第三十三話 「トコトンまで鍛えたら――後は意思の領域だ」
ごう、という風の音と共に、一瞬にして街の風景が過ぎ去った。
屋上から出発して、一秒も過ぎていない。
(ははっ! リーシュアリアより早いんじゃねぇのか?)
何はともあれ、早いことに越したことは無い。
目標の二人に補足されないよう、地上からは米粒に見えるまで昇ったアベル達は、そこで最後の行程を実行する。
即ち、――――フラウによる全力全開の投擲。
人型に戻った彼女はアベルの胴を掴み、大きく振りかぶって頭から地上へと叩きつけた。
(フラウの着地まで数えで十、リーシュアリアが居るんならアイツ等が来るまで加えて五)
ぐんぐん迫る地表を前に、アベルはぐるんと回転して若干の減速。
加えて体全体、特に脚へと魔力を回し着地に備える。
それは常人であれば、或いは高位の冒険者であっても無謀な行為。
伝説の魔物に天空から叩きつけられたら、例え飛行を得意とする魔法使いでも大怪我は避けられない。
では、何故そんな方法をアベルは取ったのか。
答えは簡単だ。世界の法則を――――『ねじ曲げれ』いい。
勿論、天獄への門という異世界の理を使うのではない。
人が。魔力が使え、意志ある生物だけが持ちうる可能性。
それこそが、魔王討伐者と高位冒険者を隔てる絶対的な壁。
――――『超越支配』
魔力を媒介に、意志の強さ『だけ』で世界の法則を塗り替える絶技。
魔王達との長きに渡る戦いの中で、人類が手に入れたたった一つの『牙』
そう、今まで見せてきたアベルの超人的な身体能力は、これが理由だったのだ。
(捕らえた――――っ!)
フラウがアベルを投げて、瞬き一つにも満たない時間で、地面に降り立つ。
音を越える速度で着地した為、周囲の地面が円形に吹き飛ぶ。
轟く地響き、立ちこめる土煙。
その瞬間、驚愕の表情をしたラセーラと視線が交わったが、もう遅い。
アベルは既に、魔眼を限定解放してその意識を奪っている――――。
(――――その一瞬さえあればっ!)
一直線に駆け、アベルはラセーラの首を。
だが、だがしかし。
「ちぃ、中々運が良いじゃねぇか」
「――――ラセーラ様はやらせません」
それを食い止めたのはミリーだった。
ギリギリと金属音と共に、小剣と拳が力比べ。
(魔眼に対抗する手段を持っていた? いや違う、着地してから魔眼を発動するまでほんの一瞬だけ隙があった、恐らくは――――)
隙と言ってもそれは、日の光が地面に届くより短い時間だ。
だが、幸運の女神はアベルに微笑まなかったのだろう。
そう、ミリーはアベルが地面に衝突したその一瞬だけ気を喪ったが、魔眼を限定解放した『後』に目を覚ましたのだ。
既に意識を喪っているならば、アベルの魔眼による意識喪失は避けられる。
(奇襲は失敗した――――なら、強引に押し通るまでだっ!)
