46.騒動の行方


 リディアは、マーレンからの例のハイヒールの箱を両手で胸に抱きしめながら歩いていた。


 湿布と鎮痛剤で、なんとか痛みを堪えながら歩く。

 ヒールのある靴を履くのは悪化させるだけだと思うし、そろそろと歩きながらも鈍い痛みがじわじわと広がり、怖さもある。

 けれど、今はこの靴の存在がありがたい。


(でも、凄く恥ずかしい)


 足を引きずらないようにするものの、人にどんどん後ろから抜かれていく。しかも、抜く人はリディアにちらりと視線を向けていく。


 流石と思ったのは、リディアの上司である教授と准教授。

 会議に来たリディアの歩く様子を見ても、全然気づいた様子がなかった。

 その素晴らしい鈍感力がありがたい。詮索されないことに胸を撫で下ろす。


 それにしても――先ほどの会議での会話を思い出す。

 差し入れについて、またもや話が蒸し返された。


(会議って、そういうことを話す場所?)


 大事な生徒の教育方針ではなく、なんでこれが議題になるのだろう。

 

 エルガー教授推しの高級瓶ジュースを、委員会に一人で持参するのは難しいとリディアが言ったら、ずっと謎の休暇中で初めて会議で顔を見せたネメチ准教授は「持参が大事ですわ。手渡ししてこその好印象でしょう。あなたエルガー教授に恥をかかせる気なの?」と言い出し、教授を持ち上げ始めた。


 さらに差し入れの代金を建て替えているリディアに、「私が若いときは、自分の財布から差し入れ代を全額出しましたわあ」なんて言い出し、教授をご満悦にさせていた。


(下っ端に自腹を切らせるとか、驚愕すぎる……)


 あまりの展開が、現実のものとは思えない。ここは異世界じゃないかと思った。


 さらに准教授は「差し入れには、ゴデ○バのチョコレートが常識よ」とまで言いだす始末。

 ゴデ○バは、一昔前に愛の告白イベントに使われた高級チョコレート。 

 一般認知度は高いとは言え、お値段は庶民的とは言えない。

 だから会議でばらまくなんて、無理。五十人分なんておかしい。

 

 茫然自失状態のリディアに上司達は「安物を差し上げてどうするの!? お里がしれるわね」とまで言いのけた。


(パワハラ? パワハラだよね) 


 リディアが予算のことで逆らってから、エルガー教授からリディアへの当たりは厳しくなるばかり。

 こういうことがあるから、みんな逆らわないでイエスマンになるのねー、と理解したけれど、無駄な経験だ。

 

 「ゴデ○バ信者って年齢がバレますね」とリディアが言ったら、准教授は目を剥いて、呪いをかけそうな目で睨んできた。

 ゴデ○バは好きだけど、会議でばら撒くものではない。「おいしいから食べて」、ではなく、「こんなものを差し入れる私、素敵でしょ」だ。


 この瞬間、准教授も敵に回してしまったのをリディアは悟った。

 まあ最初から味方ではなかったから、もういいや。


「――おせんべいにしてやる」


 差し入れは、おせんべいに決定だ。大きな箱で立派そうに見えて、軽くて、安い。


(――あれ? だから私、教授に気に入られないのかも)


 悟ったところで、いきなり階段を下りて行く教授と准教授が見えて、リディアは思わず廊下の角に隠れる――じゃなくて、足を止めてやり過ごす。


「エルガー教授! 昨日はありがとうございましたあ。素敵なマンションでしたねぇ」

「そうねえ。でも築年数がねえ。中央地区の新築を狙いたいのよ」

「さっすが、教授ですわあ! 私にはお高くて手が出ないですもの。また次にマンションを見に行く時にはご一緒してもいいですかあ?」


(――何、あれ――?)


