第9話 「覚醒」

 二年一組教室、二限目の授業中。

 俺、山田裕太は考え込んでいた。

 勉強のこと? それとも恋に関する悩み? いやいや、そんなことじゃない。

 何を考えているのかと言えば、それはもう一つしかない。転生を司る女神、黒羽のことだった。

 隣の席にちらりと目をやると、彼女は真面目に授業を受けていた。

 有休消化でバカンスのために地上に降りてきたと彼女は言っていたが、どうにも疑わしい。

 本当にそんなことのために地上に来たのだろうか?

 ふと『分からないことがあったら、書き出して考えを纏めてみろ』と彼女から勉強のアドバイスを受けたときに言われたことを思い出した。

 俺は現状で分かっていることをノートに書き出してみた。


 A:彼女は転生を司る神である。

 B:彼女は非常に真面目で堅物な性格である。

 C:彼女は有休消化の為に、バカンスで地上に降りてきた。


(たったこれだけか)


 情報はわずか三つだけ。だけど考えを纏めるには十分だった。


(まずおかしいのはCだな)


 彼女が長期休暇を取るのは不自然だ。それはBから推測できる。知り合って日も浅いが、彼女の性格からして長期休暇などあり得ない。

 そしてバカンスで地上に降りるというのもおかしい。休暇を取るなら別に天国でもいいはず。

 そこでAが出てくる。『仕事第一』の『転生を司る神』が『わざわざ俺の通う学校に転校』してくる理由は? 思い当たるのはたった一つ。


(俺の監視、か)


 ということは、俺は異世界転生の候補者に選ばれたのだろうか?

 しかし、出会った当初『そなたがごときが異世界転生できるわけないだろ』と彼女に言われた。さらに、天国の役所のサーバーに保存された個人プロフィールには何の特殊能力も記載されていなかった。それは俺自身がこの目で確認している。


(さて、どうしたもんか)


