自分をみつめて
諦める力
元オリンピック選手の為末大さんの『諦める力』という本を読んだ。
ものすごく共感した。
まさに、私の乗馬ライフも「諦める」から方向転換し、そして、開眼し、苦痛ばかりの乗馬ライフが幸せな日々に変わっていったのだから。
辛いばかりの乗馬を離れて十年間、私には馬が禁句だった。
いつかまた……とは思うものの、馬に走られ、落とされた恐怖、噛まれたり蹴られたりする恐怖、何よりも馬に好かれない自分に、うんざりしていた。
それは、乗馬を再開してからもしばらく続いていて、なんで馬なんか乗っているんだ? と日々葛藤していた。
『諦める力』の中に、こんな一文がある。
「諦める」という言葉の語源は、「明らめる」だという。仏教では、真理や道理を明らかにしてよく見きわめるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉だという。
私もまさに諦めた。
体が小さい。
運動音痴。
体が硬い。
リズム感なし。
臆病。
根性なし。
こんな私でも、人並み以上に頑張れば、上手に馬に乗れるようになる!
そういう思い込みを捨てたのだ。
私は自己嫌悪の塊で、自分を卑下するにいいだけ卑下していた。
でも、それだけ自分の欠点をあげられるのであれば、自分の限界を見極めて、無理は無理と諦めて、できることをやろう、と考えた。
そうして長年厳しく叩き込まれた馬のケアに関することは、最初からお客様扱いで教わっている他の人よりも若干優れていることに気が付いた。
騎乗技術は人に追い越されるとしても、なにかひとつ自信になることがあれば、乗馬を続けられると思った。
やがて、今までまったくわからなかった馬のことが、徐々に感じられるようになってきた。
馬に上手に乗れないと、馬の心も理解できない。
だから、私は馬とは仲良くなれないのだ……と思っていた。
でも、馬に上手に乗れなくてもいい、と開き直ったところで、馬に近づくことができた。
気取ったカッコつけの自分は捨てて、ありのままの自分で馬に接する。
馬はテレパシーのように人の心を読むから、素の自分になることで、馬を感じられるようになったのだ、と思う。
馬と仲良くなれない最大の要因は、正しく自分や馬を認識していないことだ。
できることとできないことを、きちんと見極められず、見栄を張り、他人によく見られたい、他人と比べて落ち込み、自分の目をふさいでしまうことだ。
そんなことは、小さなこと。
馬に上手に乗れるにこしたことはないが、下手くそでも馬は受け入れてくれる。それに、早く気がつくことだ。
自分の中の理想の自分も、理想の馬も、さっさと捨て去る。
ポジティブに諦めることだ。
馬は人の鏡だ。
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