69.二人の彼


 頭の整理をするためシャワーを浴びたリディアは、その間待っていた二人に皮を剥いたリンゴを出す。

 お茶のほうがいいかと思ったけど、二人はコーヒーがいいと言う。

 でも、リンゴとコーヒーって合わないよね? 

 

 リディアは少し考えながら、髪を拭く。

 軽くタオルドライしただけの、まだ湿ったままの髪が背中で揺れる。

 リディアの髪は、水分を含むと少し色が濃くなり、わずかに赤みがかかった金髪になる。

 

 Tシャツと短パンは教師らしくないだろうかと思いながらも、ここは家の中だし締め付ける服は着たくない。今日ぐらいは、ゆるい服装でも目をつぶってもらうことにする。


 目の前のウィルは、下着の話は一切してこない。キーファが、一瞥だけで黙らせてしまった。

 それはいいのだけど、リディアの下着を見ていないはずのキーファも、視線を微妙にずらしている。

 

 浮足立っているような、そわそわしている二人にリディアは首を傾げる。


 (……お腹、空いているのかな)


 キッチンでトーストを焼いて、彩りと栄養面を足すため、ベーコンエッグとミニトマトを添えて出す。

 

 途端にリディアをちらちら見る視線をやめて、ウィルはすぐさま旺盛な食欲を優先させて食べ始める。一方で、キーファは眼鏡の奥で思慮深い眼差しを見せる。


「先生。――あまり俺達に世話を焼かないでいいので」

「え、なんで? お前いらないの?」

「そうじゃなくて。……前も言いましたが、あまりこういうことをするのは……心配です」

「いらねーなら、もらうけど」

「ウィル、もういい。黙ってくれ」


 リディアの代わりに答えるウィルに、キーファは諦めたようだ。

 キーファのため息の理由は、リディアの読みの甘さとか情けなさだろう。


 リディアも、自分で自分が情けない。


「こんなものじゃ、お詫びにもお礼にもならないけれど。迷惑をかけてごめんなさい。そして――ありがとう」

 

 深々と頭を下げると、食べる手を止めてウィルもキーファも微妙な顔でリディアを見つめてくる。


「私……昨日……」


 全然記憶がない。どうやって部屋まで戻ったの? 

 タクシー代は払っていたと彼らは言うけれど、本当だろうか?


 昨晩は、様子がおかしいリディアを扱いかねて、ケヴィンが二人を呼びにいってくれたらしい。


 ケヴィンには色々何かを言われた気もするけれど内容は覚えていない。会話が噛み合っていなかったことだけはうろ覚えだ。

 

「気分はどうですか?」

「うん、――平気」


 落ち込んでいるけれど、体調的には問題ない。

 リディアは昨晩の記憶をたどり不意に笑ってしまう。情けなさがリミットを超えて、少しタガが外れたのかもしれない。


「――何?」

「ボスも私を扱いかねたのね、私が暴れたから」


 微かに記憶に残るケヴィン・ボスに対して、自分の態度は駄々っ子みたいだった。彼は、リディアを抱きしめようとしていたが、結局出来なかった。


 が、二人は笑わなかった。


「ソレって、全然笑えねーし。なんで暴れたのか、つー理由を詳しく聞きたいし、言いたいこともたくさんあるけど」


 あれ、何か変なところで会話がひっかかっている。二人共憮然とした顔で、どこか怒っているみたいだ。


「ウィル、それは後でにしよう――」

「けど! あいつ……マジで――!!」


 キーファがウィルを遮る。


「――先生、ケイやケヴィンにされたことを僕らは知りません。もし警察に行くならば付き添いますが――」

「いいよ。まさか!……何も……されてないから」

「何もって、アンタ、ヤられるとこ――!!」

「――ウィル!!」


 キーファが鋭く静止して、ウィルは硬い顔で黙る。二人共険しい顔。

 リディアは、口を引き結んで顔を曇らせる。


「ごめんなさい、助けてもらったのに。……危機感が足りなかった」


 ウィルは気まずげに黙り、それから「無事でよかったよ」と呟いた。

 リディアは「うん」と頷いた。


 言いたいことがある、ウィルのそれは本音だろう。

 でも彼は今は飲み込んでくれた。リディアが、反省して気にしているからだ。

 そうやって、彼は他人を慮ることができる。


 リディアはいたたまれなくて、温めたミルクを両手で挟んで飲む。


「病院には行く気はありませんか?」

 