 何か気持ち悪いもの見た。


 ネメチ准教授の教授への態度は、部屋のドアをノックしたリディアを凄まじい剣幕で怒鳴ったときとは大違いだ。


「――お前に足りないのは、あれだな」

「わ」


 後にはマーレンがいた、背が高いのにリディアの背後を取るから壁のよう。


「何?」

「ネメチ准教授は、エルガー教授がマンションを購入するので、下見に付き添っているようです。昨日、日曜日は一日共に過ごされたようですよ」


 マーレンから一歩、いや数歩下がり丁寧に説明をしたのは、ヤン・クーチャンスだ。


「マンションの下見に付き添い? 日曜日に……」

「出世のためならそれぐらい当然だ」


 リディアは、頭を振った。いやだとも信じられないともどちらの意味でもいい。

 それで、ネメチ准教授はエルガー教授から授業を免除されましたか。その代わりに准教授がやるはずの魔法学概論の授業がリディアに回ってきたわけですか。


「お前は、処世術を知らない、というよりは下手くそだ」

「――そうね、そうね」


 あなただって、世間を知らないじゃない。そう言いかけてリディアはやめた。

 マーレンの目は、妙に真剣だ。


「宮廷では生き残れねぇな。まあいい」


 眉を潜めた、よくない。何、宮廷?


「単純なほうが俺は好みだ」


 何、なんか怪しくなってきた。聞き流すことにしよう。


「教授にはすでに気に入られていないからいいの」


 予算の件で皮肉を言った後から、会議のたびにいやみを言われるし、大量の仕事が回ってくるし、今まではリディアが作った資料は丸無視だったのが、「やり直し」の言葉と共に突っ返される。どこを直すのか聞いても「自分で考えなさい」だ。生徒かよ。


 顔が険しくなると、マーレンがフンと鼻を鳴らして、リディアの眉間をぎゅっと押してくる。身長差があると、こういうことされるから!


「やめてよ!」

「皺が取れなくなるぞ、うちの母上のように」


 マーレンの手を払ったリディアは、ぎょっとして眉間を押さえた。


「お母様、お幾つ?」

「人間年齢で言うと三十五だ」


 え? マーレンはいくつ? 人間年齢? えーと、エルフ年齢で計算するといくつ?


「気にするな。俺は人間年齢で二十三だ」


 人間年齢の十二歳でマーレンを産んだの? それはおかしい。エルフ年齢に換算しても、時間の流れも人間とは違うだろうから、もういいや。


「どちらにしろお前より俺が年上なのは変わりない、そしてまあ俺としては丁度いい」


 リディアは、皺が寄るのも構わず盛大に眉間をしかめた。


「その顔、かわいくねぇぞ」


 嫌なこという男子ですね! 

いいや、“子”ではない。

 エルフ年齢でも人間でもね、かわいくない成人男性だ。


「まあ……日曜日に教授にサービスしているより、あなた達に授業をしていたほうがいいけどね」


 一回の授業を作るのに、土日丸々潰すけどね。二日はかかるけどね。


「さすが、先生ですねえ」


 ヤンが爽やかに褒める。このセリフ、広めないでね。

 やばい失言だった。教授に伝わったら、更に授業を押し付けられるじゃない。


「ところで、それは破棄するのか」


 マーレンはリディアが手にしていた箱に目を向ける。彼からのハイヒールの箱だ。素っ気無く尊大で、別にどうでもいいという雰囲気だけど。


「困っているなら捨てろ」


 リディアは、ちょうどこの場にマーレンが居合わせたことに戸惑ったが、当初の予定通り箱をゴミ箱の中に捨てた。

 振り向くとマーレンの微妙な顔。

 

 ちょっと傷つけた、かな。胸にチクリと痛みが飛来する。


「物を捨てるとか、出来るわけないでしょ……」


 訂正を入れるけれど、複雑な感情があるからリデイアも素直になれない。


 ただ足をちらりと見下ろす。

 ――捨てたのは空き箱、履いているのは彼から貰ったハイヒールだ。


 マーレンの顔色が変わる、わかったのかな。

 自分の上げたカラーを覚えていないのは、ヤンが手配したからかな? 色違いをプレゼントするところが、気が利きすぎているというか。


「ありがとうね。でも、――もうしないでね」


 マーレンを見上げて告げて、横をすり抜ける。


「――殿下、顔、顔をお引き締めください」


 背を向ける前のマーレンは口を引き結んで、何かむず痒そうな堪えた顔をしていたが、いきなり真顔に戻る。


「お前――」


 何かを言いかけて、マーレンがリディアの肩に手を伸ばした時だった。


 叫び声が聞こえて、リディアは即座に走り出した。

 が、足が痛んで、一歩目で転びかける。一瞬身体が傾いだが、意志の力で堪えて、早足ぐらいの速度に落とした。


 ところで、このハイヒールを履くと、どうして走る羽目になるのだろう?






