67.夢


「……怖いよ」


 リディアは目を閉じて、それからギュッと目をつぶったまま足をそろそろと出す。


 誰かが何かを叫ぶ声がした。聞いたことのある声。腕が掴まれて、何かを言われる。

 温かくて力強い手、その魔力は知っている。気配は知っている。


”――リディア、リディア”


 呼びかける声は、害を与えるものじゃない。だからリディアは必死で訴える。


「かいだんが……ぐにゃぐにゃで」


 降りられないの。

 病院、とかそういう声に首を振る、必死で振って嫌だと言う。声がわんわん響く。自分が声を出しているのか、わからない。


「――へいき。だいじょうぶ。帰るから。へいきだから」


 腕を振り払う、階段を降りれば平気。


 そして、そのまま、意識が沈んでいった。






 闇の中だった。

 リディアはひとり闇の中で溺れていた。周囲は液体なのか粘液なのか、絡みついて、もがいても一向に逃げ出せない。

 

 永遠にもがき続けなければいけない、じゃないと沈んで死んでしまう。 

 重くて、逃げられない。


(いやだ、いやだ、いやだ)


 左胸が痛い、腕が重い、動かない。

 ハッとして見下ろせば黒い縄が巻き付いていた。


(――呪いが)


 縄じゃない。黒い蛇にも見えたソレは、リディアの皮膚から浮かび上がっていた。

 瘤だ、皮膚一面を覆う腫瘤だった。


「ひっ」


 その黒い瘤は左の前腕から手先――指まで広がっていた。まるで壊死しているかのように、膨れ上がりもとの原型はない。


 リディアの喉は恐怖で潰れてしまった。荒い息を漏らして、恐怖であえぐだけ。

 腕を覆っていたはずの、呪いを抑える青くほのかな燐光を放つ術式はない。


 右手もすでに黒ずんでいた。両腕が耐え難い痛みを訴える、熱を持ち、拍動する。右腕もぼこり、ぼこりと皮膚が粟立つ。

 まるで皮膚病のように皮膚がぼこぼこと膨れ、腫瘤を作り、表面を覆う。


「あ……いや」

『――魔法師団を追い出されただと!! ――この恥さらしが』


 リディアはいやいやと首を振る。


「――ごめん、ごめんなさい」


 涙を流して許しを請う。

 弱い自分は昔の話だったのに、強くなれたはずなのに。

 

 ここにくると、無力で弱い自分に戻ってしまう。

 


 ――暗闇に浮かび上がる人――ケイがいた。

 美しい天使の顔が、いまは目を炯々とさせリディアを睨む。彼はリディアの腕を掴んで迫ってきた。

 動けない、反撃できない。


 唇が重なる。生々しい感触にリディアは暴れて離れようとするのに、全く動けない。彼の瞳が悪意に満ちる、唇が歪む。綺麗な天使のような顔が、リディアを睨む。


(……やめて。やめて――はなして)


 弱々しくリディアは声を放つ。


 身体が動かない。いやだ、まるで何も出来ない子どもだ。


『リディア先生、逃げられないよ。今だけ、すぐに強制連行される。お家に連れ帰られるよ』


 誰か女の子の声が響く。


 いやだ、いやだ。やめて、あそこには戻りたくない。


 いつの間にか、その顔が別の物にかわっていた。

 美しい白金の髪、神が作りし彫像のような美しい顔。それが、冷淡にリディアを見下ろす。


「――おにい…さま」


 リディアの胸が恐怖で縮み上がる。彼が手を振り上げる。

 意識が恐怖で染められて、そして身体も思考も動きを止める。


(いや、やめて)


 喉がしゃくりあげる、涙が溢れてくる。その美しい神がかった口が嘲りに笑う、そしてリディアに――。


 リディアは悲鳴を上げた。






――母が泣いていた。ああ、まただ。


美しい人のカタチをした意思のない人形。


『私が、あなたのような娘を生んでしまったから――お父様に叱られるのよ』


(おかあさま――)


