第二十二話 「仕方がない、楽するには準備が必要ってな」
依頼を終えた、或いは各種手続き待ちの冒険者の行くところと言えば、併設された酒場が赤竜の盾より堅い。
赤竜で作られた盾といえば、昔の英雄が使っていた、今も尚、世界最高強度と噂される大盾の事であり、今では日常的に使われる慣用句の一つなのだが。
ともあれ。
慌てて撤退したが、素材はちゃっかり持って帰ってきたアベル達は、素材の査定が済むまでここで一休憩である。
「さて、素材は全部売却で均等に山分け。それでいいか?」
「異議無しですっ!」
「右に同じですアニキ。――――あ、エール一杯ください」
「僕も異論はありません。――――こっちには、鶏の山賊焼き一つ」
同意しながら、通りがかった店員に注文する教え子たち。
アベルは自分の分はリーシュアリアに任せ、彼女もまた言われるまでもなく二人分頼み。
「――――で、ケイン。これからどうする? 俺としては今週中にもう一度と考えているが」
つまり、今度の相談である。
「帰還中はちゃんと話す暇が無かったがな、…………あのデカい狼は『魔物』だ。気づいてるだろ?」
「ふえ、そうなんですか?」
「話の腰を折ってすみませんが、魔獣と魔物の見分け方ってあるんですかアニキ?」
不思議そうにするイレインとガルシアに、ケインは説明する。
「簡単な事さ、魔物は総じて知能が高い。魔獣と違って、こっちを積極的に襲う理由は無いし、強い奴ほど言葉を使う――――あの巨大な赤狼の様にね」
「!? そういえばしゃべってましたねっ! もぐもぐ」
「ふふっ、イレイン。女の子が食べながら口を開いてはいけませんよ」
「んぐんぐ、ごくん。…………はい、リーシュアリアさん」
「よろしい」
微笑ましいやりとりを余所に、ケインは真面目な顔で考え込んだ。
自身の問題は何一つ解決していない、だが今回発見した魔物。
それを仲間にする事が出来れば、或いは――――。
「――――もう一度だけ、お願い出来ますか兄貴。今度は出来るならば、平和に会話出来る機会が欲しいのですが」
それは、多くの冒険者にとっての無理難題の一つであろう。
かのように巨大で、圧倒的な力を持つ存在。
しかも、どの様な理由か解らないが、殺意を此方に向けて来たのだ。
普通ならば、もう一度という言葉すら出ないし、仮に出たとしても、会話する機会が欲しいという条件など飲む筈がない。
だが。
「ああ、なんだそんな事か。折り込み済みだから安心しとけ」
アベルは事も無げに、そう言い放った。
「…………兄貴ぃ!」
「うわっ! 泣きながら縋りつくんじゃねぇ!」
「はい、ケインさん。ちり紙です」
「抱きつくのはいいけど、鼻水は付けないでね。洗濯するのは私なんだから」
「止めろよお前等っ!」
「あ゛ああああに゛いいいいいき゛いいいいいいい!」
おいおいおよおよと、感激の余り大声で泣く光景に、周囲の者達は何事かと構えるが。
それがケインで、相手がアベルだと知ると、笑い声と共にヤジが飛ぶ。
「おいおいケイン! あんま抱きついてると姐さんにどやされっぞ!」
「アベルさんっ! また男を堕としてるんですか? 姉御も構ってあげないと愛想つかされますよ!」
「だから姉御って…………」
「どうどう、リーシュアリアさん。押さえて押さえて」
リーシュアリアはケインへと運ばれてきた料理を強奪しながら、ふくれっ面でやけ食いを始める。
(げぇ。これは食費が嵩むお馴染みの――――!)
