第二十一話 「クソッタレな事に、都合の良い救いなんて、存在しねぇんだよ」
彼らが街への帰還を急いでいた頃、大森林地帯を抜けた先。
切り立った崖の先に、朽ちた洋館があった。
焼け落ちた後、長い間放置されたその洋館は、もはや家としての機能をなさず。
石造り故に、辛うじて崩壊を免れている有様。
二階に続く階段は崩れ落ち天井も抜け、そこに在るのは潮の匂いと、差し込む光。
今となっては誰も知らぬ、用も無い筈の場所に今、一人の少女が訪れていた。
それは先日、ラッセル商会に現れた少女。
アイに、カナシと呼ばれた――――プルガトリオの主。
彼女は肩まで延ばした栗色の髪を揺らしながら、迷うことなく書斎まで進む。
「…………ああ、ここだったな」
書斎と言っても原形をとどめる本などは残っていない、だがそれ故に解ることがある。
室内の中央、昔は絨毯に隠されていたであろう地下室の扉が。
鉄で出来ている故に海風で錆びてしまっているそれを、彼女は強引に取り外し中へ。
そこに、目的の物。
――――否、目的の者が居た。
硝子張りの棺桶に眠る、美しい金髪の女性。
ここがもし殺風景な地下室では無く、豪華な寝台の上だとしたら、世の全ての男は寝込みを襲ってしまう様な、芸術的な全裸姿。
女としても、羨み、思わずため息出してしまうをその姿を、カナシは眉一つ動かすこと無く見て。
「もう、傷は癒えただろう? そろそろ起きろ」
まるで、母が幼子にする様に優しく頬をなぞる。
金髪の女性は、ううん、と悩ましげな声を出し、ゆるゆると瞼を開けた。
「――――嗚呼、外なる禍津神。アタシ達の親愛なる神よ。何のご用で?」
「知れたこと。ヒトを恨み、ヒトを妬み、そしてヒトを愛する為にヒトを越えたモノよ。――――再び、あるがままに為す時が来たのだ」
金髪の女性は体を起こし、微笑むカナシの手を取り甲へ接吻を落とす。
「このラセーラ、御心のままに。――――アタシこそが美の女神にして! 万物の支配者だという事を! 今度こそ森羅万象の総てに、教えてあげるわっ!」
裸のまま、隠すことも恥じることもないと胸を張るラセーラに、カナシは満足そうに頷く。
「今の時代の事は?」
「ええ、子供達が教えてくれているわ」
「では、何か必要な物は? 何でも言え」
「大丈夫ですわカナシ様。もう、何時まで経っても子供扱いなんですもの」
心配性の母親の様にそわそわするカナシに、ラセーラは苦笑しながら、一つだけ頼みごとをした。
カナシはそれを聞くと、任せろと胸の谷間から長方形の紙、――――アイがミリーの治療に使ったそれと同種の物を取り出す。
母の様な暖かみと、子供の様な無邪気さを持つ彼女に、ラセーラの心は安心に包まれた。
どれだけ時が経とうとも、変わらぬモノは確かにある。
ならば、今度こそ彼女の為に、そして自分の為に、世界を手に入れるのだ。
「一番近くの街の中に転移出来る。そこには我らには属さないが、――――お前の『ご同輩』も居る」
「ありがとうございます、精々仲良くしてみせますわ」
ラセーラは彼女から転移の『符』を受け取ると、獰猛に牙を出して笑った。
□
命に関わる深手というものは、それだけ実力のある神官と、体力のある鍛えた若者であろうと完治に数ヶ月かかる。
だというのにミリーは今、一人元気に大通りを歩いていた。
「いつか、お礼を言えるといいのだけれど…………」
彼女は今し方、ギルドの医務室から解放されたばかりである。
これは、世界一の治療技術を持つアイの成果といっても過言ではない。
実際、街の神殿から呼ばれた神官などは、目を丸くして非常に驚き、支部長ヴィオラにアイの行く先を聞き出そうと躍起になっていた。
しかしてそれは、ヴィオラの蠱惑的な肉体と権力、そしてアイの素性の一端を話された事で、泣く泣く引き下がったのだが。
ともあれ。
ミリーとしては、是非ともお礼の一言を、そして何年かかっても治療費を払う覚悟であったのに対し。
アイは何も請求せず、また、ミリーが目覚める前に街から去って。
残念極まりないと言った所である。
「リーシュアリア様に似た黒髪のお姉さん…………、どんな人なんだろうなぁ」
口に出すのはアイの事でも、彼女の心の奥底は違う人物、――――イレインを想っていた。
(イレインは、怒ってないかな? わたしの事、嫌いになっていないよね?)
ミリーがイレインと会った最後の記憶は、大怪我をするその瞬間。
思い出す度に安堵と悲しみが、心を襲う。
あれはミリーにとって必然で最善だった、もしイレインがアベルの様に強かったとしても、とても分厚い鎧を来ていたとしても、必ず庇っていただろう。
「…………会いたいな、イレイン」
彼女の無事な姿を一目見たかった、元気な声を聞きたかった。
きっと彼女はミリーの事を責めるだろう、怒るだろう。
でも。
「でも、私は――――」
ふいに陰が差し込み、ミリーは顔を見上げた。
そこはいつの間にか大通りでは無くなっていて、何処かの路地裏。
(あっちゃぁ…………。誰かと一緒に帰るか、迎えに来て貰えばよかったかな?)
