第二十九話 「やれやれ……」



 それは、体の内側から響いていた。


 誰とも知らぬ声、まるで天から響くような、世界の外側から殻を突き破る印象と共に。


『――――浸食率75% 打撃強化スキル発動可能』


「てやああああああああああ!」


 ミリーが拳を振るう度に、蹴り穿つ度に。


(力が増していくみたいっ! ああ、力が溢れ出ていく――――)


 理解出来ぬ言葉は続く。


『浸食率100%』『システム完全稼働』『パッシブスキル蠱毒の壷、発動』『蠱毒の壷の効果により、同種族からの経験値強制譲渡が行われます』『レベルアップ上限に達しました』『クラスが第五階梯より、第三階梯まで上がりました』


 運命があると言うのならば、この時も彼女の側にそれが寄り添っていたのだろう。


 異変に気付ける可能性があったアベルとリーシュアリアは、まだ到着しておらず。


 仮にその場に居た所で、今の彼女は魔獣達の存在と『同じ様なもの』であった。判別するのは困難だと言えよう。


 何より、ミリーの存在を侵すモノは『天獄への道』では無い。


 禁断の魔法薬より、より原始的な世界そのモノに近い――――『■■の■』


『診断チェック開始』『適性率100%』『新たなる職業が開示されました』『上位権限者からの命令を確認』『職業・使徒』『スキルツリーが決定されました』


 指先一つ動かす度に、動きが洗練されていく。


 感覚が鋭敏になり、目に見えぬ相手の意志までもが可視化されるよう。


(戦えるっ! 私は――――――――)


 気づけばミリーの周囲の魔獣は居なくなり、訝しげに近寄るフラウと。


 後ろからイレイン達が、そしてアベル達の感覚もあった。


(世界はこんなにも広かったんだ…………、多分、これがイレインやアベルさんの世界)


 本当に同じモノを見ているのか、大した努力も無しに強大な力を手に入れた事への疑問等。


 ミリーは不自然な迄に、気づく事が出来なかった。


 年の割には大人びた顔を、返り血で真っ赤に染めて。


 雲を掴む様に、手を延ばすミリー。


 その光景に、アベルは危機感を持って近づく。


 然もあらん。


 誰かに洗脳されたと思しき少女が、熟練の前衛職すら圧倒しそうな戦いを見せたのだ。


(コイツには才能があった…………訳じゃねぇよなぁ)


 アベルの見立てでは、ミリーという少女はイレインと比較して大人びている印象だが、その素質は平凡だ。


 己の目が間違っていたとは、考えたくない。


 では、違法な手段に手を染めたかと、隣を歩くリーシュアリアに視線を向けると、彼女は首を横に振る。


 件の薬を使った訳ではない。


 仮にそうだとしても、先日まで病床に付いていた少女がどうやって手に入れるのだろうか。


 アイが治療のついでに何か施した、と考えるのは楽観が過ぎる。


 それならば、誰かに一言あっていいというモノだ。


(プルガトリオ、――――ラセーラか)


 証拠は無い、だがアベルはそう直感した。


 リーシュアリアの正体を知っていた事から推察すると、彼女は組織の中でも上の方の存在だろう。


 とはいえ、かの組織についての知識はアベルですら少ない。


(一度、アイ様に見せるべきだな)


 彼女ならば、組織についても、ミリーの変化についても何か解るだろう。


 そう考えて、声をかけようとした瞬間――――。


「――――大型種接近っ! 数は一つ! 嘘っ、早いっ!?」


「逃げる暇はなさそうよ旦那様っ!」


 念のために持ってきた、対巨大魔獣用の剣を引き抜く。


「俺が相手をするっ! 全員下がって――――」


「――――私が行きます」


「おいっ! ミリー!?」


 力づくで止める暇も無く、ミリーが跳躍した。


 一瞬遅れてアベルも続こととするも、その光景に目を見開いた。


「――――――あはっ」


 跳躍したミリーが、空中にて接敵。


 そのまま拳一つで殴り飛ばし、地面へと叩きつけたのだ。


「嘘だろ、おい…………!」


 巨大吸血種がまた出てきた事など、最早どうでもいい。


 問題なのは。ミリーの力が、アベルが本気を出さないと勝てない領域まで高まっている事だ。


 イレインには申し訳ないが、ここで殺しておくべきか。


 そんな事をアベルが考えている事も知らず、ミリーは巨大吸血魔獣を蹂躙していく。


(あはっ! あははははははははっ! 弱いっ! 弱いっ! こんなにも弱いっ!)


 一度殴るだけで、かの魔獣の骨は砕けた。


 一度蹴るだけで、かの魔獣の肉は弾け飛んだ。


 最高品質の武器でないと、体毛すら切れないはずの強固で巨大な個体が、為す術もなく、いとも容易く死に向かっていく。


「私は戦えるっ! もう――――」


 もう、――――何だっただろうか。


 意味の分からない言葉、濃密に立ちこめる血の匂いに、ミリーの思考が定まらない。


 分かるのはたった一つ、『力を得る』事だけだ。


 拳を振るう度に、イレインの顔がちらつく。


 蹴りを放つ度に、ケインとイレインの顔が重なる。


 誰の為に、何の為に、力を得るのか、戦うのか。


「ミリー…………なんで」


 四肢を砕き、皮を削ぎ、幼い子供が蟻を殺すような無邪気さで、魔獣を嬲るミリーの姿に、イレインが泣きそうな声をだした。


(ああ、イレインが悲しそうな顔をしている。――――もっと、もっと、もっともっともっともっともっとっ!)


