第8話 「神楽邸」

 二年一組の教室、昼休み。


「ねぇねぇ、姫ってどんな家に住んでるの? やっぱ豪邸?」


 クラスメートの一人、伊藤遥いとうはるかが黒羽に尋ねた。

 新聞部部長である遥は、学校中の噂話や情報を網羅しており『歩くゴシップ誌』と呼ばれていた。そんな彼女が最近興味を持ったのが黒羽だ。

 超絶美人で非常に頭が良く、さらに気立ても良いという完璧人間。

 そんな彼女がどんな家に住んでいるのか、家族構成や恋人の有無、何が好きで何が嫌いなのか。遥は好奇心が抑えきれず、以前から彼女に関するあらゆる事が知りたくてウズウズしていた。

 ちなみに、先ほど遥が口にした『姫』というのは黒羽についたあだ名である。本人は姫と呼ばれることに困惑していたが、みんなが彼女のことをそう呼ぶため早々に受け入れていた。


「普通の家ですよ」


 黒羽が答えた。


「私もちょっと興味あるな。ねぇ、今度遊びに行ってもいい?」


 遥の隣にいた川瀬綾乃かわせあやのが会話に混ざる。クラス委員長を務める彼女は成績が良く、同じく成績の良い黒羽と話が合うため、よく勉強に関して相談し合う仲だった。


「構いませんけど……本当に大した家ではないんだけどなぁ」

「「やったー!」」


 黒羽のオッケーが出て、遥と綾乃が歓声を上げる。


「オレも興味あるんだけど、いいかな?」


 近くで話を聞いていた男子生徒――藤田望ふじたのぞむが手を挙げた。彼はどんなクラスにでも一人はいる典型的なお調子者だ。噂によると黒羽にラブレターを送ったものの、あっさり振られたらしい。それでもまだ狙っているらしく、男磨きに精を出しているそうだ。


「もちろんいいですよ」


 黒羽がそう言うと、望はうっしゃーとガッツポーズをした。


「山田君も来ますか?」


 黒羽が隣の席にいた裕太に声をかけた。


「んー、じゃあ俺も行こうかな」


 裕太は答えた。

 神である黒羽がどんな所に住んでいるのか裕太も興味があった。以前ちらっと聞いた話では、神と懇意のある人間たちの協力を得て、その人たちが提供した住まいに下宿しているらしい。


「じゃあ、今日の放課後、みなさんを我が家に招待しますね」


 黒羽はにっこりと笑った。



◇ ◇ ◇



 都内、某高級住宅街。


「うわ、でか!」と遥。

「すごい」と綾乃。

「これのどこが普通の家なんだ?」と望。

「こりゃまた……」と裕太。


 四人は目の前に建つ豪華な洋風の屋敷を見上げて感嘆の声を漏らした。

 放課後、迎えのリムジンに乗った裕太たちは黒羽の家に向かった。人生で初めてリムジンに乗った裕太たちは、大いにはしゃいだ。そんな彼らを出迎えたのが目の前の大屋敷である。

 二百坪はありそうな敷地。大きなガレージや美しい花が咲き誇る庭園があった。

 祐太たちがきょろきょろと周囲を見渡していると、玄関口の大きな扉が開き、一人のメイドが姿を現した。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「た、ただいま」


 メイドは黒羽に一礼した。

 白のカチューシャ、紺のメイド服。妖艶な雰囲気を漂わせた妙齢の女性だった。

 しかし、彼女の姿を見た黒羽の表情が強張っているのは何故だろう。


「綺麗な人……」

「オレ、本物のメイドさん初めて見た」


 裕太たちがざわついていると、メイドが話しかけてきた。


「お嬢様のご友人の方々ですね。初めまして。当屋敷で使用人を務めている尾崎と申します。どうぞこちらへ」


 尾崎に案内され、裕太たちは屋敷の中に入った。

 吹き抜けの天井には大きなシャンデリアが輝き、廊下には美術館に置かれているような彫刻がいくつも飾られている。裕太たちはどこかの宮殿にでも入り込んだかのような気分になった。

