第3話 「天国の街」

 別室に置かれたタイムカードを打刻した後、裕太たちは建物の出口へと向かった。

 途中廊下をすれ違う人たちは、日本人だけでなく外国人も多くいた。

 時折、祐太に奇異の目を向ける者もいたが、黒羽が連れて歩いていると知ると皆納得したような表情になった。転生担当者に案内されていると思われたのだ。

 下に向かうエレベーターの到着を待つ間、祐太は周囲に目を向けた。

 エレベーターの呼び出しボタンの近くに各階の案内表示があった。それを見て、このビルが八階建てであることが判った。

 案内には総務部や都市整備部といった部署名が書かれている。

 今二人がいるのは三階。三階の表示を見ると市民部と書かれていた。

 やがてエレベーターが到着した。二人は一階で降りると、そのまま建物の外に出た。

 そこに広がっていたのは。


「街だ……」


 裕太は呟いた。

 沈みかけた夕日に赤く照らされた街並みがそこにはあった。

 立ち並ぶビル群。コンクリートの道路。等間隔に並ぶ街路樹。

 目の前の道路を車が走り、人々が行き交っている。

 普段と変わらぬ見慣れた光景。


「ちょっと待っていろ」


 黒羽は近くの自販機に向かって歩いて行った。

 辺りを見渡すとビルの入り口脇にベンチがあったので、祐太はそこで待つことにした。


「ジュースでよかったか?」


 戻って来た黒羽が飲み物を差し出してきた。


「ありがとう」


 祐太が手渡されたのは炭酸オレンジのペットボトル。彼女は自分用に缶コーヒーを買っていた。

 見たこともないメーカーのジュースだった。蓋を捻ると、ブシュっと炭酸が勢いよく吹き出した。

 おそるおそる一口飲んでみる。


「美味しい……」


 炭酸がよく効いていて、身体に染み渡っていく感じがした。


「フフ」


 おっかなびっくり飲む祐太の様子が余程おかしかったのだろう。黒羽が笑った。

 花が咲くような彼女の笑顔を見て、祐太の胸がドキリと高鳴った。


「さて、天国の街を見た感想は?」


 缶コーヒーを飲みつつ、黒羽が尋ねてきた。


「俺の住んでいる街と全然変わらない。本当にここは天国なのか?」

 

 胸の高鳴りに動揺しつつも祐太は答えた。

 日本のどこかの都市、と言われたら素直に信じてしまう程だった。


「正真正銘、天国だ。ちなみに人口は……すまない、正確な数が思い出せん。が、少なくとも、この街には日本の神だけで八百万はいるな」

「八百万? 八百万だって?」


 神様が八百万人。まるで想像も付かない。


「『八百万やおよろず』という言葉を知っているだろ? たくさんを意味する言葉だが、文字通り八百万の神を表しているというわけだ」

「へぇ……。それで神様たちはどういったことをして生活をしているの?」

「色々だ。豊穣の神なら草木や作物がしっかり育つように地上に力を振りまいているし、不幸を司る神なら人々を苦しめるべく力を使っている」


 コーヒーを飲み干した黒羽は空き缶をいじりながら言った。


「八百万もいれば大抵の種類の神が揃うからな。だから地上では良いことも起きれば悪いことも起きる。いや、混沌としている、と言ったほうが正しいか」

「なるほど」


 祐太はジュースを一口飲んだ後、転生について尋ねてみた。


「死んでその魂がここに来た後、どういった基準で転生させるの?」

「大部分の魂はそのまま地上に転生する。だが、人類に貢献した一部の魂はその功績を称え、異世界に転生するか地上に転生するか本人が選択することができる」

「貢献?」


 黒羽が答えた。


「人類の発展に貢献した者たちだ。例えば、己の犠牲を顧みず他人を助けるために命を捨てた者、私財を投げ打って弱者を救済した者、偉大な発明をして怪我や病気で苦しむ多くの人々を救った者などだ」


 黒羽は厳しい表情で祐太を見つめた。


「そなたは異世界転生したいと言ったが、今までどのような人生を歩んできた? これだけは頑張ったと胸を張って誇れることはあるか?」

「それは……」


 何もない。

 異世界転生したいと言っているのだって、先の見えない人生から逃げているだけだ。

 言葉無くうなだれる祐太を見て、黒羽の表情が少し和らいだ。


「すまない。そなたを責めているわけではないのだ。これからの人生で、いくらで徳を積む機会はあるだろう。……他に聞きたいことはあるか?」


 問われて、祐太は考え込んだ。


「ええと、そうだな……。さっきエレベーターに乗ったときに気が付いたんだけど、黒羽って公務員なの? 案内表示に市民部って書いてあったんだけど」

「ああ。そなたの言う通り、私は公務員だ。市民部転生課。それが私の職場だ」

「忙しい?」

「それなりに。異世界転生候補の者たちと面談をしたり、業務改善の案を纏めたり、色々だ。だが、とてもやりがいのある仕事だ」


 自信に満ちた様子で黒羽が答えた。


「へぇ、どのくらい今の仕事をしているの?」

「……ずっとだ。もう数えるのも止めてしまったぐらい、ずっと続けてきた」


 黒羽の表情に急に影が差した。

 聞いてはいけない質問だったのだろうか。彼女は遠くを見るような目になっていた。

 黒羽の様子を見て、祐太は話しかけるのを躊躇った。

 二人の間を沈黙が支配する。

 どれくらい時間が経っただろう。五分か十分か。

 不意に黒羽がぽつりと呟いた。


「もう夜だな」


 気が付けば日はすっかり沈み、辺りは夜の闇に包まれていた。

 街灯の薄ぼんやりとした明かりが二人を照らしている。

 二人は自販機横のゴミ箱に空ボトルと缶を捨てた。

 黒羽は祐太に向き直ると、彼を見上げながら言った。


「さあ、話はこれぐらいでいいだろう。地上に帰れ」

「また会えないかな」


 裕太の言葉に黒羽はかぶりを振った。


「何度も言うが、ここには死者の魂しか来れないはずなのだ。そなたは死ぬには早すぎる。今の人生を精一杯生きよ」


 黒羽がそう言うと、裕太の意識がふっと薄れた。

 そして目が覚めた時、彼はまたもや病院のベットの上にいた。

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