25.補習の誘い方


 教室に入り、マーレン王子の背中を眺める。

 尖った耳には相変わらずの銀のアイテム。クロムハーツのアクセと王家の紋章入り金環の二十四金は、組み合わせが微妙と思うけどな。

 

 マーレンは、全くこちらの方を見ない。その頑なにこちらを見ない背中は少し不自然だ。

 やっぱり、送り主は彼だろうか……。

 それとも従者のほうかな。ヤン・クーチャンスはどこだろう?


「お、センセ。王子といい仲になったん?」


 チャスの軽口に、そちらに目を向ける。

 チャスの探る眼差しに、ちょっと警戒する。彼は、さり気なく情報を集めているのだろうか。


 リディアは肩をすくめて、ぐるりと視線を巡らせて窓際のデイパックから教科書を出すウィルの元に近づく。今日は外部講師の講義だ。座学にはちゃんと出席していて偉いけど。


「ダーリング。今日、十七時に特別防護処理実験室に来て。一階の一三八号室」

「は?」「おお、密室!」


 ウィルとチャスの声が重なる。


「センセ、センセ! 放課後に実験室で二人きりとか、何すんの? うらやましー」

「なんで?」


 意外にも、ウィルは冷静だった。ただ彼は、眉を釣り上げてムッとしている。


「補習よ。科目の四分の一を欠席すると単位をあげられないの。あなたは初回の演習を抜けたのだから欠席。そして初回の魔力測定値によって、私の授業は展開を決めるから、今後の授業を受けたかったら出て」

「んだよ、授業外だろ? なら俺も断る権利があるはず」


リディアは、ニッコリと笑って、低く呟いた。


「――時間外勤務は、こっちのほう」

「え」

「私は裁量労働制なの。裁量労働制は、一切残業代が、出ないんだけどね。それで、何だったかしらね。えーと、あなたの言い分は? ない? ないなら鍵は開けておくから時間に来てね」


 裁量労働制――事前に働くとみなされている労働時間の想定により給料額が固定され、想定された以上の労働時間で働いても、残業代は一切でないもの。

 労働の仕方を労働者が決定できる働きかたという利点があるから、どこかの首相が「裁量労働制にすれば労働時間は減る」、と述べたとかなんとか。

 

 ただしそんなの適切な労働量が与えられている場合だけしか、利点はない。大学教員は教員と研究者、二つの職業を一人で担うのだ。

 教育だけでも週四十時間以上働いている、研究をしたら倍以上の労働時間になる。ちなみに、今週は八十時間労働だ。


(別に今更、生徒一人の補習を面倒をみるくらいはいいけどね!)


でも、「居残りさせやがって」とぼやかれたら、ちょっと言い返すのは許して欲しい。


 仕事が多いのはウィルのせいじゃない。


(でも、補習はあなたのせいだからね!)


 だって来週の授業に間にあわせるには、今日しかないのだ。それに十八時からゼミを行う領域もあるし、さほど問題のある時間ではない。


(ただ、逃げ道を塞がないと)


 傍目に見ても逃げ道がないというくらい強制しないと、ウィルは参加しない気がした。不承不承、参加したという体面を作ってあげないといけないというか……。


 けれどやり過ぎると、本当に反発してくるだろうし、リディアも彼への接し方は手探りだ。


「――俺も、参加する」


 と、突然声を発したのはマーレンだ。


「僕も見たいな、何その特別なんとか教室って!」


 ケイまでも、言い出す。


 けれどリディアは、ウィルを見据えて、視線を離さない。


「いいえ。――二人きりで。ダーリング、待っているから」 


 ウィルは返事をしなかった。ただ、強張った顔で見返してくるだけだった。




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