馬の上で

北風と太陽


 下手くそを連呼しているけれど、馬に一人で乗れて、しかも、ちゃんと調教もしているなんて、きっと上級者に違いない。

 私とは全くレベルが違うんだ……と思う人がいるだろう。

 多分、違うとしたら、暇人で毎日馬の顔を見ることができるのと、三十年も乗馬を始めて時間がすぎてしまったことだろう。


 それと……。

 私は、北風になることをやめたのだ。


 イソップ寓話の『北風と太陽』は、馬乗りの両極の例だな、と思う。

 北風と太陽が、旅人のマントをどちらが奪えるか? で、優劣を競う話だ。

 北風は、冷たく激しい風を旅人に浴びせ、マントを剥ぎ取ろうとしたが、旅人は風が強いので、マントをしっかり握りしめ、放すことはなかった。

 太陽は、優しく暖かな光を旅人に注ぎ、最後はガンガン照りつけて、旅人にマントを脱がせることに成功した。


 私は非力なおばさんで、体も小さく、気持ちも強くなく、馬を力ではとても制御できない。

 なのに、長年、北風のように「どうしたら馬を屈服させられるのか?」を指導されてきた。

 北風になることを諦めたら、太陽になる道が拓けたのだ。


 馬を力で屈服させるのではなく、こっちのほうが楽になれる……と、馬に教え込み、自分の望む行動を選んでもらうのだ。


 実は、これは私が考えたことではなく、馬術教本を読んでも常套手段として、よく出て来る。

 プレッシャー&リリースとか、譲る、とか、そういう言葉がよく出て来る。これらは、まさに北風ではなく太陽の手法だ。

 馬に苦しいことをさせても、少しでも人間の望む状態になったら、楽にさせてあげる。すると、馬は「こうしたら楽になるんじゃね?」と学習し、軽い指示を受け入れるようになる。

 これを、馬が屈服した、屈服させたと考える人がいるけれど、「譲る」「許す」「リリース」という言葉は、相手を屈服させた人の行動には思えない。

 先人は、ずっと「馬は力で抑えるものではない」と訴えてきているのに、解釈は人それぞれで、その人の本質が出て来るのだ。


 人間には「相手を屈服させたい」という欲望がある。

 それが強い人は、北風になりやすい。

 動物的に、男性は北風になりやすく、女性は太陽になりやすいと思う。

 だから、はるかに非力なはずなのに、馬術の世界では女性が活躍することが多い。馬を上手にリードできるのだ。


 自分がどういう人間なのか? を考えることが、どうして上達の道になるのか、少しはわかってもらえただろうか?


 太陽が北風をまねてもどうしようもない。

 力でねじ伏せ、相手を屈服させて、いいなりにさせろ! と言われても、自分の内側で納得していない。

 そういう迷いは、すぐに馬に見抜かれるのだ。



 だから……。

 か弱い私たちは太陽になろう。

 馬の心を理解して、馬が自ら協力的に動いてくれるよう、努力しよう。


 北風にマントを剥ぎ取られた旅人は、とても気分が悪いだろう。

 でも、太陽にマントを脱がされた旅人は、とても幸せだ。

 北風は嫌いだけれど、太陽は大好きだ。


 考え方を変えて、馬に接するだけで、もうすでに馬との友情は育まれている。






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