『条件を満たしました。位階・継承者』『全種族へと通達。吸血種の新たなる始まりに祝福を』



 ――――その日、全ての魔王が感じ、一人を除く全ての魔王が祝福した。



 とある種族に、後継者が産まれた事を。



「おいっ! リーシュアリアっ! しっかりしろっ!」


「――――…………大丈夫、よ。少し、立ちくらみがしただけ…………」


 今、彼女の頭の中では、『かつて』聞いた事のある鐘の音が鳴り響いていた。


(頭がっ、割れそうに痛い――――っ!)


 ミリーがケタケタと笑いながら、死した魔獣を尚も嬲る姿を前に、リーシュアリアは意識を喪う。


「おいっ! リーシュアリアっ! リーシュアリアっ! 糞っ!」


「アネゴっ! どうしたんですかアニキっ!」


「――――リーシュアリアさんっ!」


「大丈夫ですか姉御っ!?」


 ミリーを除く全員が心配そうに駆け寄る中、アベルは簡単にリーシュアリアを診る。


 呼吸は有る、外傷は無い、魔法で何かの攻撃を受けた様子は無い。


「…………意識を喪っただけだ。だが原因が判らん」


 アベルとリーシュアリアは『繋がっている』


 だがアベルの側でそれで解るのは、生命の輝きだけだ。


 腰の道具袋から、彼女を背負う為に魔法の縄を出すアベルに、フラウが近づく。


 ちらちらと、ミリーに対し睨むような視線を向ける彼女の様子が気になったが、リーシュアリアが倒れた今、アベルにそれを追求する余裕は無い。


 彼女の存在は、アベルの『全て』だからだ。


「直ぐに街に戻るであろう? 妾に任せよ」


「頼む。――――ケイン、他の皆を頼んだ。敵にあっても逃げろよ」


 アベルは背中にリーシュアリアを括り付けながら本来の姿に戻ったフラウの背に乗と、直ぐに街へと向かった。


 残るは心配そうにするケイン、ガルシア。


 ミリーもリーシュアリアも心配で、キョロキョロするイレイン。


 そして静かに佇むミリー。


「…………大丈夫ですかねアネゴ」


「僕達が街に着く頃には、何か解ってるかもしれない。――――さ、帰還の準備を始めよう」


「了解しましたケインさん。…………今回の素材の大半は諦めた方がいいな。せめてめぼしいモノだけでもて…………」


「はい…………。わたし、ミリーに声かけてきますっ!」


 ケインとガルシアは、原型を留めている三尾犬の死骸を幾つか見繕いに。


 イレインは以前として立ち尽くすミリーの元へと向かった。


 そしてミリーと言えば、彼女は今、未知の衝動に襲われていた。


「――――はぁっ。…………はぁっ、――はぁ、はぁ、はぁっ。わ、私は何を――――?」


 倒さなければならない。力を得なければならない。


 そんな衝動は覚えている。


(私は――――愉しんでいた?)


 自分はそんな性質だったであろうか。


 こんな力があっただろうか。


(私、私は――――っ!?)


 何故こんなにも、喉が乾いているのだろうか。


 水、水と譫言の様に呟き、ミリーは近づいてきたイレインに駆け寄って、その体をまさぐる。


「み、ミリー!? いきなり何するのよっ!?」


「~~~~っ! これっ! んむっ、ごくっごくっごく、――――ぁ」


 驚きに硬直したイレインだったが、水の入った皮袋を腰から奪い取って飲むミリーの姿に、一応の理解を得る。


「…………大丈夫? さっきの見てた? リーシュアリアさんが倒れちゃて、アベルさんとフラウさんに乗って一足先に街に帰ったの」


「リーシュ、アリアさんが…………?」


 水を飲んだ事で、若干の正気を取り戻した彼女は、驚きに目を見開く。


「だから、今日はもう街に帰るの。さ、準備しよう…………ミリー? 聞いてるのミリー?」


 のろのろと視線を彷徨わせるだけで、動こうとしないミリーの顔を、イレインは心配そうに覗く。


 彼女の優しい光を放つ金髪、大きく丸い瞳、白い肌。


 そして。


(――――――美味しそうな首筋)



 それに牙を立て真っ赤な血を啜ったら、――――どんなに幸せな事か。


 人ではあり得ない無い衝動に駆り立てられ、ミリーは抱きつくようにイレインに寄りかかり。



「――――――ぁ」



 その瞬間、辛うじて残された理性が、それを制止した。


(わたっ、私、今、今何をしようと――――!?) 


 細い首筋に、自分が何をしようとしたか。


 ミリーはそれに気づき戦慄して、イレインの体を突き飛ばした。



「あ、あ、あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!! 違うっ! 違うっ! 違うっ! 私はっ! 私は――――!」



 違う、断じて違う。


 違わなければならない。



(私が、イレインの『血』を吸いたいなんて――――)



 その瞬間、ミリーは理解した。理解してしまった。


 自分が『何』になってしまったかを。



「――――――ごめんなさい、イレイン」



「…………ミリー?」



 本能が告げる、目の前の存在は憎むべき怨敵だと。


 滅ぼさなければいけない、存在を許してはおけないモノだと。


 だからその衝動に飲まれる前に、ミリーはイレインの前から姿を消す事にした。


「ミリー!? 何処に行くのミリー!?」


 再び超人的な身体能力で跳躍し、一瞬の内に探知魔法の範囲外へ去った彼女の事を追いかける事が出来ずに。


 イレインはただ、名前を呼ぶ事しか。



 ――――そして次の日から、ラセーラと行動を共にするミリーの姿があったのだった。


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