第三十四話 「リーシュアリアは人間だ、コイツ自身がそれを否定しても、俺はそう言い続けるさ」
その日の夜の事だった。
そろそろ日付も変わろうかとする深夜に、ギルドの屋上に居るものが二人。
否、その二人の行動に感づいた者達の姿も。
「――――行くのねアベルちゃん、リーシュアリアちゃん」
西を向く二人の背に、ヴィオラが話しかける。
「このまま逃げるのも癪だからな」
リーシュアリアは無言、そして彼の無い筈の右腕が『在る』事を見取ったパトラは、彼の本気を悟りただ情報だけを伝えた。
「偵察からの報告では、例の巨大魔獣だけで数百体は居るそうよ」
「だろうな。それが魔王ってもんだ。――――討ち漏らしは任せたぞ」
アベルの背中に揺るぎは無く、かといって気負った所一つ無いひょうひょうとした姿。
向かい合っていないというのに、強固な漆黒の殺意すら感じる気配に、ケインは少し悲しそうな顔を見せ、ガルシアは意を決して口を開く。
「アニキ…………イレインちゃんとミリーは」
それは、悲壮さが漂った祈りだった。
英雄と呼ばれる者に、そうであって欲しいと願う祈り。
世の中に都合の良い『救い』なんてない、けれども、だけど、もしかしたら。
ここで、任せろと言えたならどんなに善かっただろうか。
二人とも助けてみせると、約束が出来たらどんなに素晴らしかっただろうか。
だが、アベルは英雄ではない。――――救世主でも、御伽噺の勇者でも。
出来る事は只一つ、敵を倒す事だけだ。
十年前なら即座に返した言葉を飲み込んで、アベルは告げる。
「魔王は倒してみせる。…………それ以外は天運を祈れ」
「――――アニキなら出来るって、オレは…………っ」
沸き上がる衝動に耐える様に出された言葉、その重みに耐えかねてアベルは自嘲した。
(俺に期待するもんじゃねぇって、教えておけばよかったな)
きっと、ガルシアの想いを裏切るだろう。
魔王がイレインに手を出さない約束も確信も無く、五体が無事な保証すら無いのだ。
「話が終わりなら、行かせてもらうぜ」
「御武運をアベル殿、せいぜい討ち漏らしとやらは妾達に任せてもらおうぞ」
胸を張って答えるフラウに、アベルは手を上げて答え。
「――――行くぞ」
「はい、旦那様――――」
二人は天高く跳躍し、あっという間にヴィオラ達の視界から消えていった。
彼女達はしばらくそこに立ち尽くしていたが、やがて各々のすべき事を再開する為に、階下に降りていった。
□
出発してから数分も経過せずに、アベルとリーシュアリアはディアーレン西の大森林地帯にたどり着く。
そこは報告通りに、巨大な魔獣が数百体が鶴翼の陣を思わせる配置で待ち受けていた。
勿論の事。大小、そして種族も様々な魔獣が、巨大魔獣一つにつき数千匹は付き従っている様に見えた。
二人が行くは、その眼前にして中央。
魔獣達が包囲するのも意に介さず、リーシュアリアが示す先、魔王ラセーラの下へと進む。
「おいおい、街一つ攻めるにはちと過剰なんじゃねけのか?」
アベルの軽口に答える様に、魔獣の群が割れ、そこからラセーラ達が出てくる。
「その後に王国全て、いいえこの大陸全部を相手取るんだもの、足りないくらいだわ」
彼女はミリーと荒縄で拘束されたイレインを従え、ゆうゆうと歩き、昼の戦闘で把握したアベルの間合いギリギリに陣取った。
「それにしても、礼儀がなってないわね英雄さん? 淑女の部屋を訪ねるには遅い時間だし、約束の時間には早すぎるわ」
「すまないな、お前に逢いたくて居ても立ってもいられなくてな」
「うふふっ、良いの? そんな事を言って。隣の奥方に失礼じゃない?」
「…………馬鹿な事を言ってないで、とっとと皆殺しにしましょうアベル」
不機嫌そうなリーシュアリアの言葉に、ラセーラは眉をしかめた。
「あら、随分と自信があるんじゃない。こっちには人質が二人も居るのよ? それに幾ら貴方達が強くても、アタシ達の軍勢相手に勝てると思ってるの?」
万を越す魔獣と数百いるの巨大魔獣、そして、魔王も居るのだ。
例え、アベルがどんなに強くても人間、多勢に無勢は分かり切った事だ。
ラセーラからしてみれば、リーシュアリアという戦力は未知数だが、その力は到底、自身のそれには叶わない様に感じられる。
そんな彼女の疑問を感じ取り、アベルは笑った。
「先ずは一応聞いておこう、――――死にたくなければ、ミリーとイレインを解放して今すぐ立ち去れ。どうだ?」
「ハッ、馬鹿馬鹿しい。死にたくなければ? そもそも勝てると思ってんの?」
「だろうと思ったよ」
アベルは眼帯を取って捨てた。
左の瞼が開かれ、奇妙な黄金色の義眼が露わになる。
「それが切り札って訳? 魔力も感じられない玩具に何が――――」
