155.準備室に潜むもの

「先生?」


 明かりがつけられて、顔を上げるとドアを開けたキーファが、驚いた顔で見下ろしていた。


「具合でも悪いのですか?」

「え」


 しゃがみこんでいたリディアは、時計を見上げる。丁度十五時だった。


「顔色が悪いですよ」


 かがみ込んでくる顔は、案じている眼差しでリディアは我に返る。

 立ち上がろうとする制止されて、額に手が当てられる。驚いて顔を上げると、キーファの物言わぬ瞳が真剣にリディアを見つめていた。


「……あの」

「大丈夫ですか」


 大きな手だ、男の人の手。温かくて、硬くたくましい掌。ああそうだ、彼はアーチェリーをやっていたのだ。

 なんでだろう、その熱に胸が痛くなる。人のぬくもり、優しさ。彼は優しい、自分は優しい人を傷つける。


「熱はないみたいですね。貧血ですか」

「ううん。……立てるわ」


 離れた手が、ふらつくリディアを支えようと伸ばされる。


「すみません、勝手に。嫌でしたよね」


 慌てて首を振る。


「いいえ。手の皮、しっかりしているのね」


 キーファは驚いて自分の掌を見下ろす。


「いっぱい練習したのね。私はその手……安心した」

「……何かありましたか?」


 キーファはいぶかしげに尋ねる。わずかに探る眼差しは案じてのことだろう。


「違うの。少し、考え事。その――あまりにもメチャクチャにものが溢れていて」


 リディアがわざと笑みを作ると、キーファはわずかに黙った後頷いてリディアに同意する。


「――確かに。大変そうですね。先生一人じゃ無理ですよ」

「ね。これまでの教員も上の人も全員勢揃いさせて、掃除をさせたい!」


 キーファは、リディアの話題転換に付き合ってくれた。きっと何かを察しているのだろうけれど、リディアを見て穏やかに会話を展開してくれる。


 『演習室の管理はあなたの仕事よ!』って、教授に言われたけれど管理者名は教授だ。それに歴代の前任達は“管理”なんてしていない、“放置”していたのだ。いきなり自分が管理しろと言われても、困る。


 だいたい教授はこの大学に赴任して十年以上いるのに、自分の領域の演習室に入ったことがないと堂々と宣言していた。管理者なのに、それって許されるの?


「そういえば……ダーリングは?」


 キーファがリディアを見返す瞳に、なにか感づかれたかと身構えそうになる。けれど、その答えが返される前に、ドアが開いて声が響いた。


「――なんだよ、ウィルのやつ! 今日大学来てたのにさ」

「チャス?」

「キーファ、ウィル来ねえって……うわあ、すげえ」


 入ってきたチャスが絶句する。通路を塞ぐダンボールの山、ギュウギュウに押し込まれた物品は、ガラス戸がかろうじて転落を防いでいる。


「ゴミだらけじゃん」

「これでも片付けしたのよ」


 天井まで届く長い梯子をスライドさせながら、二人に声をかける。


「申し訳ないけれど、物品リストがないの。だからどこに何があるかわからなくて。まず箱を全部棚から下ろすから、受け止めてくれる?」


 今日はジーパンとスニーカーの上に白衣を羽織っている。梯子にスニーカーの足をかけて昇ると、一番上のガラス戸をスライドさせて、隙間なく詰め込まれた大きい箱を手に取る。


「先生、代わりますよ!」

「危ないからいいの!」


 一番高い棚に、重くてでかいものを幅ぎりぎりまで入れる。これって出すことを考えていない。箱にラベルも何も貼っていないし、リストもない。まさに入れっぱなし。


 自分の頭より高い位置にある棚だから、首がのけぞる、少しずつ手前まで引き寄せて、当然物がせり出てくると、支えるために身をのけぞらせなきゃいけないから、結構危険だ。

 まるで棺おけのようなでかい箱。それを引きずりだしていたら、背後から支える手に驚く。


「コリンズ」

「見ているこちらのほうが怖いです」

「でも生徒だから」

「先生は下でリストを作ってください。下ろすのは男でやります。そのほうが時間のロスがありません」


 生徒に怪我をさせたら大変な問題になるから、と躊躇するリディア。けれどキーファは梯子ではなく、利用しているのは踏み台ひとつだけ。背後から支えるキーファの手先はリディアの頭上を越えて揺るぎない。


