鞭は馬を叱る道具ではない


「はい、そこで動かなかったら鞭!」


 そう言われ、心優しいあなたは、躊躇するだろう。

 私は、馬を叩きたくて、乗馬をしているわけじゃない、仲良くしたいから乗馬を習っているのに、何で馬を叩かなくちゃならないの? と。


 その感覚は正しい。

 ……が、誤解がある。


 鞭は、馬を叱る道具じゃない。

 いわば、マジックハンドのようなものだ。


 ぐうすかぴーと寝ている人を起こす時、もしもし、と声をかける。それで起きなければ、肩に手を乗せて揺するだろう。さらに起きなければ、ほっぺたをピシパシ叩くかも知れない。

 耳元で怒鳴るより、はるかに優しいだろう。


「もしもーし! 起きてくださいよー! 起きて私の話を聞いてくださいよー!」


 これが鞭の効果だ。

 馬の反応の悪さに応じて、かなり強く一発叩く時もあれば、小さく当てる時、時に見せるだけの時もある。

 鞭を使うのは、馬に必死に話しかけようとするあなたの意思だ。

 その手段を放棄してはならない。


 短鞭をよく見てみると、先端が平らになっている。

 革製で羽子板のような形になっているものが多い。

 これは、叩いて痛みを与えるためではなく、ビシッと痛そうな音を立てて、馬を目覚めさせるためだ。

 自分で自分を叩いても、そんなに痛くないのがわかる。

 それでも、逆手に持って思い切り叩けば、男性なら馬にミミズ腫れを作ることが可能だ。


 人の手も、相手を慰める手にも、相手を傷つけるげんこつにもなるだろう。

 鞭も、使う人次第の道具だ。



 その馬がどのように鞭打たれてきたのか? で、乗り手も鞭の使い方を変えなければならない。

 あなたよりもその馬を知っていて、乗馬経験も長いインストラクターが「鞭!」と言えば、おそらく、確実に鞭を使うタイミングなのだろう。

 躊躇してはいけない。

 どうしても躊躇してしまうなら、インストラクターを変える、乗馬クラブを変えるべきだ。中途半端は馬にも悪い。


 鞭で怖い思いをした馬は、鞭を見ただけでぶっ飛ぶ場合がある。

 鞭を持てない馬、叩いてはいけない馬がいる。

 また、ずっと叩かれ続けてきた馬は、その苦痛に耐え忍ぶ術を見出し、何も感じなくなってしまっている。どんなに叩いても平然としている。


 よっしゃ! もっとぶっ叩いてやれ! と思うのか、それとも、このかわいそうな馬をどうしたら幸せにしてあげられるのだろうか? と考えるのか、それとも何も感じないのか……。

 人それぞれだ。


 少し自分で乗れるようになってきた人の多くは、その馬をどうやって上手に乗れるだろうか? 自分はどうやったら上手になれるのだろうか? で頭がいっぱいで、叩かれる馬の事情を考慮するゆとりはない。

 所詮、考えても自分ではどうすることもできないことが多いので、切り捨ててしまうのだ。


 鞭は怖いものだ、と知らしめておけ! 

 鞭の痛みを覚えているほうが、馬は扱いやすいぞ。


 ……などという人たちもいたが、私はシェルと鞭で遊んですごした。




 私は、長鞭を、シェルに乗る時、ほぼ必ず持っている。

 シェルは、鞭を怖がらない。

 叱る時にも使うし、褒める時に使うこともある。時に、アブを追い払うため、馬上で振り回すこともある。

 鞭はマジックハンドだ。

 シェルが怖いのは、私が怒ることであって、鞭ではない。





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