『魔法なんて。――どうして、どうしてなの? なぜ私の娘なの? そんな恐ろしいものが使えるなんて――私の娘のはずじゃない!!』

『“魔力がある全てのものは、魔法教育課程を満三年受ける義務”など――!! 忌々しい連盟の規定め。お前の娘のくせに、あの容姿だ! そのうえ魔法が使える女など、どこも貰ってはくれん!!』


 責める父に、母が泣く。


『仕方あるまい、とっとと卒業させて、すぐに嫁入りさせるのだ。行き先など貰い手があって貴族であればどこでもいい。いいな、すぐに卒業させるのだぞ!』


 母は父がいないところで、リディアに恨み言を繰り出す。


『――お父様が遺伝子操作をしなかったせいよ。私のせいじゃないわ。あなたが成長抑制剤を打たなかったのも、お父様の怠慢よ――』



“――遺伝子操作?”


 誰かが尋ねる。リディアは、首をふる。

 遠くから聞こえる声は、まるで別世界からのもののよう。答えるリディアの声も、別の世界のものだった。


「シルビスでは、容姿を遺伝子操作するのに……私はしていないの」


 母は遺伝子操作をせずとも、シルビスのなかのシルビスと呼ばれるほど美しい人だった。だから両親はリディアに遺伝子操作をしなかった。

 更にシルビスの美人の基準は、身長は百五十五センチまで。越えそうになる場合は、思春期前に成長ホルモン抑制剤を打つのだ。


「私は、……打たなかったの……」


 自分の身長は百五十九センチだ、シルビスでは価値のある女性としては認められない。身長は低く、足は小さく、腰は細く、胸は大きく、そのために竜の髭のコルセットで幼少期から身体を矯正する。

 けれど親元から離れ魔法師団にいたリディアは、シルビスで受けるはずの矯正を一切受ける機会がなかったのだ。


 親もまさか帰ってくるとは思っていなかったのかもしれない。しかし、魔法師団を辞めて帰ってきた娘の成長した姿を見て、両親は卒倒した。



(私は――目の色も髪の色も、肌の色も、全てが規格外)


 真っ白い新雪のような肌の色、透き通る薄いエメラルドの瞳、白金の髪の毛、それが美人の条件だ。


 リディアは色が濃すぎるのだ。女性にしては存在が強すぎる、好まれない容姿。

 色素の濃い女性は、性格も図々しい女性とみなされ、シルビスでは選ばれない。


「でも、私は、わたしは――この姿を」


 ――嫌っていない。

 だって、自分が自分を嫌ったら、好いてくれる人が――いなくなってしまうから。


 誰も聞いてくれない言葉。言ってはいけないこと。母に、父に、兄に――親族すべてに、自分がこの容姿を受け入れているなんて――言ってはいけない。


 あの家では、あの国では、ただ黙って人形のように存在をする、――気配を消して気がつかれないように生きるのだ。


 自分で自分を抱きしめる、泣かない、泣けない。

 こんなこと、なんでもない。どうしようもないことだ。


「平気よ、なれているもの、期待なんてない。なにものぞんでいないもの――」


 言い終わる前に、頭が胸に引き寄せられる。

 腕はただ軽く背中に触れ、なだめるように頭を撫でる。 


 いやだ、とリディアは頭をふる。なのにその手は離れない、ただ抱きしめてくるだけ。


 硬い胸、多分男の人の胸だ。


“そのままでいいから。――俺は、今のそのままがいい”


 温かくて、力強い。意識が溶けてしまいそう、甘えたくなる。


“遺伝子操作なんて、しなくてよかった”


 ほんとうに?

 なだめる手は優しくて、夢だとわかっている。調子よく聞きたい言葉を頭が作り出しているだけ。


“今の……リディアでいてくれて……よかった”


 いつのまにか、両腕の瘤は――消えてた。痛みはない。


 意識が朦朧とする、心が穏やかになり――眠くなる。


 頭を撫でる手に、リディアは子供のように身体を丸めて眠りに落ちた。


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