70.カンパニュラ


 放課後を迎えて、リディアはマーレンを待っていた。

 学生たちは外部講師の授業があったのに、ケイは休みだったらしい。彼は一体何を考えているのだろう。明日は講義がないし、このままだと実習を迎えてしまう。

 

 教室のドアを開け放ち、マーレンは大股で歩んでくると椅子を大きく引いて、リディアの前に座る。足を開いて随分偉そうだ。

 そういえば彼は連絡しろと言っていたけど、結局そのままにしてしまった。知らない番号からの不在着信が一件あったけれど、彼なのかはわからない。


「一昨日の夜――」


 マーレンは言いかけて、黙る。

 リディアの緊張する気配を感じたのかもしれない。彼はおそらく言いかけたこととは違うセリフを放つ。


「ようやく二人きりになれたな」

「……面談だからね」


 マーレンはわざとなのか、ドアを開けたままだ。少し意外だけど、気を使ってくれているのだろうか。


 フンと鼻を鳴らすマーレンは、リディアをじっと見てくる。深い紫色の瞳、輝く銀の髪。整った容姿だが、ふてぶてしさはまだ年季が入っておらず、ただ生意気そうに見える。

 

 でもリディアを見つめる瞳は、思いつめたような凝視する眼差しだ。

 何か言いたいようで、迷っているのだろうか。

 リディアは、彼が話し出すのを待つ。すると彼がリディアの顔まで指を伸ばす。

 

 どきり、と心臓が跳ねる。手から血の気が引いていく。

 リディアは感情の揺れを気付かれないように彼を見返す。それでも心臓がうるさくかき鳴らされる。

 

 マーレンのじっと見つめてくる瞳――違う色なのに何故か重なる。


 伸ばされる手――悪意に満ちたその唇が歪んだように笑みの形を作る――。


「もうほぼ消えたな」

「――え」


 マーレンの声に我に返る。彼はかなりの至近距離だったが、リディアの頬に触れるか触れないかの距離を保ち、目を細めている。その目に宿るのは、後悔?


「……俺がつけた傷だ」

「ああ」


 そういえば、初回の演習で彼の魔法で頬にかすり傷を負った。細い糸をひいたような傷は、よく見ないとわからない。


「別に気にしていないけど」

「俺がつけた、悪かったな」


 じっと見てくる視線が近すぎてリディアは困る。わざと視線を下に向けてサラリと言う。


「反省するなら、今後は誰彼構わず喧嘩を売らないこと」

「お前だから後悔しているんだ」


 それってどうなの? リディアは呆れたように顔をあげて、まだ頬に手を伸ばしたまま近い距離のマーレンに内心ギョッとした。


「マー……」


(――キス、される)


 リディアの方に身を乗り出して、手を頭に伸ばす。彼の顔が迫る、手のひらで視界が阻まれる。

 感じる圧力。


「……っ、や」


 ――ケイのときと同じ。

 何かをされる、その恐怖に胸がひやりとして、リディアは思わず顔を逸らす。


 か細い声が、喉から漏れて、触れた手を払い落とす。

 パンという小さな乾いた音が響き、マーレンが身を乗り出したまま呆然として、それから気まずげに顔を歪めて押し黙る。


 床に落ちた紫色のものを見て、リディアも目を見張る。


「……花」


 マーレンが屈んで、それを拾い机に置く。花弁が切れて一部が潰れていた、リディアが払ったからだ。

 マーレンはリディアの髪にそれを挿そうとしてくれたのだ。

 

 紫色の星型の花。黄色の雄しべも途中で切れていた。リディアの声は動揺で掠れていた。


「……カンパニュラ?」

「――名は、知らねえ」


 そしてマーレンは淡々と尋ねる。


「花は嫌いか」

「いいえ。好きよ――とても」


 リディアは、切れた花弁に指を伸ばす。色は紫と青の間、マーレンの瞳の色だ。

 どんな思いでこれをくれたのだろう。


「――叩いてごめんなさい」

「いや、いい」


 マーレンは無表情を取り繕い、椅子にどかりと座る。

 リディアは気まずくなった雰囲気にどうしようかと迷いながらも、机の脇に置いておいた物を二人の間に差し出す。


「これ、あなたに」


 マーレンの眉間が訝しげに寄せられる、困惑しかみられない。

 

