189.影

 暗い、暗い、闇の中。

 暑い、熱い、苦しい。

 

 いやだ、何か、くる。


 たくさんの虫。きれいな顔、こわい。


(いやだ……!)


 叫ぼうとした時、何かが額に触れた。

 途端に、何もかもが消えた。

 のしかかる闇も、たくさんの虫も……兄の顔も遠ざかる。


「重い……」


 額に何か載っている。いやだ、重い。苦情を言うようにリディアが眉間にシワを寄せると、前髪をかきあげるように頭を撫でられる。


(あ、そのほうがいい)


 ――リディア。


 そう、それは昔からの呼びかける声。


 ――焦るな。


 みんなについていけないのは当たりまえ。でも足手まといにはなりたくないから。


 ――お前のペースでいい。


 わかっている。誰が何をすべきか。どこまでやれるか、全て考えた上で配置されていた。それでも、それでも――自分の実力以上のことを示さないと。できて当たり前。無理をしているなんて見せられない。みんな余裕でこなしている。だから――。


 ――お前が負いきれなかったら、俺が負ってやる。


 でも。


 額に載せた手が言い聞かせるように重みを増す。

 リディアは答えない。そして、相手が根負けしたように再度頭を撫でる。

 リディアが寄せていた眉間を緩めると、ふっと離れる手。 


 ベッドが揺れる、横に載っていたものが離れる。

 光が差し込む、どうやらドアが開けられたらしい。

 誰かが出ていく。


 懐かしいような、寂しいような感覚。

 行かないで、と言いたくなる声を飲み込む。


 うっすら開いた瞼。

 戸口に立つ黒い影。


(……先輩?)


 呼びかけようとしたけれど、声は出なかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る