203.拠り所

*注: リディアの守り石、および風の魔石を碧玉と記載しておりましたが、正しくは翠玉(エメラルド)でした。最初の記載通りで進めようかと思いましたが、自分のイメージと違ってしまうので、直させていただきました。すみません!



 リディアがテーブルの上に置いたのは、リディアの瞳の色と同じ、翠玉の魔石だった。


「これは……」

「人形の呪いで少し濁っていたのだけど、満月で浄化が終えたから」

「そうじゃなくて」

 

 リディアは、さりげなく押し出した。


 ――その時に胸によぎったのはわずかな寂寥、それだけだった。


「あなたのタリスマン守り石にしたらいいんじゃないかと思って。あの時ね、あなたとの相性がよかったみたいだから」


 あの時、というのは、準備室にチャスとともに閉じ込められた時のこと。呪いを受けた人形に当たって、少し濁ってしまったのだ。


「そんな、まさか。――いただけません」


 キーファが驚いて慌てて身を乗り出すのを、リディアは落ち着いて待つ。そう言われるのはわかっていた。何しろ年代物だ、大きさからしても気安く人に譲るものではない。貰っても迷惑、それぐらいわかる。


「これね、私の祖母からもらったものなのだけど」


 祖母は嫁いできたときに、受け継いだそうだ。アンティークの宝石はそうやって子孫に受け継いでいくものである。だがその流れならば、彼女はリディアの母親にそれを渡し、リディアの母は自分の息子の嫁にそれを引き継ぐはず。


 リディアの祖母が、なぜ嫁であった母に渡さず、孫のリディアに渡したのか、それはわからない。ただ、彼女は魔法が少々使え、リディアと同じように魔法学校の初等科で教育を受けたと師団を辞めて自宅に帰った際に聞いていた。

 それを話す母親の口ぶりから、一族の中でも微妙な立場だったとリディアは推測している。

 

 リディアはそういった話をキーファに伝える。

 

 彼女はそれをずっと自分の守り石としてきて、息子である父や嫁である母にも見せず、リディアが生まれた際に、託してくれたのだ。


「祖母が私に託した意図はわからない。彼女は別邸に一人で住んでいたし、幼い私には自由がなくてほとんど一緒に過ごした時もないから。ただ、短い間だけど私は守り石として身につけていたの。この間の時に、私の貯えた魔力はほとんど放出してしまったから、次からはあなたがいいように使って」


「ですが……こういうものは、家宝として受け継いでいくものですよね。例えば嫁入り道具としてとか。そういう意図があったのでは?」

「そうかもしれないけど」


 彼女は何も言わなかったのだ。真相は永遠にわからない。


「あのね、魔法学校では先輩が後輩に魔石を贈る慣習があるの」


 キーファは真摯なまなざしでリディアの言葉を受け止めている。


「自分が贈られた石を、後輩に贈る場合も、違うものを贈る場合もある。そしてね、贈られた石を自分のタリスマン守り石として持つことが多いのよ」


 大学ではそんな慣習はない。だから彼らはそんな石をもつことはないが、魔法学校出身の魔法師は、未だに学校時代に贈られた石を自分のタリスマンにしている者も多い。


「キーファ。あなたは、ニンフィアと契約を結んだ。だいぶあちらの世界と関わることに抵抗がなくなったみたいだけど。そのうち術式なしで魔力の出し入れも訓練で習得できるようになるかもしれない」

「確かに、まだ苦手ですが」

「苦手そう、だからではないの。あの時、この石とあなたの相性がとてもよく感じたのよ。それってなかなかないの。手にした時、いやな感じはなかったでしょ?」


 通常は自分の属性の石を守り石にする、火属性のウィルにリディアが紅玉をあげたように。キーファの属性はわからない。だけど、この石と十分相性が良いように感じた。


「いや、ではありませんでしたが、むしろ――」


 キーファが言葉を濁し、少しだけ目をさまよわせる。リディアは慌てていいの、と付け足す。困らせるつもりはなかったし返事を強要するつもりもない。


「魔法師ってなるのも大変だけど、なってからがもっと大変なの」


 もちろんどの専門職もそうだけど、とリディアは付け足す。資格を取って終わりじゃない、そこからが始まりなのだ。


「あなたは勉強もしているし、とても器用よ。私よりもうまくやれると思う。それでも、これからたくさん苦労すると思う。たぶん、学生時代の百倍、もしくはそれ以上」


 リディアの体感では千倍くらい大変だった。


「どんな魔法師になりたいか、どんな理念でどうあるべきか、今も描いているかもしれないけれど、これから経験してそれを目指していくこともあると思う。その目指す形が見えてくるまでも大変だし、そうなるまでもすごく大変。私だけじゃないわ、あのディアン先輩も、ディックだってそうだったと思う」


 自分が何が得意か、どんな形の魔法師になるか、それは誰にもわからない、自分で道を選んでいくしかないのだ。


「いわゆる一人前になるっていうことだけど。表面的なものじゃなくてね、自分の中の芯というのかな、何があっても揺るがない信念みたいなもの、自分は“こう”だっていうのを作り出すまで拠り所となるものが必要になるときがある」


 リディアはまっすぐにキーファを見つめる。自分はそう信じている。


「揺らいだ時、くじけそうになった時、迷った時、その拠り所になるものにしてもらえたら、私は嬉しい」


 リディアは自分の翠玉をキーファの方にそっと押しやった。リディアは金環をつけてシンプルなネックレスにしていた。今はそれもちぎれて、飾りのないただの石だ。


「私にはもう――必要のないものだから。こういうのって次世代に引き継いでいくものよ」


 リディアも迷わなかったわけじゃない。祖母からのものだし、それなりの価値はあるだろう。


 師団ではつけていたけれど、辞めてから一時は外していた。

 そして、またつけ始めていたけれど、こうして手放すことを決意した。


 リディアは思いを込めて、それを見つめる。


 薄暗い部屋でほのかに光る碧。

 どうして、と呟いた少女がいた。


 ――拠り所にした。でも、もう終わりだ。


 区切りをつける。次に繋げる、その機会がきたのだ。


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