 いつものように嬉しがる様子はなく、リディアは少し拍子抜けしたような残念のような気持ちを持つ。なんで残念なんだろう、そうも思ったけれど。


「なんだ、俺に詫びるためか?」

「違う。これを見て」


 気色ばむマーレンを流して、リディアは自分のものだったロッドを見せる。そこには、先端まで装飾のように掘られた文様があった。


「ルーンよ。ラドと、忍耐イスのルーンを刻んでおいたの。今度の実習ではこれを使って」


 ルーンは、リュミナス古語とは違う力を持つ符号だ。エルフや妖精など魔法に長けた種族が使うことが多い。


「お前の"お願い"か?」


 またそういう事を言う。リディアは聞き流す。


「これは、あなたの風魔法と忍耐力をアップさせるのよ。まだ魔法時の感情の暴走の理由がわからないでしょ。だから面倒かもしれないけれど、このロッドで魔法を発現してね。反射的に攻撃をするのではなくいくつかのステップを踏むことで、精神を落ち着かせて冷静に放つ練習をしましょう。そして今回は単体魔法だけよ、一つの魔法で属性は一つまで」


 マーレンはロッドを見下ろしたまま、黙っている。顔が険しくギュッと眉が寄せられている。

 確かに、面白くないよね、嫌だよね。


「……お前の、ロッドだろう、これは?」

「あげる。一応あなた仕様なの。私は風属性魔法師だから、このロッドも風魔法は馴染みやすいと思う。平常心を保つのに、慣れるまででもいいから使って」


「――使ってやる」


 マーレンの返答は早かった。そしてギュッと握りしめてロッドをぐるぐる回して刻まれた文様を見る。

 

 ルーンを装飾したデザインは、それなりに工夫して彫った。

 恥ずかしくはない出来だと自分では思うが、王子だから目は肥えているはず。素人のデザインは気に入らないかもしれない。

 魔法の発現に使う魔法具は、持ち主がそれを気に入っているほど効果が増すのだ。


「どうやって彫ったんだ。魔法か?」

「……彫刻刀」


 マーレンが驚いた様子であんぐり口を開けている。若干恥ずかしい。


「ちまちま彫ったのか、お前が!?」


 そうだけど、悪い? 

 魔法師団ではこういう魔法具を使う魔法師を馬鹿にする者も多い。それを作る魔法師を更に下に見ることもある。

 でも地道な努力って結構実を結ぶのだ。

 というか、リディアの場合は趣味でもある。アミュレット作りとか、黙々とする単調な作業は、ストレス解消になるのだ。


「こういうのって、手作りのほうが効果が高いのよ。機械で刻むより。魔法師は自分の魔法具は自分で作るの」

「手は、怪我してないか?」


 彼は突然リディアの手を掴んでくる。あのね、そこまで不器用じゃないから。

 そして手を掴んで、マジマジと手をひっくり返したりして観察して彼は離そうとしない。


「お前、健気だな。俺のために――」


(……なんか違う)


 リディアは首を振る。

 勘違いしているようですが、あなたが私のロッドを放そうとしないからです。


「いい加減に手を離して。ところで、話があるの」


 リディアは、マーレンを見据える。彼の顔が何かを予感してか、わずかに強ばる。 


 リディアは座っていたイスを後ろにずらして、靴を見せる。彼からの履きやすい靴は癖になりそうだ。でもお高いから自分では買えない。

 

 というか六万エンの靴を日常履きにしているのは間違いのような気もする。


「これね、とても助かったし、履きやすくて気に入っているの」

「……そうか」

「でもね、私は本当は貰ってはいけないのよ」

「俺は何もしちゃいない。そんなもの知らない」


「ハーイェク……」

「何の話をしているんだ?」


 リディアは眦を下げて、マーレンを見つめ返す。


「これをくれた人に感謝している。けれど、何かの時に、特別扱いをしたとその人も思われるかもしれない。私は教師だから」


「特別な存在にすればいい。――お前がその気になれば」


 彼は何を言いだすのだろう、リディアは彼を見つめ返す。


「――いいことを教えてやる」


 彼の言い様は、生徒から教師に対してのものじゃない。

 若干微妙だけれど、彼の目が真剣だからリディアは黙って見つめ返す。


「お前は――気を許しすぎる」

「……何の話」

「聞けよ」

 

 マーレンは、どこか睨むような眼差しでリディアに告げる。


「一般人だと思うと、お前は途端に警戒が緩む。お前、魔法師団にいた頃は、ここまで無防備じゃなかったんだろ?」

「……」


 痛いところを指摘されている、彼は鋭い。

 確かに最近のリディアの失態は、自分の読みの甘さが全ての原因だ。


「装う弱いヤツほど気をつけろ。そんなに簡単に他人を信用するな」


 マーレンは不意に屈んで、リディアに指を伸ばす。一瞬のことで手を払う暇もなかった。リディアの唇の傷を撫でて、すぐに指が離れる。


「俺はお前を――わかってやれる。いつかお前が――俺を見てくれれば」


 マーレンは硬い顔で、それ以上は言うな、とでもいうように背を向けて、風のようにでていってしまう。こんな時に風の種族のエルフの血を感じさせられた。

 

 ――カンパニュラの花言葉は、『感謝』、そして『思いを告げる』

 彼は、花の名を知らないという。きっと、花言葉も知らないはず。


 リディアはそう思いながら、その花弁を無言で撫でた。

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