幸か不幸か、アベルの魔眼は連続使用出来ない。
故に、異世界の理を無力化する第一解放も当然使えない。
直後に気絶覚悟で無理矢理使うとしても、まだ暫くの時間が必要。
「――――わわっ!? 何コレ!? って良くやったわミリーっ! 加勢するからそのまま足止めしてなさいっ!」
「わざわざ目論見をばらしてくれて、ありがとうよっ!」
「ぎゃっ――――!」
幾ら力を得たとはいえ、ミリーには経験が足りない。
ラセーラの声で意識が一瞬逸れた瞬間、足蹴をくらい吹き飛び、その先には着地したフラウ。
彼女に向かおうとするラセーラに、アベルはそうはさせまいと回り込んで切り込んだ。
「中々やるわね、勇者サマ――――!」
「勇者なんて古風な言葉っ、流石は古の魔王様って所だなぁっ!」
一合、二合、剣が振るわれ激突する度に罅が入る。
そして神速の応酬は十合を数え、とうとうラセーラの拳がアベルの小剣を粉々に、しかしてアベルは動揺せず蹴りを放ち。
だが、相手はラセーラは魔王。
ミリーには通用したアベルの早さが、彼女には通用しない。
軽々とそれを交わしたラセーラは、初めから徒手空拳にも関わらずアベルを防戦一方に追い込む。
「あっぶなぁいっ! アンタ超越してんじゃん、危なかったわ」
「へっ、心にも無い事を!」
だがそれはアベルの作戦通り、フラウが今度こそ気絶したミリーを抱えて跳躍。
着地する場所には、追いついたリーシュアリアの姿が。
「これだから嫌いなのよ人間ってぇっ! ミリーを返しなさいっ!」
「ミリーは貴女の物じゃありませんっ! わたし達の仲間ですっ!」
後継者が敵の手に落ちた事実に焦ったラセーラは、イレインを亡き者にせんと疾駆する――――だが、そこに居るのはイレイン一人だけではない。
「行かせんっ!」
「獣風情がっ!」
行く手にはフラウが立ちはだかり、避けるにも排除するにも、若干の隙が生じる。
そしてその一瞬さえあれば、リーシュアリアが拘束するのは容易い。
「な、ァ――――――――っ!?」
「ふふっ、これが貴女にほどけるかしら?」
ラセーラはフラウを後方のアベルに向かって投げ飛ばした直後、その肢体を太く黒い縄の様なもので絡め取られる。
「くううううううっ!? 何だって言うのよこれっ!」
彼女がもがき足掻く中、アベルは即座にリーシュアリアの隣に行き、『右腕』を受け取る。
それは魔王に対する切り札、現状アベルが最も信頼する得物。
――――あれは不味い。
その異形の右腕が『何か』、瞬時に悟ったラセーラは一か八かで太縄に噛みつく。
「ちぃっ! 駄目だリーシュアリア!!」
「――――!? 厄介なっ!?」
次の瞬間、リーシュアリアはその黒太縄を途中で切除した。
世界的に見ても驚異的な硬度を誇るそれは、魔法により精製されたものでも、鍛え上げられた無機物でもない。
彼女の『肉体』――――その一部なのだ。
吸血種の魔王であるラセーラは、吸血行為により相手を支配する。
それ故にリーシュアリアは、支配が及ぶ前に切除する必要があったのだ。
こうなれば、次の手を考えなければいけない。
今すぐミリーと取り戻すかどうか思案しながら、しかして隙を見せないラセーラ。
フラウとアベルは彼女の前後を挟むように、じりじりと近づく。
イレイン達には解らなかったが、それは高度な牽制合戦だった。
お互いに殺気を飛ばしあい、何処に移動するか、どうやって攻撃するか、実際には行動を起こさず幾度と無くぶつかり合う。
やがて、永遠にも似た一瞬が過ぎ去りラセーラとアベルは拳を下ろした。
一瞬遅れて、事態を辛うじて把握していたフラウもアベルに倣う。
切り札の魔眼を解放するにはまだ時間がかかり、『もう一つ』の切り札を使うには、イレイン達の存在が障害となる。
(強引に使った所で、確実に殺せる保証は無いか)
非常に不本意だが、ここは仕切り直しと行くしかない。
「――――仕方がないわ。ここは出直すとしましょうか」
「なんだ、逃げるのか?」
「長生きしたければ強がらない事よ英雄さん。…………ミリーっ――――――!」
ラセーラが叫んだ瞬間、ミリーがパチリと目を開き、イレインを抱えて跳躍する。
「――――しまったっ! イレイン!」
何一つ感情の乗らないミリーの行動に、それが故に察知が遅れたアベルが飛びかかるも届かない。
「届いて――――っ!」
慌てて太縄を飛ばすリーシュアリアの行動も、加えてラセーラが叩き落とす事で届く事はない。
あっという間に、アベル達の間合いから遠ざかったラセーラ達は、最後に一つ大声で叫ぶと大森林地帯の方角へ消えていった。
「今から三日後に、アタシ達はディアーレンを攻め落とすっ! それまでに降伏しないとこの子は勿論。住人は皆殺しと思いなさいっ!」
猶予を与えたのは、魔王としての自信の表れ、慢心、或いは何か策があるのか。
どちらにせよ、アベル達は街に帰る他無かった。
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