81.訓練(ウィルの回想)
実習直前のリディアの最後の特別補習を、ウィルは思い出す。
キーファとウィル、リディアが二人を集めたのは
「――魔獣相手には、
武術は、自分の専門外という理由からだろうか、リディアの表情は魔法の授業以上に強張っていた。
「魔獣相手にダガー単体で接近戦を挑むのは自殺行為。ダガーは長剣など他の武器との併用や、もしくは体術との組み合わせで使うのが通常。ただ、近距離で魔獣に襲われた時には身を護る一つの術になるけれど、これだけで積極的に攻撃する武器ではないことを覚えておいて」
リディアは続ける。
「とはいえ、魔法剣は魔獣には有効よ」
実習室にあったというミスリルの
「二人とも火炎召還の魔法術式を展開してみて」
リディアが告げると、即座に二人の刀身に刻まれた術式がぼうっと浮かび上がる。
「魔獣に普通の武器が通じないのは、装甲が硬く刃や銃弾が通じないから。そして体表に魔力障壁を持っているから。でも魔法剣に魔法効果を付加することにより、体表を貫通することが可能になる」
リディアは二人の顔をじっと見つめる。
「あなた達二人ほど術式の展開が早ければ、攻撃時に術式を展開させたほうがいいわね。常に魔法を付加させておくのは、持続させなきゃいけないから意識に負担がかかるし、魔力も消費する」
ただ、とリディアは厳しい顔で二人に告げる。
「先ほども言ったけど、魔獣相手に
「魔獣が攻撃してきた、その瞬間に魔法剣を突き出すことで有効な攻撃とすることは可能ですよね?」
キーファが鋭く問う。いつも冷静で静かに質問を投げかけるキーファにしては、どこか感情がこもっている、強い決意と重さ、そんな物を感じさせる声。
「それって自分を囮にすること?」
リディアはキーファにといて、その答えに首を振る。
「ええ。それも含めてです」
「捨て身はやめて。魔法師団で貸す強化ボディスーツは、腕で庇えば自然にその部分が肥厚して、魔獣に噛まれてもある程度のダメージを防ぐことができるの。でも毒や火炎を吐く魔獣もいるし、危険よ。攻撃を腕で受けられることは知っていても、癖にしないでほしいし、囮は絶対やめて」
リディアはそう告げて、二人に
「それを踏まえた上で教えるわね。まず剣術の基本として大事なのは距離、時間、位置を判断すること」
そう言ってリディアは、剣を構えたウィルの腕に触れる。
リディアは、身体の線を浮かび上がらせるタイトな首から足まで覆う黒いストレッチ素材の衣装を着ていた。ウィル達の剣の握りを直させ、密着する身体。
ウィルは、心臓の鼓動が早くなる以前に、高まる欲求を抑えるのに必死だった。リディアは、上半身は白いシャツを着ていてわからないが、腰から下はぴったりとしたスパッツでラインがよくわかる。
なだらかな曲線を描く腰、引き締まってキュッと上がった小さなヒップ、腕の中に抱きしめたくなるのは男なら当然。ヒップはボリュームがあるわけでもないが、腰から足先まで綺麗なボディラインを描いている。鍛えていたからだろうか。
かと言って筋肉が発達しすぎているわけでもない、太ももは細すぎず、でもちょうどいい太さ、筋肉がつきにくい身体なのかもしれない。
目の保養だけど、ついそっちに目がいってしまう。非常に集中を削ぐ格好だ。
「まず距離ね。自分の攻撃範囲と相手の攻撃範囲を把握すること」
リディアの真剣な表情に、慌てて意識を戻す。キーファがちらりとウィルを見た、ウィルは肩を竦めて返事を返す。キーファにはバレバレだ、真面目にやれということだろう。
「剣先の届く距離を徹底的に身体に染み込ませて。一歩でどこまで届くか把握しておくこと、二度も三度も斬りつけるのは無駄よ。手負いの獣は危険だし、届かず焦って踏み込みすぎてカウンターをくらう。自分の身長、手の長さ、剣の到達範囲、さらに一歩踏み込めばどこまで届くのか、すべて把握して身体に染み込ませる必要があるの」
リディアは、ウィルに剣で踏み込んでこいと合図する。
躊躇しながら剣を繰り出すウィルに、直前までリディアは避けなかった。
剣がリディアの胸に届く、そう思った瞬間。リディアはわずかなステップで身体を斜めに逸し、ウィルの腕を掴んで背負い、その腕を固めた。
「っ!」
