57.トラブルの予感
リディアの動揺を感じたのか、それとも収まりの悪い雰囲気を感じたのか、しばし奇妙な沈黙があったが、気にしないのが生徒の常。
丁度振鈴が鳴り、あっという間に奇妙な雰囲気は消え去り、もはや早く終わりにしたいというそれだけの気配を皆が放ち始める。
片付けもそこそこに部屋を出て行きそうになる生徒に注意をし、逃げ出すのを防止するリディアだが、突然演習室のドアが大きく開け放たれて、入ってきた人物に驚いて動きを止めた。
「ミユ? 何しに来たんだよ」
リディアの後ろから、ウィルが怒気を隠そうともせずドア付近に近寄る。
「ウィル、ほっといてよ!」
キーファが遅れてウィルの後を追いかけて腕を掴んで「ウィル落ち着け」となだめている。
その手をウィルは振り払う。
リディアは壁時計を見上げる。十二時五分を過ぎているから休み時間だが、片付けが終わらず、リディアはまだ解散を許していない。
すなわちまだ授業中だ。
「ミユ・ギルモア。まだ授業中よ」
リディアは、歩んで行きミユの前で諭す。何かを言いたいのならば構わないが、それは解散したあとだ。
「もう授業は終わりでしょ、チャイム鳴ったもん! リディア先生、ずるい!」
「はい?」
リディア先生!? 何それ。
「先生なのに生徒に手を出すとかやめてよね。不潔、最低!」
驚いて呆然としていたリディアは、自分が何かを言う前にウィル・ダーリングがミユの腕を掴んでいるのを見て、慌てて二人の間に入り込む。
「待って、ダーリング。ギルモア、あなた何を……」
「生徒に告白したとか聞いたけど! ウィルを狙ってるんでしょ」
「はああ?」
ウィルが叫んで、リディアに目をやって思いきり睨んでくる。
リディアとしては、意味がわからない、睨まれる理由も、その意味不明な噂も。
「「誰だよ、その相手!?」」
ウィルの非難の相手は、なぜかリディアだった。なぜかマーレンの声も重なっている。
リディアはどの行動がその誤解を生じさせたのか思い出そうとしたが、目の前で騒ぐ元凶のミユの姿に慌てて意識を取り戻す。まだ授業中だってば。
「言っとくけどね、ウィルは、年上好きだからね。先生が狙っても無理。ウィルの好みは頭が軽くて可愛くて隙があって、簡単にやらせてくれる子なんだから」
(うわー)
リディアは、ミユのウィル評価にドン引きしかけたが、そんな場合じゃない。この子トラブルメーカーだ。正気じゃない。
「――っ、何だよ、それ!」
「ミユ・ギルモア!」
リディアは、今度こそ怒りをミユに向けるウィルの前で出て、ミユとの間に壁を作る。そして彼女の腕を掴んで廊下に引っ張り出す。
一緒に出てこようとしたウィルの鼻先でドアを閉じて、ミユと対峙する。
「ちょっとやめて、離して!」
「今は授業中だといったでしょ。部外者を放り出す権利が私にはあるの。それ以上に他人をけなす行為は許しません。私は教師だから、他者を傷つけるような言動の場合は注意をします」
休み時間だ。廊下を通り過ぎる生徒の注目が激しい。
リディアは、彼女の腕を掴んで、自分の研究室まで連れて行こうとしたが、足を踏ん張り抵抗されると動くことができない。
落ち着かせるために、出来れば人気のないところで話したいのだけど。
「ミユ、お前いい加減にしろよ!」
ああ、ウィルが出てきてしまった。他の生徒は出てこないけれど、きっと扉の向こうで聞き耳を立てているのに違いない。
「何がよ! ウィルは、口出ししないで。ミユはリディア先生が生徒を狙ってるって聞いてチューコクしに来たの。いっとくけど、先生は無理だからね。だって、全然ウィルの好みじゃないもん」
「お前だって好みじゃねーよ」
「うそ! 知ってるもん。ウィルはミユがシルビス人だから好きだったんでしょ! ケヴィンにきいたんだから。悪いけど先生は――」
そこまで言って、ミユは不意に口を閉ざす。リディアの顔を見て、思いきり顔をしかめて、改めて上から下まで凝視する。
(なんかいやな予感だ)
これって、もしかして。またあの話題?
