127.四獣結界


 俺は、――リディアを救う。

 

 そのためにここにいる。


 

 ウィルは自分の姿を見下ろす。


 周囲を強い光が覆い尽くしている、黄金の輝き。


 だが僅かに緑や赤や、青が混じり弾けて消える。

 

 これは、俺の魔力?

 

 リディアが可視化した自分の魔力なのだろうか。確かに波動のように自分が手足を動かすとそれも揺らぐ。

 

 火矢に意識を向ける。ただ火力が強いだけの炎で、どうすべきかはわからない。

 

 ――唐突に、ウィルの中に何かが侵入した。

 

 炎を支える術式に干渉するなにか。炎がガツンと抑え込まれて、ウィルの中の水と風の魔力が急激に高まる。


(は、なんだよ!!)


 炎の下に風をねじ込まれ、水でカバーし、そして強い金属で覆われる。


 頭に、脳みそに、ぐりぐりとねじり込んでくる不快な感覚に、ウィルは手で口を抑えた。


 吐気がこみ上げてくる。


 ウィルはうつむいて、そのままディアンに弱々しく噛み付いた。


「っ、やめろ」

「お前は火を維持してろ」


 ディアンの声だ。

 奴が――自分の術式を書き換えているのだ。


(――ふ、ざけんな!!)


 だが魔力を強化するウィルの抵抗をものともせず、ディアンは暴力的なまでの干渉で、ウィルを抑え込んで火矢の補強をしていく。


 頭を足で踏みつけて、ぐりぐりと抑え込まれるような屈辱感。

 リディアに対するのと全然違いすぎるだろ!!


 ウィルが反発すればするほど、さらに強い力で抑え込まれて、全く敵わない。

 

 抑え込まれてただ唸りながら睨みつけるしかないウィルだが、その術式はまるでパズルのピースを組み直しているように綺麗に整えられていく。

 

 ただの炎の塊だった火矢は、黒光りする鋼鉄のシャフトとなり、青白く発光する精緻な術式が刻まれていく。

 

 鏃に当たる箇所の炎は、静かに燃え盛り凍えるようなきらめく青い炎となり、中心には橙色を宿す。

 そして、内部にはコアを破壊する魔力の塊。

 

 ウィルは驚愕していた。

 違う。

 

 術式が先じゃない。魔法の発現に術式が追いつくように、後から組まれていくのだ。


 普通は術式を組むことで、魔法を発現するのに、魔法の発現によって術式が組まれている。


(魔法術式を――組まないのか!?)


 それに気づいてウィルは背筋を凍らせた。


 やつは、感覚で魔法を発現しているのだ。


(こいつ、人間かよ)


 それを行えるのは、人ではない。

 魔力を本能で使う、まるで息をするように炎を吐く魔族、または雷を意識するだけで宿す神のようなもの。


(……は)


 なんだよ、それ。

 人間じゃねーなんて。


 人成らざるものが、自分に干渉しているのだ。


 諦めと同時に湧き上がってくるのが、好き勝手にされることへの抵抗。 

 

 ウィルの腹の底が熱くなる。

 好き勝手にされる怒りがこみ上げてくる。


(炎は、俺のものだ)


 誰にも、炎に干渉はさせない。


 ウィルの声が――何かを発する。

 そうだ、それを許すな。


 俺に、俺の炎に、誰も干渉することなど、許さない。


 許してはいけない。


 ――自分こそは、炎の主なのだ。


“――俺の炎に――触れるな”

 

 ウィルの口が自然に音を発していた。


 それは、人あらざるものが使う古の音。


 ディアンの眼差しがウィルを捉え見下ろす。それを意識しながらウィルはやめなかった。 


 炎がブワリと喜び、反応する。


“――我は、炎の主なり――”


「ウィル・ダーリング」


 その声に冷水を浴びせかけられたかのように、炎が揺らぐ。

 

 同時に、ウィルも殴られたかのように衝撃で目を見開く。

 

 ディアンが闇の中に佇み、氷のように冷たい眼差しでウィルを見据えていた。


「今は、それをしまっておけ」

「な……」


「それを出すのは、まだ早い」


 なんのことかはわからない。ただ瞬間的に反論していた。


「今、使わねーで、どうするんだよ!!」

「なくてもお前は、火矢ごときを制御できる」


 あまりにも冷静な声にウィルは歯を食いしばり、ディアンを睨みつける。


 もはやあの高揚感はない。


 あの感覚はどこかに消え去っていた。

 あの不可思議な声も魔力もでてこない。

 

 ディアンに補強された火矢はまだ存在している。

 ウィルは唸るように息を吐き、気持ちをとりなす。


(――見ろ、よく見ておけ)


 反発している場合じゃない。

 ディアンがシャフトに刻んだ式は、美しい輝きを放っている。


 どうやって奴が魔法を組み立てているのか。


 どうやって魔力を自分から取り出し、六属性を加減乗除しているのか。


 盗め、見ろ。知れ、理解しろ!