 キーファが、穏やかな口調でリディアに問いかける。


「今は意識もクリアだから。――病院に行ってもすることないし」


 何か薬を飲まされたのだとしても、もう代謝してるだろうし、血液検査をされても出ないだろう。そもそも今、治療することは何もない。


「昨晩、本当は連れて行くべきでした――」

「私が断ったからでしょ」


 何かを嫌がった記憶はある。困り果ててリディアを家に連れ帰ってくれたのだろう。


「とりあえず先生は寝てしまったし、呼吸も脈拍も正常だったので、何かあれば救急車を呼ぼうとウィルと決めて、一晩様子を見ることにしたんです」

「本当にありがとう」


 迷惑かけてごめんと繰り返すばかりになるから、御礼だけにした。


「私、歩けなかったんだよね……?」


 どうやってこの部屋まで連れて行ってもらったのだろう。リディアが伺うように二人を見ると、ウィルはサラリと「歩いてたぜ」と告げて、キーファも表情を変えない。


 キーファはともかく、ウィルはてっきりリディアをからかうかと思ったのに、彼も全然その事に触れない。

 ――こういうところが、この二人は――うまい。迷惑をかけられても、サラリと解決して何でもなかったと言えてしまうのだ。


「――あのさ。これだけは聞いとくけど、確かにおかしかったよ。――ケイに薬とか、飲まされた?」

「――わからない。でも……薬だとは思うけど」


 生徒に伝えることには迷ったが、つい口がポロリともらしていた、けれど慌てて補足する。


「私の魔力って化学薬品と相性が悪いの。特に精神に影響を与える薬だと酩酊状態になってしまう時があって。だから、ベーカーのせいだけじゃないかもしれない」


 二人とも首を傾げている。

 他者の魔力と“同調”をする感応性の治癒魔法の使い手には、薬が合わないものもたまにいるのだけど、彼らは学生だから知らないのも当然。


「先生から――少し甘いにおいがしました」

「そう?」

「その匂いさ、俺の勘違いじゃなきゃ、バニラのような――ケヴィンが言うんだ、ゲームする時の薬と同じだって」

「ゲーム?」


 ウィルは躊躇い、あまり気乗りのしない口調で告げる。


「『王様ゲーム』って知ってる?」


 リディアは首を振る。たいていの遊びはしらない。


「勝った王様が、負けた奴隷に何でもいうことをきかせられるの。パーティグッズ専門店に『王様の薬』っていうのがあってさ、奴隷が何でも言うこと聞いちゃう薬って」

 

 リディアが息を呑んで目を見開くと、慌ててウィルが手を振って修正する。


「勿論グッズだから効果はあやしいよ、プラセボみたいなもん。でも、たまに効き過ぎちゃう女の子がいて――なんかリディア、その症状と似てたってケヴィンが。匂いも同じだしさ、そういう薬かも」


 リディアがその遊びに不愉快そうに眉をしかめると、ウィルは「俺はやってないって」と主張する。


「そういうグッズは、安価な人工的な匂いが付加されているんだ。バニラフレーバーとか。同じ匂いだから同じような薬と決めるのは早急だと思うが」

「うーん確かに」


 キーファの指摘にウィルも頷く。リディアは、ケイがいった魅了チャームの言葉と、甘い香りという組み合わせに眉をひそめる。嫌な予感がする。


「そういや、なんか変な魔法を使われたみたいだって、ケヴィンが言ってたけど。なに?」

「――魔法じゃないと思う。ベーカーが、どこまでそれを信じているのかはわからないけれど」


 ケイが言う魅了チャームなんて魔法は存在しない。それは、能力だ。魔族が持つとされている能力で、人間が魔法として発現出来るものではない。


「――なあ、リディア。その傷、前からあった?」


 ウィルがリディアの唇を指差して、不審そうに見やる。


「血だろ? 唇、まるで噛んだみたいだ」

「え――」


 不自然な間に、目の前のキーファの目が眇められる。


「あ、ほんと?」


 リディアは触れて思い出す。ケイに噛まれたところだ。でもそれは二人に言うことじゃない。


「そうあの、ぶつけたの、かな」

「ぶつけた?」

「そう、転んだみたい?」


 リディアは必死で告げるが、二人の怪しむ視線は深まるばかり。


「それ、誰にされた?」

「え?」

「ケヴィンじゃねーよな?」

「違うよ!」


 ウィルが舌打ちする。


「じゃあ、ケイかよ!!」

「あ……ちが」


 とたんに、ウィルが立ち上がり猛り立つ。否定するのがワンテンポ遅れた、それだけでわかってしまったらしい。


「俺だって噛んでねーのに!」

「え?」

「あいつ、殴ってやる。ざけんな――」


(何!? なんか変なこと言ったよね!?)


「え? ちょっと、待って――」

「――ウィル煩い」 


 不意に冷ややかともいえる声を発したのは、キーファだった。


「え」

「このままで済ますつもりはない」


 隣りにいたウィルが怯えたように肩をゆらして、リディアも思わずキーファを見つめ返す。


 ――今の声、キーファだよね?