「なあ。お前! ちょっと待て」

「ハーイェク、あなたはついてこなくていいから」


 走れないリディアには、当然マーレンが横に並んで話しかけてくる。むしろマーレンのほうが追い抜かしそうだけど。


「そうじゃない! 待てと――」


 マーレンと言い合いをしながら階段を上がったところで、聞こえてきたのは女の子のヒステリックな張り上げる声。


「そんなんだから! ――だからウィルは、魔法が使えないんだよ!」


 廊下に腰を落とし床に転がる男子と付き添うように膝をつく女子。

 目の前で拳を握りしめて、立ちふさがっていたのはウィルだ。


「あいつ、何やってんだ」


 マーレンが呟く。


「どうしたの?」


 リディアが教員としての顔を貼り付けて場に参入すると、ウィルはこれまでにないくらい悔しそうな険しい顔で、顔を背けた。


「ウィルが、ケヴィンを殴ったんです」

「そう」


(修羅場――? それにしても、最悪な状況)


 ミユのウィルを全面的に責める気配に、リディアは騒ぎを大きくさせないように一層淡々とした口調で返答する。そして、まずケヴィンの顔に触れた。


「いてて、いてえよ」


 顔をしかめて痛みを訴えるケヴィン。唇の端は切れて血が滲んでいる、頬骨の下も痣になるかもしれないが、それほどひどい怪我ではない。


「頭は打った? 目は?」

「わかんねえ。頭、少し痛いかも」


 頭を触診するが、どこかを打ったような形跡はない。頬を一発だ、ただ目に当たっていたら問題だ。


「これが見える? 何本?」


 指を立てて、近づけ、遠ざける、左右に指を動かす。目の焦点は合っているし、追視もできる。


「口を開けて」


 歯は折れていない。


「いってえよ、せんせ、あーいてえ」

「冷やして、痛み止め飲めば大丈夫よ」


 ケヴィンの口調は、リディアに妙に甘えて密着してくる。声も大きく張り上げているし、注目を集めようとしているみたい。

 けれど、喧嘩の怪我を見慣れているリディアには、お芝居は通じない。


「ギルモア、彼を保健室に連れて行って」

「はい、でも」


「まずは、手当てと診断をしてもらって。話は後よ」

「はあーい」


 不満げなミユに、何かを言いたげなケヴィン。

 ウィルは立ち尽くしたままだ。

 

 リディアはウィルの前に屈んで、殴ったであろう彼の右手を掴む。


「何、してんだよ」

「あなたは、怪我はしていないわね。でも後から痛みがくるかも」

「ほっとけよ!」


 ウィルが目を尖らせて、手を振りほどく。


「そうだ。ほっとけよ、馬鹿者は」 


 マーレンの突っ込みは流す。


「ダーリング、手当てしましょう」

「……いいよ!」

「よくないの」


 怪我をしたのはケヴィン。被害者もケヴィンだ。


 ただ、心の傷のほうが深い場合もある。

 リディアはウィルの手首を掴んで、歩き出した。


 彼は一瞬、目に何かの感情を強く宿し唇を噛み締めたが、結局何も言わず、大人しくついてきた。





***



「ふうん」


 ケイは、一連の騒ぎを遠巻きに見ていた生徒たちの一番後ろで呟いた。


「あれ? ケイ、何してるの」


 騒ぎに集まっていた女子たちが解散しはじめて、そのうちの一人がケイを見て驚きに声をあげる。確か、水系魔法の選択の女の子達だ。

 同じ授業を取ったことはなかったけれど、構内でケイに話しかけてきて仲良くなった。ケイを見て仲良くなりたいって言ってきたのだ。


 女の子は、そうじゃなくちゃね。


「ううん。何か賑やかだなって。あの子達、誰?」

「ああ、あれ。ウィルとミユとケヴィンだよね。まだ揉めてんだ」

「有名?」

「そうだけど。ケヴィンもウィルも、ミユなんてどこがいいの?」


 女の子達が騒ぎ出す。


 ケイは、グレード三の笑みを浮かべて「ねえ詳しく教えて」と、頼んだ。



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