「対人相手の戦闘の場合、自分の間合いに相手を入れるのが勝ちとされているの。自分から行ってしまっては負け。リーチが同じなら、待ち受けるほうが反応は早いのよ。だから踏み込みと切りつけを行うのは、相手よりも更に初動を早くしないといけない」
そう言って、リディアはウィルの腕を外す。
「あなたの場合は、もっと踏み込むこと。足だけでなく腰、上半身もね。距離が倍に伸びるから」
リディアが空手のまま踏み込んでくる。
リディアの身長から考えてウィルに届かない――そう思っていたのに、いきなりリディアの手がウィルの後ろの襟首をつかんで前かがみにする。そしてリディアの脇に首を固定された。
(ちょ、これやばいって)
胸に顔が当たる。首が伸ばされて筋が痛いのに、リディアの胸が目の前にある方が辛い、拷問だ。
「敵の攻撃範囲を浅く見積もらないこと。特に圧倒的に体格差がある魔獣はリーチが違いぎる。彼らの一歩や手足の一振りで距離を縮められると同時に、攻撃を受けるのは確実。つまり、圧倒的に体格と体力差がある魔獣の場合は、相手の距離の外に常に身を置くのが重要」
リディアがウィルを開放する。
ポニーテールの柔らかそうな金髪の先が、ウィルの腕をかすめて離れる。思わずつかみそうになる手を堪える。
「もし攻撃をするのであれば、魔法で誰かが気を引いてるうちに、彼らの死角に入って、弱点を一突き。反撃されず、または即時撤退できる位置を取ること」
なかなか難しい事を言う。そう表情に貼り付けたウィルに、リディアは言う。
「そして時間。――人の身体を動かす時間は差があるの。一番早く反応するのが手、その次が身体、そして足。自動車に登場人物が轢かれそうになるドラマを思い出して。『なぜ逃げない?』って思うでしょ。頭を手でかばってしまうのは、人の足は最後まで動かないから。魔獣に不意打ちされた時に、手で自分を庇おうとしてしまうけど、足を動かしてすぐに逃げることはできない、足は動かないのよ。さらに言えば、すぐさま急所を見抜き反撃することができればいいけど、それはプロだけよ」
「つまり?」
「覚えておいてってこと。自分がとっさの時にどう動いてしまうのか、反対にどうすればいいのかを、体に染み込ませる練習をして」
それから、ウィルは何度かリディアと組手をした。自分は
最初は躊躇があって中々本気で剣を繰り出せなかったが、次第にウィルは焦り始める。何をしてもリディアの急所を狙えない、気がつけばリディアに押さえられている。
すばしこいし、身体が柔軟、背が低い上に腰を低く保っているから狙いにくい。
リディアは自分の体格を活かしている。対人相手の格闘に慣れている感じだ。
そういえば、魔獣相手に使うものじゃないという
(それって、そういう環境にあったってことかよ?)
ウィルは頭の片隅で考えて、リディアにまた腕を取られて関節を決められてギブ、と呟いた。
――リディアは、魔法師団でどういう思春期を送ったのだろう。
ウィルはキーファと対戦をするリディアを目で追う。
自分の知らないリディアをもっと知りたい。過去をみたい、聞きたい。どんな思いでどんな体験をしてきたのか。
人生を変える辛いことがあったんじゃないか、ここまで強くなろうとするには、何があったのか。
そんな私情をよぎらせながら見ていたウィルは、次第に意識を対戦する二人へと集中させる、無意識に身体が前のめりになる。
――キーファがリディアを押している。
見ていてわかった、キーファの足捌きだ。
怪我をした左足がリディアにはネックになっているのだろう。後方にステップを踏むリディアは、やりにくそうだ。リディアが右足で下がろうとするのを防ぐ、必然的に不自由な左足を使う羽目になるが、リディアの動きに遅れが出る。
はじめての格闘技で、足捌きが自然にできている。けれど、それ以上にいざとなればリディアの弱点を狙えるキーファの性格、それを目の当たりにしウィルは愕然と見つめた。
とうとうリディアが足を崩し後ろに倒れかかる。その腕をすかさずキーファが取る。リディアが礼を言いかけたその首に、キーファは魔法剣を押し当てた。
リディアはキーファに支えられたまま驚きで目を見開いて、そして「降参」と呟いた。
その瞬間。リディアのキーファを見る目が、確かに変わったのをウィルは見た。
――それは、明らかにキーファを認めた眼差しだった。
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