 だが、彼がリディアに向ける声音は穏やかで、普通のものだった。


「先生、――先生はもう気にしないで、忘れてください」


 キーファの瞳は、据わっているように見える。静かな怒りのような、なにか抑えている感情が見える。


「え? 何が……」

 

 リディアも迫力負けして、返事もためらいがちになる。


「――今後は、絶対に気をつけてくれればいいです――後は、こちらで片をつけます」

「待って。何の話をしているの?」


 キーファはどうしたの?


「いいんです、俺側の話ですから。対処しておきます」


 どうも不穏な雰囲気だ。リディアは慌てて彼に言い募る。


「ケヴィンには迷惑をかけたのは私の方だし、ベーカーも意図があるみたいだから気にしないで。勿論、女の子に繰り返しているのであれば問題だから、被害者がいないか調べて対応するけど」

「先生。言っておきますが、先生も被害者ですよ」

「でも、私のは自業自得だし――」

「はあ、馬鹿なの!? 何いってんの!」

「――ウィル」


 キーファが怒りを抑えた声で、制止する。思わずリディアもウィルも黙ってしまう。


「――意図、というのは?」

「ケイは、魅了チャームの”魔法”を使っているつもりなのかもしれないから」

 

 リディアはそう言って、思わず唇を指で押さえた。思い出すと鳥肌が立つ。

 感触が――気持ち悪かった。

 

 キーファがリディアの様子に気がついて、穏やかで宥めるような声をかける。


「ショックだと思います。無理しないでください。我慢しないで怖かったら怖いと言ってください」

「――うん、少しね。でも今は平気」


 キーファはリディアを見つめ返す。その瞳は案じているよう。

 でもリディアの性格をすでにわかって受け入れてもいるようだ。生徒に受け入れられるというのも情けないけど。……通常は教師が生徒を受け入れるものだよね。


「もし、気持ちを吐き出したくなったら、いつでも相談してください。後になってショック反応がくるときもありますから」

「……ありがとう。そう言ってくれて――」


 リディアは言葉を続ける。彼のほうが先生みたいだ。

 彼はリディアよりも精神年齢も高く、成熟しているのだろう。

 素直に言葉が出てくる。彼は人を安心させる雰囲気がある。


「少し、ううん、かなり……助かる」


 リディアが心から言うと、ウィルが押し黙る。 

 そういえば、ウィルからもされたのだ。意地悪な気持ちはないけれど、ウィルも軽いところがあったから、ちゃんと反省して欲しい。

 これからは女の子を傷つけたらいけないからねという思いで、不自然ではない程度に彼を見る。


 キーファがそんな二人に、一瞬何か訝しげな顔をしたけれど、すぐに表情を消す。


「ベーカーが使ったかもしれない薬のことは、ちょっと考えがあって、調べてみるから。今は私に任せて」

 

 納得いかない二人にリディアは微かに笑みを浮かべた。


「二人がいてくれて本当に……助けられてる。――いつも、ありがとう」


 そういうと、二人は最初と同じ様な表情で、気まずそうに押し黙った。

 




 玄関まで二人見送り、リディアはさりげなく尋ねた。


「ところで、私昨晩――何か言った?」

「何が?」

「――変なこと」


 リディアが躊躇った末に白状すると、ウィルとキーファは顔を見合す。


「「何も」」


 二人が声をそろえるから、それ以上は聞けなかった。


 色々弱音を漏らしたような会話は夢だったのだろうか。

 かなり気になるけど。


「先生。これは新しい鍵です」

 

 そしてキーファがリディアの手に載せてきたのは、手の中に収まるペンよりも小さいスティックだった。


「こちらで魔力派を登録してください。普段はこの鍵を持ち歩く必要はありません」


 ドアにはパネルが設置されていた。ここに魔力を注ぐと開錠するらしい。こんな機能の鍵も一般に売っているのだと驚く。


個人端末PPと連動機能があります。何かあればすぐに通報できる機能もついています、使ってください」

「あなたが……設置してくれたの?」

「はい。この部屋を退去するときも、このパネルは登録魔力者が簡単に外せるので問題ありません」

「こんな便利なものあるんだ……ありがとう」


 そういえば最初、ウィルはリビングにいたけれどキーファの姿がなかった。玄関で作業していたという。


 キーファが照れ隠しなのか、うつむいて頷く。その頬が赤いような気がする。


「あの、代金は――」

「今度でいいです。今はゆっくり休んでください」


 そう言ってキーファはついと背を向けてしまう。

 リディアにはそれ以上を言わせない雰囲気だ。彼は長い脚で、先を行くウィルに追いつく。そして二人は振り返らずに行ってしまった。


 彼らの背が階下に消えて、リディアはへなへなと玄関にへたり込んだ。

 

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