132.なくしたもの


 基地に戻り、全員が装備を下ろす。


 その合間にリディアは先に医務室に運んで貰っていたケイを見舞い、彼が点滴を受けて爆睡しているのをみて、ホッと肩をなでおろす。


 少々やつれた顔だが、寝顔は天使だ。金髪の長めの前髪はゆるくウェーブがかかり、バラ色の頬にかかり美しい。

 自分の容姿に自信を持っているのが、当たり前に見える。


 けれど、リディアは、彼が苦手だ。

 彼の思考回路がわからない。いや、……わかる。


 彼は認められたい、愛されたい、特別扱いして欲しい。


 それが貪欲すぎる。

 彼の求める愛の龜は、底なしだ。


 根本には生育歴に何かあるのだろうけれど、リディアにそれを満たしてあげることはできない。


 少しばかり自分にも当てはまる状態かと思って、リディアは苦く笑う。


「授業で認めてあげるしかないのだけど……」


 なんでこう、問題ばかりおこすのかなあ。


 本当は、教員全員で彼の問題を話し合いたいのだけど、まあ無理だろう。あの人達(教授・准教授)が生徒一人の教育に興味を持つとは思えない。


 彼の起こした禁止領域への立ち入り問題は、現在ディアンが調停してくれている。

 交渉上手な彼のことだから、スルタンと現地民の対応は問題ないだろう。


 ケイは、大学に戻ってから事情を聴取するかと寝顔を見下ろす。


 天使のような顔。怖がっている場合じゃない。

 そうして寝ている彼を見ていると、かすかに鼻をかすめる甘い匂いがしてリディアは眉を潜めた。


 もう一度彼に顔を近づけて、息を軽く嗅ぐ。

 まだ確信はないけれど、一つの予感が胸をよぎる。


 リディアは医療スタッフにケイのことを頼むと、学生たちが待つ待機室に向かった。






「今から三時間の休憩を取ります。仮眠室やシャワールームは、更衣室の奥にあるわ。その後、ミーティングに参加。各自、今回使用した魔法を時系列で振り返り、まとめておくこと。その後、大会議室に集合」


 まだあんの!? と、叫ぶチャスにリディアはうなずく。


「全員、メディカルチェックを医務室で受けてね。仮眠室の睡眠カプセルで一時間寝ると疲労物質を除去してくれるわ。食事は食堂で好きなものを食べて、全て無料よ。結構美味しいわよ」


 さすが育ち盛りの男子。チャスが歓声をあげて、早く行こうとキーファを急かす。女子ならばシャワーを選ぶところだが、防護服も脱がずに食堂に行こうとする。


「メディカルチェックも受けてね!」


 リディアがその背にもう一度念を押すが、誰も振り向きもしない。はたして聞いているのだろうか。


 いや、マーレンがちらりとリディアを見て、慌てて顔を反らす。気まずそうな表情に、リディアは首を傾げる、なんだろう。


 いたずらをして、それを言い出せなくてもじもじしている少年のような顔。

 

「ハーイェク? レポートのこと?」

 

「は、なんだそれ?」


 あ、こいつやってない。リディアは半眼になる。


「あと三時間あるから頑張って」


 リディアが背をむけると、慌ててマーレンは腕を掴む。


「聞けよ!」


 リディアは振り向いて彼と向き合う。もじもじしているから椅子を指差す。


「座って話す?」

「あ、そうだな」


 いや、とマーレンは首を振って否定してリディアを見下ろす。

 なんだろう、また“求婚”の話じゃないよね、とリディアは警戒する。


「お前から貰ったロッド……済まないが――」


 そして、すごく言い難そうに告げて、また口ごもる。

 彼は王族だ、いや性格上謝罪なんてしたことがないだろうに、頑張って口から絞り出そうとしていて、リディアは苦笑した。


「失くした? あの騒ぎだったものね。仕方ないわ」

「いや、その……まあそうだが」


 確かに彼の手にロッドがなかったことに、リディアも気がついていた。

 けれど、なくしたことをすまないと、彼は気にしているのだ。


 彼にあげたものなのだから、そこまで気にしなくていいのに。


 気を使ってくれていることにリディアは苦笑する。


「あなたに、ロッドはいらないしね」

「そんなことはねえ!!」


 マーレンが勢い込んでリディアの両肩を押さえる。


 リディアは驚いて、思わず逃げるように身体を後ろに引いてしまう。


 そんな自分に気がついて、リディアは僅かに後ろめたくなり、内心で理由を探る。

 マーレンは結構背が高いし、ちょっと近い距離が――多分少し怖かったのだ。色々あって神経が過敏になっているみたいだ。


「気にしないでいいのよ。あなたが大事に使っていてくれたことはわかってる」


 なるべく彼が気に病まないように、笑いかけた。


「ただもし必要なら、大学での購入はもう終わっているから、自分で購入してね」


 高級ロッドなどいつでも買えるマーレンにはそんな説明はいらないかと思ったけれど、彼のすがりつくような眼差しに続ける。


 警戒が薄れてくる、なんでだろう。

 

 ……なんで自分は、彼を怖い、と思ったのか。


「もし必要なら、またルーンを彫ってあげるから」


 マーレンは愕然と目を見開いて、それからくっと唇を結んで、顔をそむけた。


「いや、失くしたのは俺が……悪いから……その」

「先生、失礼します。――殿下、本国より連絡が入っております」


 ヤンがすっと寄ってきてマーレンに耳打ちする。マーレンはヤンの出現に思いきり嫌そうな顔をしていたが、ヤンの恭しくも有無を言わせない態度に、リディアは話を終わらせる。


「どうしたいかはあなたに任せる。必要なら購入したロッドを持ってきて」


 「殿下、お早く」と急かすヤンにマーレンは睨みつけて、それからリディアを伺い見る。


「お前は……怒らないのか?」

「――なぜ?」

「自分のやったものだぞ!? 普通は二度と――口を利かないだろう、――女は」


 その最後の付け足しは、過去になにかあったのだろうか。

 そういえば婚約者がいたはずだけど、大事にしているのかな?


「お前は相変わらず……変だな」

「そんなの人それぞれよ。ほら早く行って」


 リディアが促すと、マーレンは何度も後ろを振り返りながら去っていった。

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