 豪華さに圧倒されつつ歩いていると、高価な調度品の置かれた応接間へと案内された。


「お飲み物をご用意しますので、しばしお待ちを」


 尾崎は頭を下げ、退室した。

 各々がソファーに座ってくつろいでいると、白のカンドゥーラを纏ったアラブ系の青年と、黒いスーツを着た白人の青年が応接間に入ってきた。裕太は二人に見覚えがあった。


「え、ムハさんとキリさん?」


 裕太は驚いた。天国にいるはずの二大神とここで出会うとは。

 ムハとキリは裕太と視線が合うと、目礼で挨拶をしてきた。


「おお、ミス黒羽。今日は商談で参りましたよ!」


 ムハは黒羽に近づいてハグをした。彼女の背中に回していた手がすっと動き、さりげなく尻の方へと向かう。

 黒羽は思いきり彼の足を踏みつけた。


「アウチ!」

「あら、失礼」


 しれっとした表情で黒羽は謝った。


「姫、そちらの方たちは?」

「ええと……そう! こちらはムハさん。父のビジネスパートナーで出資してもらっているんです。そちらの方はキリさん。ムハさんのボディーガードです」


 黒羽が紹介すると、ムハは大げさな身振りで挨拶をした。


「はじめまして、みなさん! ミス黒羽とビジネスの話をしに来たのですが、みなさんのほうが先約のようですね」


 続いてキリが遥と綾乃に話しかけた。


「こんにちは、お嬢さん方。ボディーガードが必要な時はいつでもお声掛けを。地球の裏側からでも駆け付けますよ」

「日本語お上手ですね」


 綾乃がそう返すと、キリは爽やかな笑顔を見せた。


「君たちを口説きたくて覚えました」


 キリは女の子たちにウィンクをしてみせた。

 キャーと遥たちが黄色い声を上げる。


「ご用件は後で伺いますので、ムハさんたちは別室でお待ちください」


 丁寧だが有無を言わさぬ口調で、黒羽は彼らを部屋から追い出した。


「姫って仕事もしてるの?」


 綾乃の疑問に黒羽が答える。


「仕事と言っても、父の仕事をほんのちょっと手伝っているだけです。大したことはしていません」

「ほんと姫は大人だよね」


 遥は感心したように言った。


「お待たせしました」


 そう言って応接間に入ってきたのはメイドの尾崎。彼女はジュースやお菓子が積まれたカートを運んできた。


「どうぞ」

「あ、どうも」


 尾崎が差し出したグラスを裕太と望が受け取る。

 蠱惑的な美貌。服の上からでもわかるくらいの悩まし気な肢体。健全な少年たちがその魅力に抗えるわけもなく、裕太と望は彼女に見惚れた。

 そんな彼らを遥はスマホのカメラで撮った。


「ん~、いいのが撮れた。題して『美人メイドに劣情を抱く二人の少年』」

「伊藤、変な写真撮るなよな」


 望が抗議の声を上げる。


「あはは、裏学校新聞のトップに載せようかなぁ」

「うげ、勘弁してくれよ」と裕太。


 尾崎がクスっと笑った。


「みなさん、すごく仲がよろしいのですね」

「うん。あ、でもちょっと前まで、それほど付き合いがあるわけじゃなかったんだよね、あたしたち」


 遥が言った。


「そうだね。同じクラスだけど、仲良くなったのはやっぱ姫のおかげかな」

「だね。姫が間に入っていてくれたおかげで、あまり話したこともなかった人たちとも話すようになったよ」


 綾乃と望が同意する。


「そんな」


 黒羽が顔を赤らめる。


「ふふ、青春って感じがしていいですね。みなさん、これからもお嬢様と仲良くしてください」


 尾崎が裕太たちに頭を下げる。


「も、もう、やめてよ」


 恥ずかしがる黒羽の様子に、周りにいたみんなは声を上げて笑った。



◇ ◇ ◇



「いったいどういうつもりだ?」


 裕太たちが帰った後、黒羽は尾崎たちを問い詰めていた。

 黒羽は彼女たちが今日ここに来ているとは知らなかったのだ。


「どうと言われても」

「我々は黒羽殿の制服姿を一目見たくて。いや、実にお似合いですよ」


 悪びれた様子もなくキリとムハが答える。


「まあまあ、そう怒らないでよ。黒羽さん」


 のほほんとした様子で尾崎が言う。


「課長も課長です。なんでそんな格好でここにいるんですか」


 黒羽が尾崎に冷たい視線を向ける。


「だって、ちゃんと仕事をしているか心配だったんだもの。地上に降りたの随分久しぶりでしょ?」

「とにかく私の仕事の邪魔をしないでください。いいですね?」

「はいはい」

「『はい』は一回!」

「はーい」


 黒羽は大きなため息をついた。


「で、仕事のほうはどう? 彼に変わった様子は見られる?」


 尾崎に問われ、黒羽は横に首を振る。


「いえ、特に何も。一週間分の報告書が出来ていますが読みますか?」

「特に無いならいいわ。引き続き調査をお願い」

「それにしても、何でこんな豪邸を滞在先に選んだの?」


 キリが尋ねると黒羽は肩をすくめた。


「アパートで構わないとここの人間たちに伝えたのだが『神様をそんなところに住ませるわけにはいきません!』と言われてな」

「ああ、それでお嬢様を演じることになったのか」

「おかげで貴重な姿を見ることができましたな」


 キリとムハがニヤニヤと笑う。

 そんな彼らを黒羽はきっと睨み付けた。

 はいはい、と尾崎は手を叩いた。


「お仕事の邪魔のようだから、あたしたちも帰るわね」

「次来るときは事前に連絡をしてください」


 黒羽が念押しすると、尾崎は完璧なお辞儀をして見せた。


「かしこまりました、お嬢様」


 次の瞬間には尾崎とキリ、ムハの姿は消えていた。

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