馬との日々は人生の縮図・馬は人の鏡
残念なことに、私は立派な馬乗りではない。
どちらかというと、乗馬クラブで時々見かける「長年がんばっているがさっぱり上達しないおばさん」という
ただ唯一胸を張れることは、愛馬のシェルと仲良くやっている、ということで、シェルとの絆の深さはクラブでも指折りなんじゃないかな? と自負している。
だから、私がどうやってシェルと仲良くなったのか? は、書いておいて損はないかも? と思う。
ただ、他の人にオススメするものではない。
馬にも人間にも個性があるし、相性があるし、何よりも目的が違うかもしれない。
子育てのノウハウが参考程度にしかならないようなものだ。
立派な教育者の子供が、常に立派に育つわけでもないし、ダメダメな親でも子供は立派に育ったりする。
馬乗りとしてはダメダメな私だが、シェルは立派に育ってくれた。
今は、競技にも参加して、ブルーリボンも2つもらった。
とはいえ、同じように他の馬に接したからといって、同じようになるとは限らない。他の人でも、私でさえも、だ。
それに。
馬と触れ合うことは、まるで人生の縮図のようなものだ。
大人のアドバイスは理解されず、自分で失敗を繰り返さないと、ああ、なるほど、こういうものだ……とはわからない。
馬が好き! という気持ちで乗馬を習い始めた時は、皆、何もわからず、良いも悪いも、インストラクターの指導なしではわからない。
どのような年齢であっても、馬の前に赤子のようなものだ。
やがて、少しずつ馬に乗れるようになったら、今度は、自信がついてきて、インストラクターのいうことに逆らってみたり、理解も不十分なまま、偉そうに他人に説明したり、ちょっと大人ぶった態度になる。
いわば、中二病的時代か?
そして、もっと馬に乗れるようになったら、今度は逆にその深みに驚いて、自信を失い、恥ずかしくもなったりする。
子供から大人への過渡期だ。
悩んだり、苦しんだりして……やがて、自分らしい馬との付き合い方を身につけていくものだ、と思う。
私は、馬乗りとしては初心者同然、ひどい技量だが、随分と長い間、馬と接してきた。自分なりの馬との接し方を見出した、いわば、大人だ。
立派な大人かどうしようもない大人かは、自分で判断つきかねるが、自分なりのポリシーを持って馬に接している。
人生は、悩み苦しみしても、死なない限り、続く。
でも、乗馬ライフは違う。
悩み苦しみ、やがて、自分は乗馬には向かない……と思い、馬から遠ざかってゆくことができる。
私もその一人だった。
だから、まるで乗馬ライフの中二病的状況に陥ったり、大人と子供の狭間で苦しんでいるような人の、負のスパイラルから抜け出すきっかけになれば……と思い書いている。
とはいえ、私がこうだったから、その人もこうすれば? ってものではない。
馬は扱う人の鏡だ。人の見えないところを、馬は見せてくれる。
その人の本質が反映されてしまうのだ。
もちろん、乗馬を教えてくれた人、環境の影響はある。だが、どんなところで乗馬を習おうと、変わらない本質がある。
だから、あくまでも経験談のようなものだ。
けして、ハウツウものではない。
「こうしたら馬と仲良くなれるんだね?」
と、安易に思わないでほしい。
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