 そしてパズルを組み合わせるようなディアンの手法に、ウィルも自分の魔力を重ねていく。


 ディアンがしようとしていることに、自分から追いつき、追い越し、火矢を強化していく。


 ――それは美しい炎だった。


 青い火の中に、まるで黄金を溶かしたかのように発光する橙色は、星のように弾けては煌めく強い力を放っている。黒檀のように美しいシャフトには、青銀色の美しい文様が刻まれている。

 

 ウィルは両足を広げて、肩を開く。

 自然に肩甲骨が開き、限界まで弦を引き絞り、作り上げた火矢をあとは射るだけ。


 遠目にはキーファが光に満ちた剣を掲げて、後ろの大樹を庇うかのように、ケイの前に立ちはだかっている。


「目覚めたか」


 ディアンがそれを見てフンと呟くが、ウィルに問いかける余裕はない。


 キーファが、光の刀身を掲げる。


 ケイの背後で、蜘蛛の魔獣がぶるりと震えて、怯えたように後ずさる。


 そして触手の中にリディアを連れたまま、ずぶりと地面に沈んでいく。



 ――最初は、地面に潜り込んでいるのかと思った。

 けれど、感覚が違うと訴える。


 穴がおかしい、地面じゃない。

 

 底なしの暗闇は――この世界のものじゃない。

 

 奴が逃げるのは、向かうのは、――この世界じゃない。


『やれ! キーファ・コリンズ!!』


 ディアンがキーファに向かい鋭く命じる。


 それは、リュミナス古語の力ある詞。


 キーファは呼応するように、光をまとう剣を振り下ろす。


 視界を染め抜く光がキーファやケイ、背後の大樹も包み込む。


 そして地面の穴にキーファが身を乗り出し、手を伸ばす。

 その腕の中に掴まえたのは、リディアだった。


 蜘蛛はリディアを放り出し、穴の中に逃げ去ろうとしていた。


 その瞬間――


「――逃がすか」


 ディアンが薄く笑う。

 そして、ついと視線を宙に向ける。


「力を貸せ。聖クゥイズネルの木よ」


 同時にディアンの詠唱が響く。

 ウィルには理解できない言語だが、急速に魔法が構成されていくのがわかる。


「ᚼᛂᛆᚱ ᛘᛦ ᚡᚮᛁᛍᛂ ᛆᛒᚮᚡᛂ ᛐᚼᛂ ᚥᚮᚱᛚᛑ ᛍᚮᚿᚿᛂᛍᛐ ᛆᚿᚮᛐᚼᛂᚱ ᚥᚮᚱᛚᛑ ᚮᛔᛂᚿ ᛐᚼᛂ ᚵᛆᛐᛂ ᛔᚱᛂᚡᛂᚿᛐ ᛐᚼᛂ ᛂᚡᛁᛚ ᚱᛂᛘᚮᚡᛂ ᛐᚼᛂ ᛂᚡᛁᛚ」


 大樹がそれに呼応し、光り輝く白い枝を無数に伸ばし、その枝が蜘蛛を鷲掴みにする。

 

 違う空間に逃げようとしていた蜘蛛は、この世界に引き戻される。


 蜘蛛が怒りの咆哮をあげた。


(今だ!!)


 ウィルの指が自然に離れた、風に乗るような矢離れリリースだった。


 すっと離れた指。


 ふうっとアローは風に乗り、魔法の加速を受けて次第に炎が強くなっていく。 

 ウィルの手から離れたそれは、距離を得るほどに高く飛翔し、曇天を貫き雲を蹴散らす。

 

 そして目標の手前で分裂し、無数の炎の矢となり地に降り注ぐ。



「リディア。――四獣結界発動」


 ディアンが当然のように呼びかける。


 唐突だった。


 隅で怯えて慰められていた少女――リディアが、すくりと立ち上がる。


 どこにそんな力があるのか。いや、どこに即座に立ち直る強さがあるのか。


 彼女は魔力を瞬時に高め、そして向かい来る炎に対峙するかのように、強い結界魔法をこの世界に急速に組み立てていく。


 リディアは深く息を吐く。覚悟を決めたかのような声が響く。


“――偉大なる四獣王に請い願う。


 ディアンが先程と異なる抑揚と発声で、リディアの詠唱に重ねる。


“Lકaકr mö uoiixs(我が声に応えよ)”


 リディアの凛とした声が言葉を紡ぐ。そこに怯えて泣く少女はいない。


“我は光の使徒 光の君に愛されしもの 獣王の威光をもって、この地を侵す悪しき物を排除せよ”


 ディアンの声がリディアを追いかけ、補助するかのように重なる。


“Erકmoůક કla કuiકl(悪しき物を排除せよ)”

 

 リディアの声が先導する。


“獣王の守りを持って、愛子たる我らを保護したまえ”


 ディアンの声が重なる。


“Pકruકnthક કla કuiકl (悪しき物を防げ)”



“――これは契約である”


 そして、リディアが厳かに告げる。凄まじい圧力が周囲――つまり外界から、呼応のように持ち上がる。

 

 それに続いて畳み掛けるように、二つの声が重なりその名を呼ぶ。


savamサエアム!”

arrgansアロガンス! ”

tકnaxテネクス!”

aůdaxアウダクス! ”


 リディアが声に魔力を込める、ディアンの魔力がそれを支える。


“疾く遂行せよ!!”

“Eixsકkકůthક aકlકl!!(成し遂げよ)"



 ウィルとディアンが放った火が、まるで天の怒りのように、地上へと降り注ぐ。


 だが炎の中心にはまばゆく神々しい結界の光がドームのように溢れ、リディアとキーファを守るように包んでいた。

 

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