距離をとる
馬と人との距離があればあるほど……安全である。
でも、それでは馬と仲良くなることはできない。
常に安全な距離をとることを心がけることが、馬と人との距離を近づける。
馬とつきあうには、こんな表裏一体のことが多いような気がする。
安全第一を心がけながらも、勇気を振り絞ってやるべきことをやる時はやる。
決して妥協を許さない態度をとりつつも、馬には寛容であるべきだ。
そんな、素人が聞けば「え? どっち? どういうこと?」ということが多いように思う。
馬は大きな動物だ。
シェルは私の10倍も体重がある。
何かの間違いで、簡単に私を殺すことができる。
でも、シェルは私と出会う以前からのしつけで、人を傷つけてはいけない、人の安全を脅かす距離に入ってはいけない、と知っていた。
なので、シェルが後肢を危険な高さまであげて蹄の手入れがしにくかった時、あえて、距離をつめてその癖をやめる……まではいかないが、通常の馬に近い状態まで直すことができた。
だが、あーこは違う。
彼は、私のことをかなり信頼し、慕っているが、恐怖にかられると、自分の身の安全ばかりを考えて、私に突進してきたり、引き倒したり……をしてしまう。
馬房で厩舎用の肢巻をつけ終わり、私が立ち上がった時、あーこは何に驚いたのか、急にくるっと回転し、私の頬に強烈なフックをかましてくれた。ノックダウンで、テンカウントとられた。
私は馬房から這い出してうずくまり、しばらく動くことができず、そのまま横になっていた。
あーこはふんふんと鼻を私につけてきて、ふーふー鼻息をかけた。
そして、私が起き上がれないと知ると、今度は馬房の隅にいって、そこでふーふー言いながら震えていた。
殺すつもりはなかった。
でも、殺してしまったよ、どうしよう?
そういう動揺が伝わってきた。
以来、あーこは不用意に大きな動きをして、私を傷つけないよう気をつけている。
が、そもそも、傷つけたくてやったのではない。
穏やかであっても、何か、びっくりするようなことがあると、我を忘れてしまう、そういう面があるのだ。
過去の苦い思い出が、おそらく、そうさせるのだろう。
それをやめさせるには、ある程度時間が必要だろう。
だから、私も完全には信頼できず、万が一に備えて、距離を十分にとることにしている。
距離さえとっておけば、お互いに不幸な事故は起きないのだ。
シェルとの付き合いの中でも、ちょっとした不注意で怪我をしたことはある。
だが、信頼があるので、あーこよりは安心して近くにいつことができる。
小さなパドックに放牧しながら、ブラッシングしていた時、突然、屋根から雪が落ちてきて、そのパドックにも押し寄せた。
想定外の出来事……。
当然、シェルも私も驚いて、飛び上がったが……シェルに吹っ飛ばされることはなかった。むしろ、私がそばにいることで、シェルはすぐに落ち着いた。
馬によって……馬の精神状態によって……どれくらい距離をとるべきかは、少し変わってくる。
でも、お互いに「このスペースは守る」ということを明確にしていれば、どんどん距離を詰められるのだ。
上記の例で言えば、シェルだから大丈夫だったわけで、あーこでは私の身の安全は保証されない。
屋根の雪が落ちてきたのは不測の事態だったが、そもそも、あーこなら繋がずにブラッシングすることはないだろう。
安全な距離を保ちながら馬と接することは、とても大事だ。
馬も人も、お互い嫌な思いはしたくないし、お互いを傷つけたくないはずだ。
馬が不愉快に感じる場所に立って、威嚇された、噛まれた……と文句をいう人がいる。
もちろん、精神的に病んで人に対して攻撃的な馬もいる。
だが、だいたいは人間が警戒心、もしくは敵意をもって、馬を攻撃できる位置に立っている場合が多い。
心地いいはずのブラッシングも、人が警戒心むき出しにしていれば、馬にとっては心地よくない。
常に不測の事態に備えるべきだが、過度の緊張や警戒心は不要だ。
そのために、距離を保つのだ。
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