ペット? それとも家畜?
馬は家畜だ、と言う人がいるけれど、果たして、単純に家畜と呼べるだろうか? 明らかに豚や牛とは違う。
私は、名馬の像をたくさんみたが、牛は1つだけ、豚においては、どんなに優秀な種を残して人間に貢献した豚であっても、銅像になって人々の賞賛を得ている豚はみたことがない。
馬は、人を惹きつけてやまない、人間に賞賛される動物なのだ。
馬は本来の役割を失ってもなお、人間の遊び相手として絶対的な地位を保っている。
家畜というよりは、コンパニオン・アニマルだと思う。
ペットだ、というと、愛玩動物という感覚で、ただ甘やかせればいいと解釈される可能性が高いので、あえて、コンパニオン・アニマル(伴侶動物)という言葉を選んだ。
まぁ、もちろん、食肉用として生産される馬もいるわけし、自分の中では家畜です! という人がいても構わないのだが。
この分類は、馬がどういう生き物か? と決めつけるものではなく、自分にとって馬はどういう生き物か? って考えることだ。
かつて『マダガスカル』という映画があった。
動物園の人気者ライオンのアレックスが、野生にかえると、親友であるシマウマのマーティが食べ物に見えて仕方がない。その食欲と戦うという場面が登場する。
最後に、海の魚を食べることで、食欲を満たしてめでたしめでたし。
ところが、私はこのシーンを見て、ドキッとした。
その魚は、同じところで作った映画『ファインディング・ニモ』のクマノミそっくりに見えたのだ。ニモはあんなに可愛いのに、食べられる魚は死んだ目をしていて、生き物っぽさがない。
あえてニモに似せたのだとすると……製作者側の隠れた意図を感じるなぁ、と思った。
日本人は捕鯨することで批判を浴びてきた。
だが、我々からすると、牛を食う人々から、動物愛護だなんだと言われて、批判される筋合いはない、と思っている。
『マダガスカル』のラスト、料理される魚がニモのように愛らしかったら、同じ魚であっても、このラストは残酷でハッピーエンドにはならない。
つまり、日本人がいくらクジラは食べ物だ、生活の糧だ、と言っても、捕鯨反対国の人々は、それはニモのように愛らしい存在にしかならず、いつまでも平行線で終わるのかも知れない。
同じ生き物であっても、食べるものであるか、友かであるかで、残酷にも幸せにも感じる……それが人間の感覚だ。
手塩にかけて育てた牛や豚も、出荷しなければ、美味しい肉にならない。愛情かけて育てたから……と、手元にペットとしておいておけば、それは、余剰の部分・遊びの一部となってしまう。生活は成り立たない。
宣伝で生産者が「私が愛情を込め、手塩にかけて育てた牛肉です」と言えば、非難轟々どころか、それはきっと美味しいだろう、食べてみたい、と人は思う。
動物愛護を語り合いながら、高級ステーキにナイフを入れる、それが人間というものだ。
馬が人間の生活を支えていた時代、それは、おそらく今よりも馬は過酷な生活を送っていただろう。
人々は、馬を大事にし、心の友としたかも知れないが、同時に、生活の糧だった。だから、使えなくなった馬は、処分するしかなかった。
むしろ、そうするべき時代だった。
家畜は、使えなくなったら処分しなければならない。できない人は家畜を扱うべきではない。
ペットは、使えなくなったからといって処分してはいけない。そんな人はペットを飼うべき人ではない。
同じ動物でありながら、人は正義を使い分けるのだ。
乗馬を楽しむためには、自分にとって、馬はどのような位置にあるのか? は、時々考えたほうがいい。
乗馬技術を磨くため、さらに高みを目指すため、次から次へと馬を乗り換える必要も出てくる。その時に、その馬に対する思い入れが邪魔をすることもある。
「いい加減、馬を変えたら?」と言う人が、周りに現れる。
使えない馬は処分される。
馬を愛でようと思う人には、そういう人たちが冷酷で愛馬心のかけらもないように見えてしまうかもしれない。
だが、馬に対する愛情があるなしは、関係ない。
働けない馬は、淘汰されるしかない……それが「馬は家畜」と言う考え方だ。
とはいえ、今の時代、多くの人にとって、馬は生活の糧ではなくなった。レジャーの一環、ともに楽しい時間を分かち合う仲間だ。
つまり、コンパニオン・アニマル……心の赴くがままに、その馬を救ってもいい。
もしも、あなたが才能ある乗り手だったとしよう。
だとしたら、自分が戦おうとしているレベルの馬を持つべきで、能力の伴わない馬は、自分のレベルアップのたびに手放さなければならない。
こだわって、年老いた馬にしがみついていては、他の馬にかける時間もお金もなくなってしまう。
でも、もしも、あなたが馬に対する愛情以外の才能がなかったとしたら? そうして手放された優秀な馬の老後を、豊かにする可能性を秘めている。才能ある人が、味わえない癒しを得ることができる。
自分には才能がない、乗馬をするのに向いていない、なんて、嘆く必要はない。
上手に乗れることなんて、馬の世界ではほんの一部の才能だ。
色々な人がいて、色々なニーズがあるからこそ、馬は生きていけるのだ。
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