馬をみつめて
馬は幸せに滅ぶ
私が若い頃、『ノストラダムスの大予言』という本がベストセラーになった。世紀末もあって、世界は滅びるのではないか? と、かなりの人が信じていたのだ。
私も試しに読んでみて……ふと、印象に残っている部分がる。
馬は幸せに滅ぶ。
馬が大好きな王妃が、ノストラダムスに馬の未来を問うと、彼は「馬は幸せに滅ぶ」と予言した。
当時、馬は生活に欠かせない生き物だった。
それはやがて車にとって変わられる。つまり、必要とされなくなり、日常からは姿を消してしまう。
だが、レジャーの相棒として生き残り、末長く幸せでいるだろう。
そういう予言だった。
たしかに今は馬車もない、農耕馬もいない、馬に乗って移動する人もいない。でも、レジャー施設では馬車がいて、趣味で乗馬を楽しむ人がいて、いわば、生活に欠かせないものではなくなったが、人間の友として種をつないでいる。
生活必需品としての馬は滅び、遊び相手の馬がいる。
これは、馬好きな人間にとって、とても幸せなことだと思う。
自分の良心の赴くがままに、馬を扱ってよいのだから。
生活必需品の馬……って、あれ? 野生の馬はどうしたんだ?
実は、野生の馬は、すでに滅んでいる。わずかにいても、人間の保護がなければ滅ぶ。
馬は、肉食獣から速く逃げる能力を身につけたが、その進化が馬を滅ぼす結果になった、かも知れない。
馬の蹄は、速く走ることができるが、ヤギのように岩山を登るには適していない。ぬかるみも苦手で、生きる場所が限られていた。
馬は、人間とともに生きることによって、種を繋いだ動物だ。
人間は、自然淘汰のかわりに、自分たちに役立つ馬を繁殖させ、それ以外を淘汰してきた。だから、長い歴史を経た今、私たちの目の前にいる馬たちは、人間にとって、いい奴らなのである。
もちろん、動物を扱うのは難しい。
だが、人間に都合がいいように品種改良なされた動物なのだ、ということを、頭にとどめておく必要がある。
馬が肉屋に送られる時。
私は、ただ黙って見送る。
使うだけ使って皆に愛されたのに処分される馬もいれば、調教がうまくいかずに去って行く馬、ただ、引退競走馬で第二のチャンスさえ与えられなかった馬。
ある人は、人間は残酷だ、酷い、と嘆く。
また、ある人は、のほほんと、どこか別のところへ行って、幸せになるんでしょ? よかったわ、と笑って見送る。
馬は人なり。
いい出会いがなかっただけで、馬は淘汰される。
馬運車に乗って去ってゆく馬は、自然の中で生きていたとしても、おそらく、肉食獣の餌になって、淘汰される運命だったのだろう。
運のいい馬だけが、人に見出され、命を長らえることができる。
これは、馬という種が生き残るために選んだ道だ。
人とともに生きることで、種を繋いてきたのだ。
だからこそ、人と馬はいい出会いをするべきだ、と思っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます