第10話 「羨望」

「話があります。放課後、私の家に来てください」


 階段から転げ落ちて入院していた裕太は三日ぶりに登校した。

 そして廊下で会った黒羽に開口一番そう言われた。


(このまえ彼女のパンツを見てしまった件か? でも彼女だって大人だし、やむを得ない事態だったのは分かっているはずだけど)


 しばらく口をきいてくれないと思っていたら、まさか彼女の方から話しかけてくるとは。いったいどういうつもりだろうと、裕太はあれこれと考え込んだ。


「なに、あんた、姫と付き合ってるの!?」


 祐太たちのやりとりを見ていた綾乃が素っ頓狂な声を出して近寄ってきた。


「まさか。そんなはずないじゃん」


 裕太が否定すると、綾乃は「だよねー」と笑った。


「どう考えても釣り合わないもんね」

「ほっとけよ。でも話ってなんだろう」

「ここでは話せないみたいだけど……。女子には話せなくて男子には話せる内容、うーん、気になる!」


 学校一の情報通としては知りたいところなのだろう。そんな彼女の様子に、裕太は思わず苦笑してしまう。


「教えても大丈夫そうな内容だったら後で教えるよ」

「マジ? 期待してるね。学校新聞で使えるネタだったらいいなぁ」



◇ ◇ ◇



 放課後になり、裕太は黒羽を迎えに来た車に一緒に乗り込んだ。

 車内では二人とも沈黙したままだった。

 そして屋敷に着くと、そのまま黒羽の部屋に入った。

 前回クラスメートと来たときは応接間でずっと会話していたので、彼女の部屋に入ったのはこれが初めてだった。

 室内に置かれた家具は高級品で揃えられていたが、必要最低限の物で纏められたとても質素な部屋だ。

 部屋にはすでに人がいた。妖狐の神、尾崎だ。裕太が初めて会った時はメイド服だったが、いまは紺のスーツを着ている。

 三人はテーブルに向い合せで座った。


「さっそくだが本題に入るぞ。まずはこれを見てくれ」


 そう言って黒羽が裕太に手渡したのは一枚の用紙。

 裕太は内容に見覚えがあった。以前、黒羽のノートパソコンで自身の個人プロフィールを見せてもらったことがあったが、これはその一部を印刷したもののようだ。


「特記事項を読んでみろ」


 言われるままに、下のほうに印字された特記事項の部分を読んでみる。


「『20xx年x月x日 スキル【寿命まで死なない】習得』 ……なんだこれ?」

「ほら、ゲームとかでよく出てくるでしょ? それと同じ。あなたに特殊なスキルが発現したのよ」

「『膨大な魔法力』とか『無敵の剣技』とかじゃなくて『寿命まで死なない』? なんかすごい地味なスキルに感じるけど」

「まあ、普通に生活するだけだったら役に立たないスキルね。あたしたちが教えなければ、スキルを得たことすら知らずに寿命を迎えていたでしょう」


 尾崎が続けて言う。


「でも、これはとんでもないスキルよ。分からない? 『寿命まで死なない』ということは『寿命以外では死なない』ということなの」

「もっと具体的に言えば、ナイフで刺されても銃で撃たれてもそなたは死なない。目の前で核爆弾が炸裂してもピンピンしておるだろうな」


 黒羽が尾崎の言葉を補足した。


「だが、死なないだけで肉体が強化されたわけではないから、そこは勘違いしないように」

「筋肉モリモリマッチョマンに勝負を挑んでも勝てないというわけか。理解したよ。でも、なんで俺にこんなスキルが……」

「もともと素質を持っていたんでしょうね。特記事項に表記されない程度の僅かな力だったけど、そのおかげで三度も死に掛けたのに臨死で済んだ。そして、本格的なスキル覚醒のきっかけになったのは、おそらく黒羽さん」


 尾崎はちらりと黒羽に視線を向ける。


「まったく、裕太君に異世界転生する資格がないと言い切っておきながら、殴って発現させてしまうなんてどんな皮肉よ」


 尾崎は呆れ顔になった。

 顔を赤くした黒羽だったが、彼女は無言を貫いた。


「スキルというのはね、基本的に異世界転生候補者の魂を向こうの世界に送り出すときに付与されるものなの。だから生きている人間に発現することは滅多にない。たとえ発現したとしても『ちょっとだけ他人より頭がいい』『ちょっとだけ他人より肉体に優れている』『ちょっとだけ他人より運がいい』といった程度。あなたのようにレアスキルが発現するなんて、まさに天文学的確率よ」

「ということは……?」

「おめでとう、裕太君。人としては未熟だけど、あなたの持つスキルはそれを補って有り余るもの。異世界転生候補者として認定します」

「お、おお!」


 レアスキルに目覚めたと言われてもイマイチ実感が分からなかったが、異世界転生候補者に認定されたと言われて初めて実感が湧いた。

 何の取柄もない自分が、幸運にもレアスキルを手に入れ、異世界への転生候補者に選ばれたのだ。まるでラノベのような展開に裕太は歓声を上げた。

 そのとき黒羽と視線が交わった。

 裕太は驚いた。彼女は羨望の眼差しを裕太に向けていたのだ。

 彼の視線に気づくと黒羽はすぐに表情を消したが、間違いなく彼のことを羨ましがっていた。

 彼女は神だ。どんな人間よりも優れた力を持っている。それなのに彼女は裕太を心底羨ましがったのだ。


「すぐに転生するもよし、天寿を全うしてから転生するもよし。もちろん転生の資格を放棄するのも自由よ。そこは裕太君自身が考えて決めてちょうだい。……ねぇ、話をちゃんと聞いておかないと、後で困るわよ?」

「あ、はい。聞いてます」


 心ここにあらずな裕太に尾崎が声を掛けると、裕太は半おざなりに答えた。

 今の彼の頭には黒羽のことしかなかった。

 尾崎はそんな彼の様子を見て、突然の出来事で少し混乱しているのだろうと考えた。


「それじゃ、今日の所はこれぐらいにしておきましょうか。黒羽さんはまだしばらく地上に残るから、何かあったら彼女に言ってちょうだい」


 そう言って部屋を出て行く尾崎の後を裕太は追った。


「あの、尾崎さん! ちょっと聞きたいことがあるんですが」


 廊下に出て、裕太は彼女を呼び止めた。


「何が知りたいの? あ、ひょっとしてスリーサイズ?」

「そうじゃなくて、黒羽のことです」

「黒羽さん?」

「さっき彼女、俺のことをすごい羨ましそうな表情で見ていたんです。それが何でなのか知りたくて」


 尾崎は真面目な表情になった。


「そう……。理由は見当がつくわ。でも、それはあたしの口からは言えない。知りたいのなら彼女自身から直接聞くことね」


 突き放した言い方に戸惑う裕太。


「あなたならひょっとしたら……いえ、なんでもないわ」


 尾崎は何かを言いかけたが、口を噤んで歩み去った。

 残された祐太は、振り返って黒羽の部屋の扉を見つめた。

 しばらく逡巡した後、彼は扉をノックした。

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