ギルドの職員達に、そこで下働きになった子にも、それを進められていた。
けれど、――――一人に、なりたかったのだ。
迷惑をかけたから誰かと一緒に居る権利などない、そんな悲劇に酔う為ではなく。
ただ、『家』に帰る時は、イレインと一緒がいい。
(私には、イレインしか居ないの…………)
ガルシアや同じ奴隷の子達は、家族の様に感じている。
だが、だが。
「会いたいよ、イレイン…………」
何処に繋がるかも判らず、ミリーは一人路地裏を彷徨う。
そんな時であった、少し離れた所から声の様なモノ聞こえたのは。
(誰か居るの? 道を教えてくれるかな?)
猫の声に似た、小さく響くそれを頼りに近づくと、次第に微かな水音も聞こえてくる。
(やっぱり猫――――じゃ、ないっ!? え、ええっ!? ええええええええええええっ!?)
それは、ミリーにとって刺激が強すぎる光景だった。
思わず咄嗟に、放置された木箱の陰に隠れる。
(お、おんなの人が、私と同じ位の子と、せ、せ、せ、接吻~~~~っ!?)
暗がりの密事、目の前の二人は一回り以上年が離れている様に思えた。
しかも、――――同性。
性に疎い者でも解る、禁断の情事。
(うわぁ…………、街ってこう言う人も居るんだぁ…………)
金髪の女性と少女の表情からは、犯罪の色、つまり合意無く、といった雰囲気は見られない。
――――もっとも、この光景自体が犯罪そのモノではあるが。
ディアーレン、もとい大陸で同性愛は禁じられていないが、大っぴらに許されている訳でもない。
そもそも、大人と幼い子供の性行為は、例え貴族の政略結婚であろうとも白い目を向けられ、場合によっては罪に問われる事案だ。
良識ある人間ならば、通報するなり、一言注意するなりしなければならない。
だというのに、ミリーの心臓は早鐘を打ち、淫靡に絡まる肢体から、目が。
(わた、私っ、私はどうすれば~~~~っ!?)
この場での最適解は、静かに立ち去る事だった。
ミリーの理性もそれを訴えていたが、生命の危機でも無い状況でそれを求めるのも酷と言えよう。
最早彼女は体を隠す事もせずに、食い入る様に見ながら、そっと自分の唇をなぞる。
(私も――――)
いつか、どこか、誰かと。
そしてふいに、――――気づいてしまった。
(――――イレ、イン)
それはただの自覚で、思春期の一過性のモノだったかもしれない。
けれど、確かに、心の中で絶望と共に燃え上がる。
(好き、すきなの、イレイン――――)
この恋は秘めなければ、隠し通さなければならない。
彼女はきっと、同じ様には想っていない。
――――想って、くれない。
「はぁい、子猫ちゃん。貴女もアタシのモノになる?」
「え、あ――――」
ミリーがきゅっと目を瞑った瞬間、その妖しげな声に誘われ顔を上げる。
途端、その脳裏に痺れるような快楽が走り、何も考えられなくなった。
「感じたわ、報われない恋をしてしまったのね。ええ、…………解るわ」
声がやけに響く、胸の奥にまで染み渡る。
目の前の美しい金髪の女性は、世界で唯一の理解者だと、そう直感した。
――――それが、偽りだという事も気づかずに。
「この手を取りなさい、可愛い子猫ちゃん。アタシの言うとおりに動いてくれたら、貴女の想い/欲望をかなえて、ア・ゲ・ル」
「……………………は、い」
虚ろな瞳で、ミリーは差し出された手を取った。
そして彼女に言われるがままに目を閉じ、唇を受け入れる。
――――その頬に伝うモノの意味も解らずに。
女の唇が涙に触れ、そのまま首筋に。
そして。
「――――――――ぁ」
鋭く、甘い痛み。
気分が高ぶり、全身が敏感になって、全ての自由が急速に喪っていき。
やがて、女は顔を離し、ミリーの首には二つの小さな穴が。
出血は直ぐに止まり、瞬く間に傷は癒えていく。
「アタシはラセーラ、子猫ちゃん貴女は?」
「私の名は――――」
――――そして、次にミリーが正気を取り戻した時、そこは倉庫から家となった所の自室だった。
(あれ、いつの間に帰ってきたんだっけ?)
ギルドを出た頃にはまだ朝だったのに、窓を見ると日は沈み始めて、誰かが料理をしているのか良い匂いが漂っている。
(ああ、そっか。『何もなく』帰って、直ぐ寝ちゃってたのか)
彼女の記憶に、路地裏で迷った記憶も、妖しい現場を目撃した記憶も。
ラセーラと名乗る女性に、出会った記憶すら無い。
だが。
(アイさんは凄いなぁ、体を治すだけじゃなくて、こんなにも心を軽く出来るなんて)
一流の治癒使いは、精神をも回復させる。――――そんな事実は無い。
「うん、明日から私も頑張ろう! …………ケインさんにも会いたいしね。うふふ、何を着ていけばいいかな? うーん、イレイン早く帰って来ないかなぁ…………?」
ミリーは会ったことも聞いたことも無い、青年への想いを不自然にすら感じずに、うきうきと食堂に向かう。
「なんだか視界が広がったみたい、体も軽いし、これならイレインと一緒に戦えるかも!」
何も知らず、不運な少女は無邪気に喜んだ。
無理もない。ミリーには知識も装備も実力も、全てを持ち合わせていない『普通』の少女。
だから、これは、きっと、――――逃れ得ぬ運命だったのだ。
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