第5話 「黒羽の一日」
朝七時。1DKの室内に目覚まし時計のアラームが鳴り響く。
ベッドで寝ていた黒羽が目を覚ました。頭の上に手を伸ばしアラームを切る。
彼女はベッドの中で軽く伸びをした後、さっと起き上がった。
そのまま洗面台に向かい、顔を洗う。冷たい水で刺激され、眠気が一気に吹き飛んだ。
寝癖を櫛で軽く直し、彼女は食事の用意を始めた。
バターを乗せたトーストが一枚。砂糖多めのホットミルクに、ゆで卵一個。
それが彼女の定番の朝食だった。
彼女はリモコンを手にし、テレビを付けた。天国のテレビは地球上のあらゆる放送局の番組を見ることができた。
日本のニュース番組にチャンネルを合わせる。
食事をしながら政治・経済・事件・天気などをひとしきり見ると、黒羽はテレビのスイッチを切った。
その後、歯磨きを済ませ、出勤の準備を始めた。
寝間着をベッドに脱ぎ捨て下着姿になる。彼女のスレンダーな肢体が露になった。
黒羽はクローゼットからスーツを出した。
職場は服装自由だったが、真面目な彼女はスーツを好んだ。
着替え終え、洗面台の鏡を見ながら髪形や服装を整える。
洗面台の周囲には化粧品の類がほとんど見当たらない。その様なものを使わずとも、彼女は美しかったからだ。それ故に特別な用事があるとき以外に化粧をすることはなかった。
そして出勤時刻になった。
(電気よし、ガスよし、戸締りよし)
指差し確認をし、アパートの自室を出た。
職場までは歩いて十五分ほどの距離。ほどなく役所に着き、同僚たちと挨拶を交わしているうちに朝礼が始まった。
上長より業務連絡が行われ、各自仕事を開始する。
彼女の今日の仕事は、転生資格保有者二名との面接だった。二人とも異世界転生するのに相応しい人格の持ち主であったが、地球での生まれ変わりを望んだため、希望通り手続きを行うことになった。
そして午後の業務を開始しようとした時、内線で上長から呼び出しが掛かった。
黒羽はすぐに上長のいる隣の執務室に向かった。
「失礼します」
ドアを開けて中に入る。
部屋の奥。スチール机に腰掛けて脚を組み、手元の資料に目を向けていた女性が顔を上げた。
ものすごい美女だった。
歳は二十代の後半くらい。
くっきりとした顔立ちで、長めの茶色の髪を後頭部で結って纏めている。
大きくて張りのある胸と尻、それでいて腰は細い。誰もが見惚れてしまう均整の取れた肢体だ。
白のブラウスの胸元は大きく開かれ、豊かな胸が今にもこぼれんばかり。
紺色のぴっちりとしたタイトスカートからは、デニールの薄い黒のストッキングに包まれた脚がすらりと伸びている。
彼女は黒羽に負けず劣らず美しかったが、両者の美のベクトルは正反対を向いていた。黒羽が清純な美少女ならば、彼女は男を惑わす妖艶な美女だった。
「お呼びですか、尾崎課長」
黒羽の口調は固く、どこか距離を置いているのが感じられた。
「ええ。以前あなたから報告のあった少年の件だけど」
美女――
「その件でしたら『ここ』に三度も来たのは偶然、という結論で報告書を出したはずですが」
「一度なら偶然、二度も偶然というのはあるでしょう。でも、三度も続けば必然と考えるのが妥当だと思わない?」
「しかし、課長も彼のプロフィールは確認したはずです。彼に特別な力はない、只の一般人です」
きっぱりと答える黒羽。
「それでも、あたしは彼の事をちゃんと調べるべきだと思うの。部長も同意見だったわ」
葉子は黒羽の目を正面から見据える。
「黒羽さんに業務命令です。これから一ヶ月、地上に降りて彼――山田裕太の事を調査しなさい。報告書は一ヶ月後で構わない。緊急を要する場合は逐次報告してちょうだい」
「そんな。私は何件か仕事を抱えていて」
「それらは他の人に振ってもらっていいから。こっちのほうが最優先よ」
そして思い出したかのように葉子は付け加えた。
「ああ、そうそう。黒羽さん、有休を全然使わないから溜まっちゃっているわよ。この際だからついでに使っちゃいなさい。ひとまず一ヶ月分でいいかしら。申請はあたしが代わりにしておくから」
「私は有休なんて必要ありません!」
「今は働き方改革とかいろいろあって面倒なの。お願い、あたしのことを助けると思って!」
両手を合わせて拝む葉子。黒羽は大きくため息をついた。
「……調査と有休の件、承知しました。では明日から一ヶ月間、地上に降ります」
黒羽がそう答えると、葉子はするりと彼女に近づいて行った。
嫌な予感がして後ずさりする黒羽だったが、葉子の動きは素早かった。葉子は一気に距離を詰めて黒羽を抱きしめると、彼女にすりすりと頬ずりし始めた。
「うふふ。口では嫌々言いながら、最後は絶対引き受けてくれる黒羽さん、大好き!」
「離せ、離さんかぁ!」
もがく黒羽。面白がってさらに強く抱きしめる葉子。
葉子の豊満な胸の谷間に黒羽の顔が埋まる。
「いやぁ~ん、可愛い♪」
「フガ、モガモガ!(離せ、この乳お化け!)」
ひとしきり楽しんだ後、葉子は黒羽を解放した。
ぜぇぜぇと肩で息をする黒羽。そんな彼女に葉子は優しく微笑んだ。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
◇ ◇ ◇
「ふぅ……今日は疲れた」
自室の床にぺたりと座り込み、珍しく黒羽は弱音を吐いた。
明日からは地上で仕事だ。そのため片づけなければならないことが山ほどあったのだ。
葉子の執務室から出た黒羽は同僚に仕事の引き継ぎを行うと、そのまますぐに自宅へ帰った。
アパートの管理人に長期不在する件を伝え、地上の滞在先にも事前連絡を行った。続いて冷蔵庫の食材を夕飯として食べられる分だけ食べ、残りは全て処分した。
その後、当座の生活に必要なものをリュックとボストンバッグに詰め込んでいった。
そうこうしているうちに、いつの間にか二十四時になっていた。普段ならとっくに寝ている時間だ。
黒羽は遅めのシャワーを浴びた後、ベッドに潜り込んだ。
明日からの事を少し考えようとした黒羽だったが、五分と経たないうちに睡魔が訪れ、彼女は眠りについた。
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