「先生って? もしかして――出身、どこ?」
リディアは、ミユの疑いと半信半疑の眼差しに警戒心をいだきながら口を開く。
「悪いけど、――私もシルビス出身」
「うそ」
「うそじゃないわ」
「だって、全然、らしくないじゃない……。髪も顔も、身長も……規格外」
ああ、やっぱり。ミユの評価にリディアは黙って口を引き結んだ。
ミユも黙り、ウィルだけが、怒りを見せたままミユに口を開く。
「はあ? お前、何言ってんだよ。リディアがなんだって――?」
「だから、シルビス人らしくないのに、姓だって中央系だし。ハーネストって……あれ?」
ミユはリディアを見つめて不意に言葉を忘れたかのように黙る。口をぽかんと開いたまま、カクンと胡桃割り人形のように閉じる。
「……ハーネスト? 先生の、姓って……」
「うそでしょ」と言いながら尋ねてくるのはなぜ? 頷くとまた「うそ」とミユは声に出さないで、口の動きだけでなぞる。
「もしかして、お父さま……ハーネスト、なんとか大臣? ええと、経済? あれ、何とか省の」
「――外務大臣、今は」
リディアはため息と共に、それを吐き出した。
ため息はミユに呆れているからだけじゃない、けして自国の大臣くらい覚えていて欲しいと思ったからじゃない。
けれど、ミユは目をまん丸に見開いて、口で手を押さえて叫ぶ。
「信じらんない! なんでこんなところに……」
今度はいきなり首から上が真っ赤になるミユ。手で口を押さえて、奇声を発する。
予想外の反応で、リディアのほうがびびってしまう。え、なぜ? まるで恋する乙女、アイドルに会った女子の反応。
「先生? もしかして、お兄様ってアレクシス様……」
リディアは答えない、ただ顔をこわばらせる。しかしミユは瞳を潤ませて、涙まで流す。
「そうなの!? 近衛兵隊長にして払暁騎士団の――光輝なる騎士、白夜の君、白皙の美貌の貴公子――アレクシス・ハーネスト様!?」
ミユの声は歓喜に裏返っていた。もはや叫び声。それよりも、リディアはその長くてわけのわからない名称に、とても引いていた。なにそのキラキラな呼び名、誰それ。
「早く、言ってよね!! しんじらんなあああい」
いきなり真っ赤な顔のまま、リディアに怒鳴ったミユ。
その後、顔を押さえて身を翻し、リディアに構わず廊下を反対方向に走って逃げてしまう。
呼び止める暇もない。
リディアは目を瞬いて、それからウィルを振り仰ぐ。ウィルは、さすがに厳しい表情だった。
「なんだろうね、今の」
リディアの言葉に、ようやくウィルも反応を返す。彼は、ため息を一つ零す。
「俺もわかんね、ていうか整理させて」
「うん」
「アンタ誰かに告ったの?」
一番に聞くことそれ?
リディアは呆れもしたが、全く身に覚えがないから首を横に振る。するとウィルはふーんと、今までの考え込むような難しい顔をやめて、「ならいいや」とまで呟く。
「思い当たることは?」
「何で尋問?」
「俺が知りたいから」
リディアは、一拍置いて首を横に振った。家のこと聞かれるよりはいいや。
「ところでええと、ダーリングあなた……」
ウィルは、アッと声を上げてリディアを遮る。
「ワルィ。いやな思いさせた。なんか変な騒ぎに巻き込んで」
「いいえ、私は特に何も思ってないから」
リディアの言葉に、ウィルは不機嫌そうに口を引き結んで、それからなんとも言えない顔でぼそっと呟く。
「違うから。俺、その、今は――」
その顔を見てリディアは思う。
ウィルは器用そうに見えて、こういうところが不器用だ。周りからの遊んでいるような派手なイメージをどう払拭していいかわからない。だから誤解されたままにしている、そう感じてしまう。
「わかってる。ごめんなさいね、私とのことで誤解されて、後で彼女に訂正してね」
「は!? わかってねーよ!」
なのにウィルはいきなり怒り出した。
「俺の言いたいこと全然わかってねーし! なんだよ」
(何で怒りだすの!?)
ウィルの情緒が不安定すぎる。
「ウィル、いい加減にしろ。部屋の中にも廊下にも響き渡っている」
ドアが開いて、キーファが冷静にウィルを諭す。
「そんなところで話していたら目立つし、休み時間もなくなる。片づけを手伝ってくれ」
いつもより彼の声が冷ややかに聞こえた気がしたけれど、ウィルは気づいた様子はない。
ただリディアを物言いたげにまた見下ろして、ぎゅっと眉を寄せて「今に見てろよ」とだけ呟いて、乱暴に演習室の中に入って行った。
それを見送ったキーファは、リディアを見てわずかに気遣う眼差しを見せる。リディアは平気と言うように首をふって、部屋に戻った。
生徒はみんな部屋の中央にいた。不自然なくらい集まっていて、白々しく雑談をしているフリをしている。
なのにまだ片づけが済んでいない。やっぱり聞き耳を立てていたのが丸分かりだ。リディアは、気を取り直して告げた。
「さ、後片付けして。お互い、お昼休みを取るためにね」
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