してあげたいことと、してあげるべきことは違う
あなたは動物が大好きで、優しくて、馬にも色々してあげたい、と思っている。いいことだ。
でも、馬にしてあげたいことと、してあげるべきことは、必ずしもイコールじゃない。
難しいことじゃない。子育てと同じだ。
子供が好きでやってあげたいことと、子供の将来を考えてやるべきことは、違うだろう。
クラブが許す範囲で、馬にしてあげたいことを十分楽しめばいい。
馬は、そのためにいるのだから。
だが、もしも、もっと馬と親密になりたい、馬を身近に感じたい、と願ったら……そのために何をすべきか? を考える。
子供好きの第三者は子供が喜ぶことばかりを考える。たとえば、お菓子をあげたり、遊んであげたり……好かれることをやればいい。
でも、親は子供の将来を考える。肥満になるならお菓子を取り上げるだろうし、嫌がっても勉強をさせようとするだろう。
たとえば……。
また人参の話になるが、クラブによっては、人参を馬にあげるのを禁じているところもある。
わけがわからない。
「馬のために人参をあげて何が悪いの? あんなに喜んでくれるじゃない!」
それしか考えられず、腹をたてる。
が、それは馬のためだろうか? 馬に餌をあげるという快感を得るために、やっていることではなかろうか?
それは、鹿せんべいをあげる観光客や魚に餌を与えて喜ぶ子供と変わらないのではなかろうか?
馬は人参が大好きだ。
でも、来る人来る人、すべてが人参をあげたら、かなりの量になる。
馬の管理上、クラブが「人参をあげないで」というのは道理にあっている。
さらに、人参をもらえると思った馬は、前かきをして、要求する。
それを見て、かわいい、欲しがっているわ、と思って、またその馬のところへ行って人参をあげると、別の馬が、もっとくれ! になる。
その反応が、うれしくてたまらない。
……が、前かきをすると、馬は蹄が減る。馬房で騒ぐのも、あまり、よくない。
クラブ側としては、そういう悪癖につながることはして欲しくない。
そして……人参をあげる時にお客さんが噛まれてしまうという事故を未然に防ぎたい。
馬とのほんの少しの時間を、気持ちよく過ごしたいのであれば、自分のしたいことを、許される範囲ですればいい。
鹿せんべいを配れば、鹿は寄って来るだろう。
あなたを追い回すだろう。
あなたは、鹿と仲良くなった、と思う。思い込む。
馬とのおつきあいも、それで十分と思えば、それでいいのだ。
でも、それ以上の絆を求め、本当に馬と仲良くなりたいと思うのであれば、人の良い隣のおばさんになるよりも、子供の将来を憂う親の感覚にならなければならない。
金さえばら撒けば人心がついてくる……と思っている人は、まれだろう。だが、人参さえ配れば、馬の心が手に入ると思っている人は、わりといる。
そのうち、あなたは気がつくようになる。
人参を食べるよりも、今は水が飲みたいのだ、とか、頭を撫でられるよりも、馬房にもどっておしっこがしたいのだ、とか、馬にするべきことが。
自分がやりたいことを封じて、馬に必要なこと、馬が求めていることに、耳を傾け続ければ、やがて、馬の言葉がわかるようになるのだ。
自分がやりたいことに夢中になって自己満足し、相手に必要なことを全く考慮しない人が、尊敬を得ることはない。
人も馬も一緒だ。
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