206.大人の世界

(それにしても見つからない)


 リディアは、キーファと離れて別の棚に向かい、商品を並べている男性店員に声をかける。


「すみません、お尋ねしたいのですが」

「……」


 のっそりと振り向いた男性はずいぶん背が高く、横幅も広い。店の黒いエプロンが埃で白ずんでいる。


「遊びで……精神を高揚させる飲食物系――そういうのってあります?」


 長く伸びた前髪に、うっそりとした重たげな瞼をひらいて、リディアを見定める目に若干怯む。

 説明がまずかったかも。これじゃ、怪しい商品を探しているみたい。


「ふーん」


 髭に覆われた口元が歪んだ。

 リディアは身構えかけて、いやいやと自分を戒める。一般人とけんかをしてはいけない。

 けど、ちょっと店員の質どうなの?

 

 彼が無造作に顎で示したのは、店の奥の一角、カーテンで仕切られた入口。カーテンは光沢のある黒い安っぽい生地。デカデカと赤字で進入禁止マーク。

 

 リディアは内心の動揺を隠して、ありがとう、と小さく呟いて足を向ける。未成年者侵入禁止のエリアだと推測する。いけないことをしているような気分になるけれど、自分は成人で、社会人。


(変なものがあったらどうしよう)


 変なものって何? いやいや別に期待しているわけじゃない、興味なんてないからね!

 誰かに心の中で言い訳をして、何気ないふりで歩きだしたら、ちょっと待ちな、とリディアの腕を掴む大きな手。


 心の中を見透かされたようで肩を跳ね上げさせてしまう。


「――お嬢ちゃん、ID」


(――おじょう、ちゃん?)


 私は成人していますけど! と言いかけて先ほどの店員をにらみ上げたら、薄ら笑いで見降ろされる。

リディアは黙る。

 一般人とけんかはしてはいけない。


 まあ確かに、この格好では疑われても仕方ない。やっぱりスーツが良かったか。いや、でも大学教員ポイ格好でもね……。それはそれでまずい。


「――まず手を離して」


 男は笑みは浮かべたまま、だが離された手。リディアは自分のPP個人端末をひらいて、渡そうとする。

 と、背後から肩に置かれる手にまたもや驚く。そしてその人物はリディアの画面を手で覆う。


「だめですよ」

「――キーファ?」

「何だ、お前」


 キーファは無言でリディアの端末をリディアの方に押しやると、自分の端末をポケットから取り出して提示する。


「――フン」


 男はちらりと一瞥するだけだった。つまらなそうにキーファを睨んで、また背を向けてコンテナの前にしゃがんでしまう。


「あの――」


 キーファの登場に明らかに不機嫌となった男を見送り、リディアは横に立つキーファを見上げる。

「キーファ?」


 あ、なんか怖い。少し怒っている?


「リディア。名前や住所を晒すのは十分に気をつけてください」


 キーファがそちらの方へ、というよりも店員から離そうとリディアを促し歩き出す。少し歩調が早い。


「そうだけど。でも、ただの確認だし」


 別に不信ではない、態度が悪くて少しけんか腰になってしまったけれど。

 けれどキーファはリディアを見下ろす。その眉が寄っている。


「あなたは女性です。そして、こういう時のために俺がいるんですよ」

「あなたの個人情報も大事よ」

「男の俺のことが明かされる方が、まだマシです」

「けれど、あなたは生徒だし」


 キーファはリディアを正面から見下ろす。


「では言います、俺が嫌なんです。あなたが危険な目に合うのも、そもそも他人にあなたのことを知られるのも。後になってあなたが狙われる目に合うリスクは阻止します」


 そう言ってキーファは、リディアをじっと見下ろす。


「なにか反論があるなら言って下さい」


 リディアは困ってしまいながらも、キーファに頷く。


「ありがとう」


 キーファは目を瞬く。


「なぜ?」

「そう言うのが一番正しいかなって。全部私を庇ってくれてのことだから」


 キーファは顔を赤くして、眼鏡の下の目を僅かに逸らす。


「キーファ?」

「正直お礼を言われるなんて思っていませんでしたから。キツく言い過ぎたことは反省しています」

「ううん。私に本音で話してと言うならば、私もあなたに本音で話して欲しいし」


 リディアが笑顔を見せると、キーファは口元を手で覆い、僅かにだまる。


「俺は――妹に、煩いってよく言われます」

「そうかしら? 確かにあなた自身は大変そうだけど、私は嬉しかった」


 キーファは目を見開いて、口を震わせる。


「……どういう、意味ですか?」

「あなた自身は苦労するかもしれないけどって。でも私を思って注意してくれたってわかるから。ごめんなさい、気を付ける」


 キーファは苦笑を口端に上らせる。目元が笑っている。


「俺は、結局あなたに――敵わないですね」

「そんなこと」

「いいえ。嬉しいです。でも少し悔しい」

「悔しい?」

「わかってもらえないならいいです」


 その口元がまるで少年のように悔しげに歪んでいる、リディアがなおも問いかけようとすると、彼は背を向ける。


「少し……頭を冷やすので、一人で行ってきます」


 キーファは会話を打ち切って、先程の怪しい成人ブースへ「見てきます」と足を向けようとする。

 

 あんなコーナーで頭が冷えるのだろうか。キーファは動揺しているのかもしれない。リディアが困らせたから。


「待って。私が行ってくるから」


 キーファは片眉をあげて、まじまじと見下ろす。その呆れたような物言いたげな目にリディアは顔を赤く染める。


「平気よ、私も成人しているのよ」

「言ったでしょう、俺が嫌なんです。あなたはここにいて下さい」

「ちょっと?」


 だがキーファは素早くそちらに行ってしまう。リディアも追いかけて。けれどカーテンよりもだいぶ手前で足を止めた。


 一人になりたいって言うし。でも怪しいコーナーだし。


(……どんなグッズがあるのだろ)

 

 別に興味があるわけじゃないけど……興味がある。

 リディアはウロウロと伺うようにカーテンの向こうを見上げて、気合を入れる。先ほどの店員はいないし、自分は成人だ。見ても問題ない。


「よし!」


 決意して、向かうリディアは口を覆い被さる手に思わず息を呑んだ。

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