに渡す。ウィルはくん、って嗅ぐ。二人共が首を振る。


「舐めないでね」


 念を押して、匂いを嗅ぐだけにとどめた。それを繰り返すこと三回。四つ目の袋、こちらは粉末だ。キーファに渡されたそれを嗅いだウィルは首を傾げた。


「ちょっとリディアいい?」

「何?」


 手招きされて、ウィルの前に座らせられる。首をかしげていると、キーファも訝しげな顔。

 ウィルはそんなリディアの頭を引き寄せると抱きしめた。


「な」

「記憶たどってんの」


 ウィルの鼻が頭頂部に当てられる、クンッて嗅がれてリディアは小さく叫んだ。


「っ、やめて!?」

「うーん、そんな気もする」

「ウィル!!」

「な、キーファどう思う?」


 手を振り上げたキーファに、ウィルは振り返る。彼は苦い顔で、ウィルの襟首を掴み後ろに下がらせる。


「待てって、今確かめてんだから」


 ウィルはリディアの首筋に顔を密着させる。


「やめて!」


 リディアは拳を振り上げたけど、それで殴る真似だけをした。


 ――教師は生徒に手を出してはいけない、んもう! 


「これかも」

「絶対わざとでしょ。こうしなきゃわからないわけない!」

「うん、わざと」


 ウィルの顎に手をかけて押しのけると彼は満足げ。


「なんで匂い嗅ぐの!?」

「リディア、いい匂いすんだよな」


 リディアは顔を赤くしてパンチの真似事をした。その拳を受け止め、握り締めてにやりと笑うウィル。じゃれてるわけじゃないからね!


 キーファが睨んでいるとウィルは悪びれずに笑う。


「いいじゃん。お前、今日いい思いしたし」


 口を開きかけたキーファだが、何も言わず彼は口をつぐむ。


「ウィル――」


 リディアが何を言うべきかまだ決めかねながら、窘めるように口を開きかけると、彼は肩をすくめる。


「いいよ、別に何かの協定結んでるわけじゃないし。――今日は、譲ったけど」


 ウィルは悪びれない。キーファはため息一つついて、けれど気分を切り替えたのか、また実験に向き直る。


「残りもやろう。リディアはウィルから離れていて下さい」

「私。お茶の準備するわ」


 リディアはわざと二人から距離を取る。

 

 どうもウィルの感覚がわからない。拗ねているようで、でもわざとはしゃいでいるような気もする。


 調べる二人を見ながら、リディアは内心、首をかしげた。

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