209.意外な事実
そうして全部の匂いを嗅ぎ終わり、ウィルがリディアを手招きする。
そして三種の袋を渡してくる。
「このあたりの匂いが、リディアがおかしくなっていた時の匂いに近いかなって、俺達は思う」
「成分記載はないのね。『ラブゲーム』『王様と奴隷』ひどい名前……『メイクセックス』、エッチな気分にさせちゃう?」
生徒と一緒にこんなの見て、なんかいたたまれない。そもそもキーファにこんなのを買いに行かせたのも、生徒に対するセクハラと思われても仕方ないかも。
「リディア、飲むなよ?」
「飲みません」
「飲んでおかしくなったら、連絡して」
「しないってば」
ウィルをサラリといなして、リディアは二人を見つめ返す。
「ごめん。こんなのに付き合わせて」
「いいえ。一人で調べられるよりは安心なので」
「そうそう、キーファなら手を出す心配、ないもんな」
ウィルの言葉にキーファは黙る。何か含んでる?
「そうね。ウィルも信頼してるから」
さらりとリディアが告げると、ウィルは黙ってしまう。うん、ようやくペースをつかみかけてきたぞ。
「一応全種類、師団の知り合いに成分を調べてもらう。このことは黙っていてね」
神妙な顔で頷く二人に、リディアはありがとうと告げる。リディアも匂いを嗅いでみたが、特に変わった症状も起こさずに済んだ。
「ん?」
リディアが首を傾げると、キーファが心配そうに身を乗り出す。リディアは首を振って匂いを振り払う。
「リディア?」
「いいえ、少しくらってきたかも」
意識がふわふわした感じになってすこしけだるい。
でも気のせいかもしれない。『王様と奴隷』の匂いは、確かにケイに飲まされたものに似ている。
「横になりますか?」
「リディア、水飲んで」
キーファに背を支えられて、ウィルに水を渡される。
「なんかほんと、感じやすいんだな」
「気のせいかも――ううん、でもやっぱりそうなのかな」
ありがとう、といいながらグラスを置こうとしたら、ウィルがそれを受け取る。ふと彼の顔を見上げていた。
「何?」
「――いいえ、何か」
この感覚、初めてじゃないような気がしたのだ。前もこうやって――。この匂いと、このめまいと、支えようとする腕と、前もグラスを返して――。
リディアの頭に一つの光景がよぎる、それは自分の寝室。
あの時自分は取り乱して、心の奥底に淀む思いをさらけ出して話していた――誰かに。
あの時も――二人がいてくれた。
リディアは不意に顔に熱がのぼるのを感じた。
「リディア、顔が赤いです、熱でも――」
「ううん、平気!」
わずかに距離を取ると、キーファの驚いた顔。
「リディア?」
ウィルも身を乗り出してくるから、困る。心臓がうるさい、顔が熱い。
動悸が激しくなる。どうして――意識しちゃうの?
