母と子
女性のオーナーさんは、よく「ママ」と呼ばれたり、自分で呼んだりすることがある。
私なら「シェル・ママ」とか「あーこ・ママ」というように。
……が、私はこの呼び方があまり好きではなく、呼ばれるとつい「こんな大きな子供を産んだ覚えはありません」と言ってしまう。
うしろめたいんだな。
子を思う母親のような気持ちは希薄なので。
ただ、馬にかける愛情は、母のようにかけるべき、と思っている。
私のような臆病な人間は、自分のためには強がれない。
子供を思う親の気持ちになれば、ずいぶんと勇気が出るものだ。
たとえば、馬が暴れた時に、自分のために頑張ろうと思えば、いや、ここはもうさらに危険になる前に飛び降りてしまおう、などと考える。
ところが、馬の教育上、それはよくない……と、まるで親のようなことを考えれば、意外と頑張れるのだ。
母は強し……というが、気の弱い女性でも、母の気持ちになれば、乗り越えられたりする。
私も、常に、親が子供をしつけるような、教育するような気分で、シェルに接してきた。ほぼ自分でなんでもやっているが、時に、自分でできないことは、インストラクターという名の教師に預けたりもする。
どういう教育をするか? も、親次第だろう。
……が、時々、モンスター・ペアレントになってしまう人も見かける。
子育てが上手にできない親がこの世にたくさん存在するように、馬とのいい関係を作りにくい人たちもいるのだ。
子供をしつけられない、甘やかしすぎ、子供のいいなり、奴隷、もしくは、ネグレスト、無関心、虐待。そして、無知。
同じようなことが、馬と人との間にも存在する。
そして、その人が扱う馬は、多少の個体差はあっても、皆、似たような馬になる。
それも子育てと一緒だ。
悪気はないし、微笑ましいことであるけれど……。
馬に多大な期待をかけすぎてしまう人も多い。
自分の子供は、どこか、すごい才能があって、立派に育つんじゃないか? そうであればいいなぁ……と夢見る。
だが、本当に才能のある子はそれで開花するだろうが、普通の子は親の過度な期待は重荷になる。
故障であがってきた元競走馬に、大きな期待をかけて、小さな故障を見逃したりしないよう、気をつけている。
それを、甘やかしという人もいるけれど、すごい馬になるに違いない……という自分の妄想で、馬の生涯を棒にふらないようにしたい。
結果を求めるあまり、本質を忘れてはいけない。
親の目は、時々、盲目になって本質を見誤ることもある。
多分、私が「シェル・ママ」と呼ばれたくない一番の理由は、親の目線になりすぎて馬が見えていない、盲目である……と言われているような気分になるからなのかも知れない。
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