英雄の、勇者の器だと思ったが。力が強いだけの気狂いなのかと、ラセーラが落胆しそうになった瞬間、リーシュアリアが前に出た。
彼女は能面の様な表情を張り付け静かに佇み、そしてアベルは語り出した。
「――――俺は昔、一人の女を救えなかった」
「お前達に、プルガトリオに、国の中枢は侵され。気付いた時にはその国の皇女が二人、魔王となった」
それは、死を前にした後悔であったのだろうか。
それとも、魔王という絶大な存在を前にした懺悔だったのだろうか。
冥土の土産に語るなら語れと、ラセーラはその戦力故に、魔王としての実力故に、慢心と余裕を持って耳を傾ける。
――――そして、イレインもアベルの言葉を聞いていた。
「魔王の一人は俺の婚約者だった。幼い頃から一緒に育った、大切な家族だった」
「――――殺したんですか? アベルさん」
思わずイレインは問いかけた。
アベルは少し寂しげな瞳を見せると、しっかしと頷く。
「ああ、そうだ。…………俺が、殺した」
その言葉を、リーシュアリアが続ける。
「アベルは殺したわ。私の妹を、そして実の兄や親さえも」
彼女の瞳は憎悪に濡れ、イレインには痛ましく、ラセーラには心地よさすらあった。
だがしかし、一つ訂正しなければならない。
「残念だけど、アタシはプルガトリオと繋がりはあれはこそ、一員じゃないわ。だから恨むならお門違いよ」
「理解してるさ、そんな事は。ああ、そうだ。俺はお前に何一つ、恨みも怒りも抱いちゃいない」
「じゃあ何で、此処にいるのよ?」
ラセーラは不気味な者を見る様に、アベルに視線を向けた。
負の感情でもなく、しかして義憤や正義に身を委ねている様にも見えない。
捕らえたイレインや、ミリーに固執している風にも見えない。
では何故、何故今この場所に居るのだろうか。
アベルの答えは単純だった。
「――――お前達が、この街に来たからだ」
「私達はね、静かに暮らしていければ。…………それで、良かったのよ」
「何を言い出すかと思えば…………、それならアタシ達の仲間にならない? 望み通り放っておいてあげるわよ」
それはアベル達にとって、甘美な誘惑になるのでは。
イレインはそう思い、縋る様な瞳で二人を見た。
だが。
(――――笑っている?)
口元を歪め、さも面白い言葉だと目を細目。
アベルは、リーシュアリアはカラカラと笑う。
「――――――ああ、ああ、ああ。聞いたかリーシュアリア、久々に面白い事とを聞いたぞ」
「ええ、アベル。なんて面白い事でしょう――――」
二人から溢れ出るモノは確かな怒気、夜の闇よりも深く、火山から溢れる溶岩よりもドロドロと熱いそれ。
「ははははははっ! 残念だがその誘いは断らせてもらうっ!」
「ふふっ、貴女自身には恨みは無いわ。けど――――嗚呼、私達は魔王という存在そのものが許せないの」
「俺達が暮らすディアーレンを攻め滅ぼすと言うのなら、その死をもって、自らの愚かさを思い知るがいいっ――――!」
アベルは獰猛に笑った、そして左目が輝いて――――。
「――――やりなさい、お前達っ!」
開戦を悟ったラセーラが、魔獣達に向けて号令をかける。
だが魔獣達は何かに臆した様に動かず、ラセーラもまた、それに気付いた。
「さっきの話だけどね、続きがあるの。魔王は二人。そして一人は私の妹――――アベルが殺した婚約者。では、もう一人は誰でしょう?」
「『偽・黄金瞳最終解放開始マデ、ゴ・ヨン・サン――――』」
アベルの脳裏で秒読みが始まる。
同時に、リーシュアリアの体から闇色の何かが膨れ上がり――――。
「――――リーシュ、アリアさん?」
「チィっ!? いいから動きなさい――――」
「――――答えは、ええ。もう解るでしょう」
そして、一人の女が消え、巨大魔獣よりも、本来の姿に戻ったフラウよりも大きな『何か』が出現した。
それは、山の如く大きかった。
それは、二本足を持つ頭足類の様に見えた。
それは、爬虫類を思わせる黒い鱗を持っていた。
それは、竜種を思わせる大きな翼を持っていた。
それが一声鳴くと、神経を逆なでするような木管楽器の様な音を出し、魔獣達を混乱へと貶めた。
そしてその瘤だらけの頭部の額には、一人の女の姿が。
――――リーシュアリアの姿があった。
黄金の瞳を爛々と輝かせて、アベルは叫ぶ。
「いつもの姿こそが仮だ! 本性こそがこの異形! ――――魔王を殺す為に生み出された『魔王リーシュアリア』! お前も魔王を名乗るなら、平穏を望んだ優しい女の成れの果てを! 討ち滅ぼしてみせろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そして、蹂躙が始まった。
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