「あの、ちょっと離れて」
二人が首を傾げている。
「なんかこう、ちょっと――」
リディアが両手で口を抑えて深呼吸を繰り返していると、ウィルが半信半疑という口調で探るように聞いてくる。
「リディア、もしかして意識してる?」
「っ、ちがう!!」
キーファも驚いた顔で、その瞬間彼の顔も赤くなる。
「どっちに? 俺に?」
ウィルが両肩を押さえて身を乗り出してくる。そのがっついた顔に、リディアはなんだか笑ってしまって、そしたらあの妙な動悸も収まってきた。
「ふふ、ふふ。……あ、なんだか平気かも」
「ええ、なんで!?」
「やっぱりこの匂いの影響かもしれないですね。先生はもう嗅がないで下さい」
「あ、そうか」
リディアは胸をなでおろす。
いつも危ない時にこの二人が助けてくれる、そう思った途端に――なんだか変な気分になってしまった。
いけない、いけない。これはやっぱりこの怪しいグッズのせいかもしれない。
「開封した残りは俺が保管しておきます。未開封のものは、魔法師団に送るんですよね?」
「キーファいいわよ、私が持っているから」
「いいえ。分析が終われば破棄します」
キーファは慎重な性格で全種類を二つずつ購入してきてくれていた。
未開封の商品をリディアは師団の化学検査部門の知り合いに分析してもらうつもりだった。
「大丈夫、ちゃんとケースに入れるから」
キーファはわずかに黙ったあと、頷いてリディアに渡してくる。
匂いをかぐだけでめまいを起こしたリディアを案じてくれているんだろうけど、一応怪しげなブツだし、学生に持たせておくわけにもいかない。
「ところで、あの女。――キーファ、知ってる?」
ウィルは不意に問いかける。レジで騒いでいたのはキーファも見ている。ケイのことを尋ねにきた院生のことだろう。
「確か、水魔法領域だろう? 修士の研究計画発表会で発表を聞いたことがある」
「研究発表会に行ったのね? さすがね」
院生の研究計画発表会は学内関係者ならば聴講がオープンだが、学部生はわざわざ行こうともしない。 リディアも忙しくてエルガー教授の領域の学生の発表しか聞いていない。
ウィルは存在さえも知らなかったみたいだ。
「俺は進学も考えていたので」
そうなの? キーファが修士に進もうと考えていたのは初耳だ。でも研究者になりたいのならば、博士号までとるのが必須だ。学部を出た後、修士二年(博士前期課程)、博士四年(博士後期課程)、学部によってリミットは違うけれど、最低でもそのぐらいはかかる。
キーファならば最短で修了できるだろうけれど、険しい道だ。
詳しく聞きたいけれど、今は進路相談の時間じゃない。
リディアは後で聞こうと、頭の中にメモをする。
「彼女の発表、どんなのか覚えている?」
発表会の資料はたいてい回収されてしまうから調べようがない。学生でアイディアの段階でも、その研究者の知的財産であり盗用を防ぐためだ。
キーファが眼鏡のフレームを押し上げる。記憶をたどるように僅かに黙ってリディアに目を向ける。
「たしか、治癒魔法における痛み緩和のスケール」
「……魔力増強薬とは関係無さそうね」
水魔法領域ならば治癒魔法は無難な選択。けれど、魔力増強薬は関係なさそう。そもそも、修士課程の学生がお金のかかる魔力増強薬を扱うだろうか。
「博士ならば使っていてもおかしくないけど」
博士課程ならば、高度な研究をしていてもおかしくないけれど。
「院生室は、修士と博士は共有しています」
「部屋に保存してあるかもね」
リディアは頭を振る。
「フィービーに聞いてみる」
同室のフィービーは水系魔法領域の教員だ。院生が何の研究しているか、知っているかもしれない。
***
「水領域の院生? たしか、ジョーンズ……」
火系魔法領域のサイーダが言いながら首を傾げる。フィービーはまだ来ていなかったから雑談程度に話を向けてみたのだ。
いつも忙しいサイーダだが、今日は手が空いていたのか、フィービーの机の背後の壁に足を向け、そこに貼ってあるプリントに目を向ける。
「そうそう、メグ・ジョーンズじゃない?」
リディアも追いかけると、そこには院生の名前が貼られていた。
「どんな子か知っていますか?」
「うーん。おとなしいって聞いたことあるような……」
「院生で、魔力増強薬を使う研究をしている子はいますか?」
サイーダは首を振る。
「知らないけど、高価よね。領域費で共有しているところはあるかもね」
「このあいだ、そのメグ・ジョーンズらしき子が薬局で購入しようとしているのを見て」
「……変ね」
サイーダの首を傾げる理由がわからない。
「院生の研究物品は、フィービーが一括注文しているの。特にそんな取り扱いが難しいもの、個人で買うかしら」
「フィービーが? どうしてですか?」
リディアも、サイーダも、院生とゼミで顔を合わせるだけ。基本は学部生の面倒しか見ない。なんでそんな院生の雑用のようなことをしているの?
「ああ、うん」
わずかにサイーダは黙る。いつも飾らない口調で、ハキハキと思ったままを口にする彼女にしては珍しい。けれど、躊躇は一瞬。彼女はあっさり口を開く。
「それは、フィービーが学部生の教育から外されてるからよ」
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