馬も栄誉を知っている
馬を擬人化してはいけない……と言うけれど、所詮は
なぜなら、馬も栄誉を知っているからだ。
バカにされればむかっとして、褒め称えれば喜ぶ。プライドもある。
そもそも、群れで生活する動物なのだ。
仲間に尊敬されたり、仲間外れにされたり……がある社会で生きる動物だ。そして、仲間外れは命に関わる。仲間に軽んじられるのは嫌だ。
そこは、意外と人間に似ている。
「こいつらの楽しみは食うことだけだ」
……と思っている人は、悲しい。
恋人と食事に行って、僕がおごるから彼女は僕と付き合ってくれる、なんて考えたら、味も素っ気もないだろう。
もちろん、素敵なレストランで食事をご馳走してくれる彼の存在は嬉しいが、それだけが目的なら恋愛は成り立たないだろう。
なのに、悲しいかな、馬が恋人よ、と豪語しつつ、
「この子の楽しみは食べることだけよ、私の人参が目的なのよ」
と、へっちゃらで言う人の多いこと。
本心ではないのかも知れない、単なる自虐で笑いを取ろうとしているのかも知れない。
だが、恋人に「こいつの楽しみは豪華なディナー。俺の財布が目的だ」などと紹介されたら、少なくても私は嫌だ。
だから、多分、馬も嫌な気分だろう、と思うのだ。
馬はスキンシップが好きだし、寂しいのは嫌いだし、仲間にいじめられるのは嫌で、好かれ、尊敬されるのは大好きだ。
思った以上に人間に似ている。
こんなの、どうせ馬にはわからないから……などと決めつけて、栄誉を独り占めしてはいけない。
確かに馬は優勝の価値がわからないかもしれないが、優勝へ導くことの栄誉は知っている。乗り手を喜ばせ、自分を讃えてくれることの価値を知っている。
自分が他人にされて嫌だと思うことは、馬にしてはいけない。
人間だって群の動物。
群で生きている中で、味気ない食事も、心に響かない言葉も、虚しいだけだ。その中で、やりがいなしに奴隷のようには働けない。
多くの人は、乗馬ライフという人生の始め、まるで幼稚園児のように馬を擬人化して触れ合う。
やがて、物心がついた頃、馬は動物に戻り、人間ではないのだ……と悟り、がっかりしたり、畜生よと卑下したりする。
だが、やがて、乗馬ライフの大人になる頃に、再び、馬を擬人化したかのように扱うのだ。
馬という動物の素晴らしさを、心からわかり始めるからだ。
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