馬のためを考える


 シェルは、元競走馬で引退後、三ヶ月ほどで私の馬となった。

 二ヶ月ほど別の人の馬になり、乗馬としての初期調教はなされたけれど、バリバリ新馬だった。今から思えば、怖い。


 だが、シェルは最初から大人びたおとなしい馬だった。

 最初の持ち主が厳しく、きちんと乗馬としてのノウハウを教えた、というのもあると思う。

 それと、これは私の推測でしかないが、育成期間中、ナチュラルホースマンシップで馴致を受けていたのではないか? と思う。


 クラブでもおすすめされただけあって、私くらいのレベルでも扱える優しい馬、もう奇跡としかいいようのない馬だった。



 とはいえ、私は馬を調教できるようなレベルじゃない。

 もちろん、困った時にはインストラクターに力をお借りした。

 見栄を張ってはいけない、できることはできない、できることはできる、できる範囲でやることだ。

 イチカバチかのチャレンジをしてはいけない。

 必ず成功するだけの準備をして、馬に乗ることだ。

 失敗すれば自信を失う。成功を積み重ねることで、自信は深まる。


 安全第一を考えて、レッスンの時は広い馬場を使ったが、自分一人で乗る時は、しばらく小さな丸馬場で乗った。

 直径二十五メートルほどの円形の馬場である。


 非常に軽い馬だったので、最初は拍車をつけずに乗った。

 なれるにしたがって短いものをつけたが、いまだに私の拍車は短いものだ。

 とにかく元気なので、毎日休みなく、必死に乗った。


 広い馬場に降りるようになっても、最初は小さな円運動をした。

 とにかく速くて怖いので、十五分ほどびっしりと軽速歩でシェルが少しバテるまで乗り、それから、少し大きく回るようにした。

 当時はまだ体力と精神力がなかったので、シェルはすぐにバテた。


 とにかく安全第一で、今日はやるぞ! という勇気と自信がわいてこない時は、丸馬場だけの騎乗で終えた。

 乗る前に、調馬索でまわして、ある程度、元気を削ぐこともした。

 最初は回すのも怖くて命がけに思えた。


 それでも、安全第一で勇気がなければ、どんどんやることが萎縮していく。どこかで自分を奮い立たせ、チャレンジすることも大事だった。

 臆病な私は、いつもこう言い聞かせていた。

 おまじないのように唱えていた。


 私が怖い時、シェルはもっと怖く思っている。

 だから、私が安心させなければならない。


 自分のためだと思えば出ない勇気も、シェルのためだ、と思えば、振り絞れる。

 この気持ちのコントロールは、とてもうまく行った。

 ビビリの人には、ぜひ、おすすめしたい。

 勇気は自分のためじゃなく、馬のために振り絞る。


 私は、競技に出たいのでも、馬の仕事に就くのでもない。

 馬と仲良くしたかった。

 仲良くするために頑張るのは、結構疲れる。

 媚びを売ったり、甘やかせる結果に繋がる。


 誰かと仲良くしたいと思えば、その人に取り入ることばかり考えるよりも、何がその人のためになるか考えるだろう。

 馬の場合もそうだ。

 子育てしたことのある人は、子供に接することをイメージする。

 仕事をもっている人は、理想の上司を目指せばいい。


 自分が上手になるためを考えすぎると、失敗するのだ。


 シェルはいくら落ち着いた馬とはいえ、やはり、まだ三歳の若い馬だったから、ちょっと馬場の中央など、滅多に行かない場所にいけば、鼻ラッパで横っ飛びしたりもした。

 走り出して止まらなくなり、一日に二度も落馬した日もある。

 だが、シェルは徐々に自信をつけたのか、物見もしなくなり、私も落馬が減って行った。

 今となっては、ビビリな私が止めていたからか、暴走したり、暴れたりしている馬がいると、一緒に暴れるどころか、止まって様子を見るくらいだ。


 ただ……。

 もう一度、最初からやって見るか? と聞かれたら……やだ、と言っておく。

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