「……悪いけれど、お願い」


 リディアが肩を落として申し訳なさそうに頼むと、キーファは小さく笑った。


「悪くないですよ。……頼ってもらえて嬉しいです」


 それは小さな声。リディアにしか聞こえていない、穏やかな響きだ。彼が漏らした苦笑が耳元で聞こえて、何故か落ち着かなくなる。

 そそくさと降りて、おろした箱を覗く。大きな箱にはボロボロに乾燥したスポンジの肌が剥き出しの人形が入っていた。


「センセ。こっちは、パーツ」

「全身型が五体に、パーツの入っているのが八箱? 中途半端だけど。まだ隠されているのかも」


 一箇所にまとめていないで、いろんな引き出しに入っていたりする。天井近くの棚においてある時もあれば、正反対の棚の最下段に同じような箱があったり。

 要は、空いているスペースに突っ込んだのだろう。購入年度も三十年前から、昨年度まで様々だから、購入するたびに歴代の教員が適当なところにラベルも貼らずにリストも作らずに突っ込んだのだろう。すばらしい仕事ぶり。


「センセ。これ、目ん玉ねーけど」


 チャスが、一つの箱を開いて人形をがくがくゆすって笑う。


「ワタシ、オメメ無いの」

「やめて、私が落としちゃったの」


 以前に目玉を転がしてなくしてしまった傀儡人形だ。


「ワタシ、センセにめん玉盗られたの。ねー、こいつオス? メス? 股にチン◯ついてねーけど、パイもない」

「やめて! ふざけんな」


 成人男性にもなって、遊ぶな! そして、覗くな! 服を脱がすな!


「魔法で使役するんだから、作動した時に恨まれてもしらないからね」

「めん玉落としたセンセが、一番恨まれるんじゃん」


(確かに……)


「……っ」

「どうしたの?」

「ここ棘が刺さった。センセ、舐めてー」


 人差し指の先端に滲む血を見せてくるチャスに眉根を寄せる。


「あとでバンソーコーあげるから。模型や人形は古いほうから左側に並べていって、パーツの箱は、付箋にパーツ名を書いて貼っておいて」


 チャスにハンカチを渡しながら睨む。怪我をさせたのはリディアの失態だけど、フザケていたのだから彼のせいでもある。しかもセクハラ発言! まともに取りあうのはやめよう。

 それにしても絶望的に物が多い。生徒は、毎日は借り出せないし、自分一人ではできないことを今日頼んで、後の作業は自分でやろう。

 棚から物を出す、という重労働だけに今日は集中しようか。


 ――バタン、と大きな音がする。

 全員で顔を見合わせた後、リディアは口を開いた。


「ドアを見てくるわ。古いから勝手に閉まっちゃうみたい」


空気の入れ替えのためにドアを開け放していたのだが、時代物のそれは勝手に閉まってしまうようだ。


「待ってください。僕が行きます。空けておいたほうがいいんですよね?」


 キーファがリディアを止める。


「先生は続けていてください」

「ありがとう」


 自分が、といいかけたが、たかがドアだ。すでに足を向けている彼を制止するほどでもないだろう。彼に任せて、作業に視線を戻した時に、人形を箱に戻していたチャスが唸る。


「あれ、センセ。こいつ、手首ねーけど」

「ええ? あれ……本当?」


 古すぎて連結がいまいちなのか、それとも最初からなかったのか。リディアには覚えがない。


「さっきはあったような」

「――先生、すみません。これは外鍵ですか?」

「キーファ? いいえ、内側からでも鍵は外せるけど、そもそも鍵はかけていないけど」


 先ほどのウィルとのやり取りを思い出す。ウィルが置いていった鍵は、リディアのポケットにあるし、古いから立て付けが悪いのだろうか。


 リディアがそちらに行こうとすると、真横でうわっ!という声が響いた。それがふざけたものじゃなくて緊迫した響きで、リディアはすぐさま思考を切り替える。


「ロー!?」

「センセ、あぶねえ!」 


 チャスの警戒を促す声に、リディアはすぐに反応する。前に立つチャスの襟を掴んで後ろに引き寄せて、胸元に下げていた守り石――翠玉を投げつける。


「コリンズ!! 何かいる! 用心して」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る