終わりに

なぜ、こんなものを書く気になったのかというと……


 ずばり……私は孤独だ、ということ。


 多分、馬と向き合うってことは、とても孤独なことなんだろう。

 赤ん坊を抱えて戸惑う母親のような感覚かも知れない。


 手探りし、試行錯誤し、それでも、こうするべきなんだ! という意思を持って、大きな不安と少しの自信を抱いて馬と接している。

 その結果はなかなか見えない。

 だた、一緒にいる馬だけが、自分のやってきたことの正しさを証明してくれる。


 それはまるで偉そうなことを言っている親、ダメそうに見える親がいる中で、その子育ての良し悪しが、子供が大人になった時に立派であるか否かで、評価されるようなものだ。



 三歳から私と歩んできたシェルは、私の理想の馬に育ってくれた。

 だが、とても残念なことに、私が未熟ゆえに、高い障害を飛べるわけでも、馬場馬術で優秀な成績を収めるわけでもなく、高い評価を得ているわけではない。


 でも……。


 本当は、多くの人がシェルのようなスーパーホースを望んでいるんじゃないのか? と思うのだ。

 安心して乗れて、安心して練習できて、他の馬が暴れても一緒に騒ぐこともなく、物見をしてぶっ飛ぶこともほとんどなく、素直に健気に従ってくれる、噛むことも蹴ることもなく、安心して寄り添える。

 そんな馬が、本当は求められているんじゃないのか? と。


 乗馬をしている人の中で、競技を目指す人はほんのわずかだ。

 だが、まるで競技を目指すような指導を受け、実際、競技を目指す方向に導かれてゆく。しかも、競技に出るその寸前まで別の人が乗って調整され、はい、どうぞ、と渡されて……。

 本当の馬の姿は、まるでインストラクターの中に封印されてるようだ。

 競技で良い成績を収めながら、ぽいと馬と自分一人置き去りにされたら、何をしていいのかわからない人も多い。

 インストラクターの下乗りなしでは、馬に乗れない人もいる。


 そういう乗馬ライフも悪くはないだろう。

 でも、運動音痴のおばさんが安全第一、癒しを求めるとしたら、ちょっと向かないのではないだろうか?

 誰かがいないと馬房から馬を出せない、乗れない、危険で手を出せない……では、とても癒しどころではない。

 扱いやすい馬を育て、正しい扱い方を教えてくれる、いや、むしろ、そういうニーズのほうがあるんじゃ? と思う。


 ……が、どういうわけか、そのような考え方は後ろ向きに思われてしまい、なかなか理解されない。


「そんなに悲観しないで。頑張ればもっと上手に乗れるようになるよ。もっと上のクラスでやれるようになるよ。諦めないで!」


 と言われてしまうのだが、別に悲観はしていない。

 むしろ、他の人よりも野心家だと思うのだが……なんだか孤独だ。

 馬を犠牲にしないと乗り手は成長できないぞ、馬を甘やかしてばかりでは一人前になれないぞ、という認識が周りにあって、誤解される元なのかも知れない。


 馬を憎むために乗馬を始めたんじゃない。

 馬に嫌われるために乗馬を始めたんじゃない。


 馬と仲良くなって、信頼関係を極めようと頑張ることも、また、とても楽しいのだ。

 その上で、高く飛べたり、良い動きをさせたりできたら最高ではないだろうか?

 この両者は反比例しないと信じている。


 ほら、私は野心家だ。

 極めて高い夢を追い求めている。


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