安全な馬に乗ること
自分の馬を、名馬だ、奇跡の馬だ、立派だ、というのは、随分と傲慢な話だ。
知っている人が聞いたら、バカじゃないのか? あんな
だが、それは価値観の違いだ。
乗馬をやっている多くの人は、高い障害を飛んだり、素晴らしい歩様をしたりする馬を名馬といい、競技で活躍したいと願う。
もちろん、私だってそうだ。
でも、それは私の中では優先順位が低いのだ。
一番大事なことは、安全な乗馬であること、だ。
才能に恵まれ、勇気も根性もあり、競技で頑張れる人はいい。
だが、馬に乗るのが下手くそで、臆病な私には、楽しく馬に乗るためには、高く飛べる馬よりも、競技で素晴らしい歩様を見せる馬よりも、何よりも、安全であることが第一なのだ。
オリンピックに出られるような名馬を持っていても、自分が乗れないのであれば、乗馬を楽しめない。
まぁ、名馬を持っているという名誉は得られる、それを楽しみにするという楽しみ方もあるだろうが。
が、そういう楽しみ方をするのには、相当なお金が必要だ。
凡人には無理である。
どんな馬でも乗りこなせるようにならなきゃダメだ! と思っていたこともある。
だが、自分を冷静に見つめてみれば、そんな勇気などないし、根性もなかった。緊張してこわばるだけだ。
そして、緊張してこわばって馬に接することが、馬を緊張させ、ますます自分の身を危険にさらす。
安全な乗馬を目指す、これこそが、臆病者の上達の道。
シェルは、安全で優しい馬だ。
だから、私は乗馬が楽しいのだ。
最初の話に戻る。
馬に噛まれることを恐れ、警戒しながら、手入れをしている人のことだ。
常に馬に警戒心を払っているから、馬も警戒してリラックスしていない。リラックスしていないから、ブラシを当てられるとピクッとなる。すると、噛まれると思っている人は「大人しくしなさい!」と声を荒げる。馬はますます緊張する。
その悪循環なのだ。
その人は言う。
「警戒しないと、いつ、ガブッとやられるかわからない。だから、油断できないのよ」
馬も同じことを思っている。
「警戒しないと、いつ、ぶっ叩かれるかわからない。だから、油断できない」
さらに、その人は言う。
「この馬、とても気分屋でわがままだから」
馬も多分、同じように信頼していないだろう。
私は、こういう間柄の馬には怖くて乗れない。
そして……多くの人は、その怖い馬を乗り越えて、初めて乗馬の世界の高みにいけると思っている。
が、乗り越えられなくても乗馬は楽しめる。
いや、むしろ、乗り越えないほうがいい場合もある。
それをこれから書いていきたい。
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