第3話

 やはり、朝は少々憂鬱だ。

 木曜日の朝、俺はソファから体を起こして目をこする。太ももあたりに何やら重みを感じる。


「………すぅ………すぅ……」


 そうだ、昨日、見知らぬ少女を見つけて、その子が鬼で、「茉夕」って名前をつけて…


「冷静に考えてみたら、これってものすごい事じゃ……」


 まぁ、今更考えたって仕方ないだろう。俺は茉夕を起こさないようにそっとソファから離れる。そして冷蔵庫に入っていた卵を取ろう………としたのだが、昨日の例の「茉夕のお料理チャレンジ」にて、卵はすべて亡きものになったのである。


「……しゃーねぇ、鮭でも焼くか」


 フライパンを取り出し、火をつける。時間を確認すると午前6時。まだまだ早朝の域は抜け出していない。ソファで寝たからか、所々体も痛いし…飯作ったら風呂でも入るか。そう思いつつ、俺は鮭を焼いていた。


「ん……んぅ……」


 茉夕がソファでむくりと体を起こした。細い目をキョロキョロさせて手で擦る。


「(やっぱり、ただの女の子だな)」

「あれ……ゆい、と?」

「おう、おはよ。茉夕、よく眠れたか?」

「おう、唯人の、おかげ、だな」

「お前死ぬほど眠そうだったのに無理して来たんだろ……」

「知らん、唯人が、暖かそう、だから」

「夏なのに……」


 すると茉夕はフライパンを物珍しそうに覗いていた。


「どうした?」

「この、黒いの、何?」

「ああ、これはフライパン、食事を焼く時に使う」

「茉夕も、して、みたい」

「だめ」

「ふぇぇ」

「そんな可愛い顔してもだめ」


 茉夕を許したら、大惨事が起こりかねない。それは、昨日の出来事で把握済みだ。なら、今のうちから茉夕に料理は出来ないことを知らしめなければ。


「なら、私は別のものを作るよ」

「ちっがーう!」


 朝早くに、少女と少年の声が反響した。





 ーーーーー



「んじゃあ、行ってくるわ」

「唯人、どこに?」

「学校さ」

「ガッコウ?」

「そう、俺たち若い世代は社会での知識を身につけるために、学校で勉強するんだ」


 茉夕の目は何故かキラキラしていた。そして俺の方に一歩踏み出し、食い入るように言った。


「茉夕も、それに、行きたいっ」

「だめ」

「ふぇぇ」

「懲りないなお前」


 またしても同じ顔をする。やはりこの顔には破壊力があるが、俺にとっては造作もない。


「唯人、何してるの?」

「あ、響奈先輩」

「ヒビナ」

「あら、茉夕ちゃん、おはよ」

「おはよう」


 笑顔で会釈する響奈先輩。まるで自分の子供と会話しているかのように優しい笑顔だった。


「こんなの……俺に向けられたことがない」

「はぁ?何言ってるか分かんないけど………もう時間だし、行くわよ」

「茉夕、透明化して、学校覗く」

「は、はぁ?ダメに決まってんだろ!」

「いいわよ唯人。この子が行きたいっていうんだもの。仕方ないわ」


 響奈先輩の顔は少し苦笑気味だったのだが、完全に口元が緩んでいた。満更でもないのだろう。

 結局、茉夕が学校についてくるのは、あまり他の人間に知られても茉夕が傷つくだけなので、無理矢理にでも家にいさせた。恐らく、鬼なら、危険なものは察知出来るだろう。

 通学途中、俺の足は一つの思考により止められた。


「あの、響奈先輩」

「何?」

「茉夕の事なんですけど」


 響奈先輩の足がそこで止まり、こちらを振り向いた。


「どうしたのよ?」

「あいつ、「透明化」って言ってましたよね?」

「…………ええ」


 このことを口にすると、次々と疑問が浮かんでくる。そもそも、あんな道端にいたのに、公にもされていないのもおかしい。


「そもそも、記憶がない割には、世間のことを知りすぎな気がします。人並みではないとはいえ」

「そうね、茉夕ちゃんがもし、どこかのスパイ、幹部だとしたら……」

「………」


 その可能性は捨てきれないが、それにしても不思議な点は次から次へと浮かび上がってくる。


「でも、もし……」


 記憶がない。茉夕は一言もそんな事言ってはいない。ここで俺は、ある一つの考察が浮かび上がる。

 社会をある程度知っていて、記憶喪失とは程遠い茉夕、こう考えると辻褄が合う。


「「記憶がない」んじゃなくて、「その記憶に残るものを体験していない」………?」

「………どういうことよ?」

「つまり、ただ単にお母さんもいなくて、名前もないただの鬼だったってこと………だと思います」

「つまり、同じような人生を歩んできて、記憶するほどの体験をしていないから、言う程の記憶が無いだけってこと?」


 茉夕は記憶喪失なんかじゃなく、言えばつまらない人生を過ごしてきたため、同じようなことは記憶から抹消、あるいは言うほどの体験をしていないだけ。


「………その可能性もあるけど、まだまだ茉夕の危険性がゼロになったわけじゃない。注意して過ごしていきますよ」

「ええ、でも、あのこの目は純粋無垢そのものよ」


 響奈先輩はまた歩き出した。俺はそれについて行くように歩を進める。

 数分歩くと、現代的な建物が見えてきた。松原学院高校。私立の進学校である。俺と響奈先輩はここの生徒であり、スポーツも全国レベルなのだ。

 ちなみに俺はサッカー部、響奈先輩は美術部。両方とも有名な部活である。


「きょうも学校かぁ…」

「…………唯人、元気ないのぉ?」

「おわぁ!?」


 ため息をついてゆっくり歩く俺の背後から霊のように顔を出す女性。灰色のセミロングと青色の双眸。背は俺よりも数センチ低め。

 彼女の名前は霧島 玲香れいか。俺のクラスメイトで仲のいい友人の1人だ。


「玲香………俺は今機嫌が悪いんだ。ほっといてくれ」

「またまたぁー!可愛くないぼぉやだのぉ…」

「キャラブレブレだぞ、ホントのお前はどこだ」

「えぇー?これが玲香ちゃんだよぉー?」


 こいつと話していると、いつの間にかコントのようになってしまい、傍からは「夫婦コンビ」と言われてしまい、不快な気持ちになることは多々ある。


「あ、響奈先輩。ちゃぁーす」

「ええ、おはよう玲香」


 玲香も同じ美術部で響奈先輩とも仲がいいそうだ。


「響奈先輩、今日東京タワーの絵を描いて来たんですけどーーーーー」

「………もう少し輪郭をハッキリさせたらどう?」

「ほむほむ、なるほど……」


 先輩後輩の立場はしっかりと守りつつ、ふざけ合ったりするこの2人の関係は素敵なものだと思う。


「じゃあ唯人、玲香。また後で」

「はーい」


 三年生の下駄箱は一番右にあるのに対し、俺たち一年生の下駄箱はその逆の左に位置しているため、早くに別れてしまう。

 その途中、唐突に玲香は俺の腕に抱きついてくる。


「……すぅー」

「お、おい。なんだよ……」


 すると玲香は神妙な面持ちで顔を上げた。その顔はいつものおちゃらけた表情ではなく、少し真剣だった。


「唯人、新しい家族ができた?」

「……っ!」


 こいつはエスパーなのか?

 この時は冗談抜きで玲香の凄さを思い知った。


「図星みたいだね。それに小さな女の子……うわっ、唯人ったら犯罪者ー」

「やめろ、その子は道に捨てられてたんだ。だから一時的に家に置いてるんだよ」


 俺がそう言うと玲香はにっこりと笑顔を見せて、俺から離れた。


「よかった!唯人も腐ってはないんだね!」

「なんの心配をしてるんだ……」

「でも、その子、普通の子とは違うみたいだし、少し注意した方がいいよ」

「?……わかった」


 最後の玲香の言葉には俺も引っかかった。普通の子とは違うのは重々承知している。しかし、玲香は何故そこまで見抜くことが出来たのか。

 疑問に思いつつも、俺と玲香は1年B組の扉を開けた。


「ちぃーす」

「お、夫婦揃って登場かよ」

「目ん玉くり抜くぞ洸成」

「てへっ!」

「よし、こっち向け」

「わかった俺が悪かった」


 茶髪の髪が上げて整えられているこの青年は俺の腐れ縁の友人、熊野 洸成こうせい。同じサッカー部で、俺と洸成は中学からスポーツ推薦でこの松原学院に入学したのだ。


「という訳で、唯人」

「?」


 と、洸成はさっきのノリノリな雰囲気とは裏腹に真面目な面持ちでこちらを見ていた。


「(まさか……こいつにもバレた?)」


 そう思った矢先だった。洸成は膝を曲げ、床につき、両手を八の字にして額を床に擦り付けた。

 ……………見事な土下座である。


「宿題見せてくださぁぁぁい!」

「俺はもうお前に呆れたぞ洸成」

「うわぁぁ!見捨てないでぇぇ!」

「ふふふ!無様だね熊野くん!」

「うるさいやい!」

「お前もキャラブレブレなのかよ……」


 スポーツ推薦なだけあり、勉強は真面目にしてこなかった洸成。俺の方はここには一般でも入れるレベルだったのだが、試験の倍率は2倍を超える人気校なので、推薦という安全策をとった。


「はぁ……………しゃーない」

「おわぁぁ!お前まじメシア!」

「………とっととやれよ……」

「おう!熊野!全力で宿題移しま………」

「?」


 瞬間、洸成の表情がとんでもない怯えた表情へと変貌していった。洸成の目線は俺の真横。廊下を背に向けていた俺は玲香と一緒に後ろを振り返った。


「あらぁ?………みなさんおはようございまぁーす♪」

「………」


 やってしまった。この人の前でとんでもないことをしてしまった。

 黒い長髪は髪留めによってポニーテールになり、乱れたワイシャツをきた女性。

 30代とは思えない若さをもつ俺達の担任、赤木 美乃よしの。みんなからは「よしの先生」と呼ばれている。

 しかし、この人、一件優しいのだが、怒るととんでもないくらい怖いのだ。

 それも、怒鳴る感じではない。


「熊野くん、宿題見せてもらうの何回目?」

「………さ、3回目……です」

「砂原くん、熊野くんに宿題見せるの何回目?」

「………3回目です……」


 俺と洸成がそう答えると、にっこりと屈託のない笑顔を見せてくれた。普通にしていれば美人なのにと、俺も洸成も思った。

 その直後の事だった。


「じゃあその5倍!15枚の反省文を個室で書いてもらいまーす!」

「………」


 これが美乃先生の怖いところ。

 容赦なく辛い仕事を言い渡し、途中で止めさせることは許されない。鬼畜教師である。


「……ぅ、……ううぅ」

「仕方ねぇ洸成。これも運命だ」


 悶える洸成の肩に手を置き、2人でトボトボと歩いていく。授業にも遅れるしめんどくさいし。最悪である。



 ーーーーー




 個室についた俺達は棚から原稿用紙を取り出し、早速書き始めた。


「はぁ……きっつぅ……」


 椅子にもたれかかり、スマホを触る洸成。俺は溜息をつきながらも、二枚目に突入した。


「あと14枚………無限地獄だな……」

「なぁもう一時限目入ってるぜぇ……」

「ああ………お前もだらけてねぇで手を動かせ………………ん?あれ?」


 俺はある不思議な体験をした。

 俺の隣には書き終わった原稿用紙1枚と、空白の原稿用紙13枚があったはずなのに、空白の原稿用紙がごっそり消えていたのだ。


「………ポルターガイスト?」

「どうしたんだよ?」

「いや、ここに置いてた原稿用紙が消えた」


 すると洸成は目を細めて俺を見つめた。


「はぁ?」

「いや確かにとったはず……」

「大丈夫か唯人?」

「あ、ああ」


 そして何気なくゴミ箱を見てみるとそこには大量の原稿用紙が捨てられていた。


「なっ!?」


 俺は驚いてその原稿用紙を取る。

 俺はゴミ箱まで距離があったので、自分で捨てたとは考えられない。


「本当に幽霊が?それとも……透明人間………?………あっ」


 俺は当たりをキョロキョロして、「あいつ」を探す。しかし、「あいつ」の姿はなかった。

 これが鬼の力なのか。と、改めて実感した。

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鬼神少女は同居人 二川 迅 @Momiji2335

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