 このまま何も知らないふりをして監視され続けるか、それとも思い切って本人に直接聞くか。

 さすがにトイレや入浴などは監視されていないだろうけど、どうにも居心地が悪い。

 俺ぐらいの年頃の男なら毎晩のようにしているティッシュを消費するアレを見られているとしたら、恥ずかしさのあまり悶え死にたくなる。

 しかし、聞いたところで真実を話してくれるという保証はない。仕事で監視しているのなら尚更だ。

 俺は悩んだ。

 悩んで悩んで悩んだ末に一つの決断を下した。



◇ ◇ ◇



「それで、話とは何だ?」


 校舎の外れ、人気のない階段の踊り場に俺は黒羽を呼び出した。

 あれこれと色々考えても仕方ない。俺は直球で尋ねることにした。


「君がこの学校に転校してきた本当の理由が知りたい」


 黒羽の表情がわずかに変わる。


「これは推測だけど、君は俺の事を監視するため、にいいいぃ~っ!?」


 俺は足を滑らせた。言葉が途中から悲鳴に変わる。

 この学校では清掃員が教室や廊下の掃除をしている。そしてつい先ほどまで、清掃のおばちゃんが濡れたモップで掃除をしたため、床面が非常に滑りやすくなっていたのだ。

 当然俺はそんなことを知る由もなく、とにかく床に身体を打ち付けるのを避けるため、咄嗟に近くの物にしがみついた。

 ズン、と床に倒れこむ。

 しかし、しがみついた物のおかげで、俺は大した打ち身もせずに済んだ。

 いったい何が俺を助けてくれたのかと、両手で握っている物に目を向ける。

 それはスカートだった。

 はっとして見上げると、そこにはスカートをずり下された黒羽のあられもない姿があった。


「白……」


 思わず呟く俺。


「ば、ば、ば……」


 黒羽がブルブルと身体を震わせ、顔を赤くしている。もちろん羞恥のためではないだろう。


「馬鹿者ーっ!」


 彼女の怒りの正拳が顔面にヒットした。


「ぶぎゃっ!?」


 俺は階段をゴロゴロと転げ落ち、そのまま意識を失った。



◇ ◇ ◇



 鼻歌が聞こえる。

 首の後ろが温かく、そして柔らかい感触がした。

 とても気持ちがいい。ずっとこのままでいたい気分だった。

 しかし、気分とは裏腹にゆっくりと目が覚めていく。


「大丈夫? どこか痛いところはない?」


 目を開けて最初に映ったのは、俺の顔を心配そうに覗き込んでいる綺麗な女性の姿だった。


「あ、あなたは」


 顔に見覚えがあった。確か黒羽の家でメイドをしていた……。


「……尾崎さん?」

「あら、覚えていてくれたの。嬉しいわ。あの時はメイドのふりをしていたけど、本当はあたし黒羽さんの上司なの。改めてよろしくね、裕太君」


 彼女はにっこりと微笑んだ。

 そのとき俺は彼女に膝枕されて寝ていることに気が付いた。


「あ、すみません」


 慌てて俺は起き上がろうとしたが、意外にも強い力で押し戻された。


「駄目よ、もう少し寝てなさい」

「は、はい」


 再び尾崎さんの膝を枕にして横になる。

 膝枕なんて初めての経験だった。

 ドキドキしながらも、周囲に目を向ける。

 パイプ椅子を数台、横一列に並べた即席のソファーの端に彼女は座り、その膝の上に俺は寝かされていた。

 部屋にも見覚えがあった。ここは黒羽の仕事部屋だ。


「あたしの執務室、エアコンが壊れちゃったの。それで黒羽さんの部屋を借りて仕事をしていたら、急にあなたが現れたのよ。びっくりしちゃった」


 俺の頭を優しく撫でながら彼女は尋ねてきた。


「それで、いったい何があったの? 死にかけてここに来たみたいだけど」


 俺は先ほどの黒羽とのやり取りをそのまま伝えた。


「ふふ、あはは!」


 聞き終えると、彼女は目の端に涙を浮かべながら笑い出した。


「黒羽さん……ふふ、何をしているのよ。よりにもよって、裕太君を殴って天国送りにするなんて……あはは!」


 ひとしきり笑った後、彼女は申し訳なさそうに謝った。


「ごめんなさいね、痛かったでしょ?」

「あそこまで本気で殴られたのは人生で初かも」


 俺がそう言うと、彼女は妖艶な笑みを浮かべた。


「部下の失態は上司がフォローしないと、ね」


 彼女の手が俺の股間へと伸びていく。


「な、なにをっ」


 ズボンの上から優しく撫でられた。それだけで俺の大事な部分は敏感に反応してしまう。


「ねぇ、あたしが何の神か分かる?」


 彼女は俺の胸に指先で文字を書いた。

 艶めかしい指の動きに俺の鼓動が早まる。


「『』『さき』『よう』『』……?」

「そう。尾崎葉子は、本当は尾裂妖狐と書くのよ」


 彼女は頭の後ろに手をやり、髪留めを外す。

 軽く頭を振ると、癖のない茶色の髪がばっと広がった。

 そして、ブラウスのボタンを上からゆっくりと外していく。豊満な胸が半ばまで露わになった。


「華陽婦人、妲己、葛の葉、玉藻前。聞いたことない?」


 知っている。ゲームやラノベでよく題材にされるキャラクターだ。美女に化け、人を惑わしたり悪しき行いをする存在。その正体は。


「……九尾の狐?」

「ピンポーン、大正解。正解者の裕太君にはご褒美をあげましょう」


 彼女の顔が近づいてくる。吐息が熱い。

 絶世の美女に迫られ、それを拒める青少年がいるだろうか? いやいない!


(ああ、お父さん、お母さん。あなたたちの息子はいま大人になりますっ)


 互いの唇が触れ合うまで、あと十センチ。五センチ。一センチ……。


「やはりここか。全く迷惑ばかり掛けおって……」


 ガチャリと音を立てて扉が開き、黒羽が部屋に入ってきた。

 そして俺たちの姿を見て彼女の動きが固まる。


「わ、私の部屋で何をしているのだ!」

「何って、それはもうこれからナニを」


 あっけらかんと答える尾崎さん。


「だから何故そうなる!」

「黒羽さんが裕太君を殴って死なせそうになったから、身体を張って許してもらおうとしていたのよ。それの何が悪いの?」

「そもそも、この者が私に無礼を働いたのが悪いのだ!」

「いいじゃない、パンモロぐらい」

「馬鹿者ーっ!」


 黒羽が怒りの声を上げる。


「きゃー、こわーい。裕太君助けて~」


 尾崎さんがしがみついてくる。押し付けられた柔らかな胸の感触に、俺は激しく動揺した。


「ええい、離れろ。私の前でイチャつくなっ」


 黒羽が間に割り込み、俺と尾崎さんを引き剥がす。


「……万年処女」


 ぼそっと尾崎さんが呟くと、黒羽が物凄い表情で彼女を睨みつけた。

 ぎゃーぎゃーとやりあう二人の神を前にして、俺はどうしたものかと立ち尽くすだけで精一杯だった。


「あれ……?」


 俺の身体がゆっくりと地面に沈んでいく。

 どうやら、地上で寝ている肉体が目を覚まそうとしているらしい。


「待て、まだ話は終わっていないぞ」


 黒羽が制止しようとしたが、俺の魂は勢い良く地上へと戻っていった。

 次、学校で会ったとき口をきいてくれるだろうか?

 ……きいてくれないだろうな。



◇ ◇ ◇



 祐太の魂が地上に戻ったのとほぼ同時刻。

 黒羽のメールアドレスに一通のメールが届いた。


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