馬は繊細な心をもつ


 馬のことを知れば知るほど、その繊細な心に驚かされる。

 そして、とても残念なことに、乗馬を始めた頃は、その心を理解したいと願っていた人の多くが、乗馬技術の習得に夢中になって、あたかも、馬を機械のように扱ってしまい、心を無視するようになる。


 これは、やむおえないことかも知れない。

 乗馬教本には、愛馬精神うんぬんがたくさん書かれているけれど、それがどういうことなのか、きちんと教えてくれるインストラクターはたくさんいるわけではなく、教えてくれても人が人の心すら読めないように、簡単に馬の心がわかるはずもない。


 私が乗馬を始めた頃のインストラクターは、農耕馬を扱っていた人か、軍馬を扱っていた人、もしくは、そういう人たちから乗馬を教わった人たちだった。

 だから、馬は家畜であって、乗ることは仕事っぽく、指導は軍隊のように厳しかった。

 ここ三十年ほどの間に、乗馬の世界も随分と変わってきた。

 乗馬というスポーツから馬を知ったインストラクターが増え、乗馬技術も向上し、馬という動物の研究も進み、人馬のメンタルも重視されるようになってきたと思う。

 でも、まだまだ古い軍隊式の考え方の人たちもいる。

 厳しく危険な指導で、馬が怖くなってしまったりして、馬の心なんて考えるゆとりもないほど、心が折れてしまう人もいる。



 馬の心は繊細で、人の心の乱れに敏感に反応する。

 テレパシーで通じるようだ。


 おそらく群の動物だから、危険を察知する個体の気を感じとったりする能力に長けているのだろう。

 怖がって乗れば、馬も怖がり、ちょっとしたことでびっくりする。

 他の馬が驚いて走り出せば、つられて走り出す。

 不穏な空気には即座に反応する。

 乗り手がおおらかで楽しく感じれば、馬も楽しく感じてくれる。それをまた乗り手が受け取れば、なんだか人馬一体になれたような快感が得られる。


 馬はとても繊細だから、いつもと同じ……が大好きだ。

 いつもと同じで安心できることが、ストレスを緩和する。

 リラックスしていても、危険を察すれば、即座に緊張する。記憶力がいいので、見慣れたものは人間以上に驚かなかったりもする。


 馬の心が見えなくなるほど、心が折れるようなことをしてはいけない。

 馬は、人間よりも繊細で、記憶力が良いだけに、一度、心が折れると人間のように、簡単には立ち直れない。

 自分がくじけている場合ではない。

 馬の気持ちを理解して、その先を考えなければならない。

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