140.次の機会
リディアは考える。キーファはいったいなにを言わせたいのだろうか。
「そんなに難しいことじゃないです。先生の経験とか、学んだことを教えてくれれば、俺も勉強になります。これから、たくさん」
「たいした話じゃないのだけど……」
なんだかキーファが打ち明けたのにリディアが話さないのは気まずい。けれど自分の過去の話なんて、生徒には面倒なだけではないのだろうか。
「先生は、いつ魔法師になったのですか?」
「私は……」
少しだけ口が軽いのは、彼のほうから先にされたうち明け話のせいか。それとも、お酒のせいだろうか。
「私は幼いときに魔力測定で引っかかっていたらしいの。でも、魔法の学校に行ったのは、八歳の時」
「ずいぶん早いですね。ご両親が、熱心だったのですか?」
「ううん。その反対。早く卒業させたかったのね」
北部・中央国連盟は、大小十七の国が所属している連盟で、魔法・魔法師に関する教育や取り扱いも一致している。
魔力測定は共通で、出生時、三歳児、七歳児健診で義務化されており、リディアは三歳の時にすでに魔力があると指摘されていたらしい。
しかし、リディアの両親はそれを歓迎しなかった。そして七歳の時にも指摘され、再三の勧告で精密検査を受けさせた。
というのも、リディアの国では、男性はともかく女性が魔法を使えることを歓迎しない。それどころか、女性が学問を学ぶことさえ乗り気ではないのだ。女は、最低限の読み書きができればいい、後は早く嫁入りすべき、という連盟の中でも時代遅れな気風なのだ。
そんな価値観が蔓延っているが、「魔力があるものは、二十五歳までに最低三年の魔法教育を受けなくてはいけない」と連盟の規定には従わなくてはいけない。
これは、魔力があるものに対して、最低限の制御方法と正しい倫理観を教育するという目的のものだが、魔法師の地位が高い国では、比較的早く教育を受けさせ芽を伸ばそうという傾向があるし、熱心でない場合や、あまり魔力が高くなく日常生活にも被害がない場合は、子どもが大きくなって自分で決められる十代後半の期限ギリギリで受けさせる場合が多い。
だがリディアの場合は、親が早いうちに義務を済ませて卒業したら嫁に出そうとしていた。そして、それがリディアにとっては不幸だった。
娘の教育には賛成ではないが体裁を気にするリディアの親は、シルビスから離れており、かつ魔法教育が進んでいるグレイスランド王立魔法学校初等科にリディアを編入させた。
そのせいでリディアは、魔法教育に熱心なお家で育ったエリート達に囲まれることになった。何しろ彼らは、初等教育に入る前に家庭で専任教師についていた場合が多く、おまけにリディアは編入で出遅れており、しかも共通語もわからない。
基本がわからず誰も教えてくれず、最初から落ちこぼれだったのだ。
「それは、大変でしたね」
「しかも、ちゃんと学ばないうちに魔法学校を出て魔法師団に入ったから。……大変、だったな」
特殊魔法が使えたから魔法師見習いで五年。実践経験が五年以上という魔法省の規定で、魔法師国家資格受験資格を得てようやく魔法師になったのだ。
厚い雲が空を多い、星が見えない。リディアはそれを眺めて呟いた。
遠い過去を振り返り、目を細める。
魔法師団で魔法師になって、呪いを受けて辞めて、今は教員だ、ずいぶん長い道のりを歩んだ気がする。
キーファがそんなリディアを眩しそうに見ていることには、気がついていなかった。
「そういえば、先生。――虫が、苦手なんですか?」
いきなりだった。リディアはほっと緩めていた表情を引きつらせて、あわてて周囲に視線をめぐらせる。
「他のやつは、聞いてませんよ」
「え、ええ。その、情けないから」
キーファは真剣に頷いた。
「誰にも言いません。ただ、お役に立てなくてすみませんでした」
「あ、ああ、ええとその」
思い出した、キーファに蜘蛛を取れって迫ったんだった。
考えてみれば男の子、セクハラになるかもしれない。
「あの、嫌な思いをさせて……その、変なもの見せたり聞かせたり。最後もごめんなさい」
キーファはリディアの言葉を意外なことを聞いたかのように目を瞬いて、それから理解したかのように穏やかにうなずく。
「驚きました。けれど対処できなかったのが、情けないです」
「た、対処。うん、できないよね、ごめん」
「次からは、役に立ちます」
「え、役に!? それは、いい! いいよ」
だって、つまり。あの服を覗けとか、取れとか、それに対処してくれるってことでしょ?
「先生が苦手なもの、怖いものに触れなくて済むように――頑張ります」
それは、明らかにリディアのあの意識を知っているからの言葉。
引きつりそうになる顔。だが、キーファは真剣な表情から不意に茶化すように笑う。
「次は、必ず躊躇せずに蜘蛛を取ります」
「え、それは!」
「前もって伝えておきますね。その時のために」
「ええと、あの」
リディアが顔を赤くしてうろたえると、彼は、静かに笑っていた。うれしそうに。穏やかな顔で、くつろいで、リディアをからかうこの空間が楽しいとでもいうように。
彼の変化。おそらく話を軽いものに変えてくれたのだ。
「あのコリンズ?」
「--頼ってもらえて嬉しかったです。今後もそうしてください」
キーファの瞳は吸い込まれそうだ。なにを言われているのか、わからなくなる。
ううん、自分の動悸とか、顔とか、どうしたらいいのかわからない。
「お水、取ってくる」
「先生、俺が――」
「ううん、いいの」
少し強引に断って、リディアは立つ。
キーファの物言いたげな瞳は気づいていたが、この雰囲気はコントロールできなくて、リディアは不安を覚えたのだ。
彼をおいて、席を離れた。
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