少々特殊な事情で、人の数倍は食費がかかる彼女であるが、こうなったら止まらない。
アベルはどうせ出費するなら、とやけくそ気味に叫んだ。
「お代は俺持ちだぁっ! 野郎共っ! 今日は飲んで飲みまくれぇっ!」
なお、今回の報酬のアベルの取り分の三割以上は飛んでいき、後に、リーシュアリアからお説教があったのは言うまでもない結末であった。
□
帰還した次の日の夜の事である。
明後日の再出発を目前に、アベルには『やる事』があった。
即ち。
「旦那様もお節介よね、事前に話を付けに行くって」
「すまないな、今夜はたっぷり愛そうと思ってたんだが」
「馬鹿言いなさいな、さ、準備はいい?」
「素直じゃないなお前は、――――いつでも、どうぞ」
家から少し離れた路地裏で、真っ黒の外套で身を隠す姿が二人。
リーシュアリアはアベルを軽々と横抱きにすると、一回の跳躍で、小門からかなり離れた平原へと着地。
そのまま、音の早さで森まで駆け抜ける。
(さて、どう出る? 巨大狼さんよ)
詰まるところ、件の巨大赤毛狼が、ケインに害を及ぼす存在かどうか確かめに行くのだ。
もしそうであれば、被害はケインだけでなく、街にまで広がるかもしれない。
――――最悪、対魔王と同等の大規模な討伐戦が発生する。
もしそうでないのであれば、ディアーレン支部に有力な冒険者がまた一人増える事に。
――――あの巨体を受け入れ先、餌の問題など、出来るならば事前にヴィオラへ報告したい。
何れにせよ、準備や根回しが必要なのである。
「リーシュアリア、進路を少し右へ。ズレてるぞ」
「旦那様は良いわね、楽が出来て」
月夜の下、平原が瞬く間に過ぎ去り、森の入り口で彼女は大きく跳躍。
ここからは、木を足場に跳ね回る事となる。
「足音と姿を誤魔化す魔法を使ってるのは、誰だと思ってんだ」
ついでに言うと、周囲に風を発生させて空気抵抗を下げたり、上下運動の衝撃緩和もしているが。
それはアベルが彼女の常識外の運動能力に耐える為の行為なので、殊更に口には出さない。
とはいえ、そんな思惑などお見通しなリーシュアリアは、まるで夫を立てる妻の様に言及せず、黙々と進む。
(――――ったく、これが逆なら格好が付いたんだが、無い物ねだりをしてもしょうがないか)
アベルはまだ、人を辞めてはいないのだし、彼女とて望んでこの力を得た訳では無い。
誰かが見たら、目を疑う速度で進み一時間半。
「見えた、打ち合わせ通りに頼む」
「任されましたわ」
例の開けた所で眠る巨大狼の上で、リーシュアリアはアベルを落とし、自身は狼の真後ろに着地。
その瞬間、黒く太い縄をスカート部分の中から発生させ、瞬きする間も無く巨体を拘束する。
「――――よう、夜分に失礼するぜ」
「ガァっ!? 貴様等は先日の!? っく!? 身動きが出来ないっ!?」
巨大な赤狼は、咄嗟に口から炎を出そうとしたが、それを察知したリーシュアリアによって口を塞がれる。
「おっと、危ない危ない。手荒な真似をしてすまないが、今日は話をしに来たんだ」
ならば何故、先日の時に、そういう目をする狼にアベルは言う。
「アンタは強い、そしてあの時は気が立っていた。だから仲間に万が一が起こりえると思ってな、日を改めた訳だ。今日は俺たち二人だけ。どうだい? ちょいと夜の立ち話としゃれこまないか?」
その狼は、彼我の戦力差を見誤らなかった。
目の前の人間は、自分を殺しうる存在であり、それ以上に後ろの存在は、――――とても危険だ。
この様な者達が、『ケイン』と共に居たのだから、あの時、殺気を向けた判断は間違っていなかった様に思えたが。
見極めるのは話をしてからでも遅くない、と提案を受け入れる様に瞼を閉じて、ぐるる、と喉を鳴らす。
「それは、肯定だと取っても?」
「ぐるるぅ…………」
「おし、リーシュアリア、拘束を解いてこっちに来い」
太い縄が一瞬にして消え、疲れた様にため息を出した狼は、次の瞬間、ぽんと煙を出し。
「何の用だニンゲン。そしてケインとの関係は? その女は――――」
巨大な狼は、赤毛の美女の姿になった。
荒々しさを感じさせる長くうねった髪と、夜という関係で、彼女は戦女神の様な神々しさを感じさせた。
「俺はアベル、ただの訓練教官だ」
「私はリーシュアリア、旦那様の奴隷よ」
「…………フラウ、彼奴は妾にそう名付けた」
フラウは、二人の自己紹介に釈然としないものを感じたが、話が進まなくなると直感して流した。
彼女は人間社会とは別に生きてきたが、それでも、ある程度の常識は持ち合わせている。
どこの訓練教官が、自分を打倒する力を持ち。
どこの奴隷が、自分が身動き一つ取れない程の力を持ち、背筋に震えが走る様な禍々しい『匂い』を持ち合わせるのだろうか。
これは、一つ間違えれば死が待っている。
そう答えを出した本能に従い、フラウはアベル達の質問に素直に答える事を、堅く心の誓った。
「じゃあ、先ずはケインとの関係からだ。アイツの夢に出てくるのはお前か? 以前から関係があったのか?」
「あの者との関係は、彼が子供の頃に遡る。当時、群からはぐれた妾を拾って世話してくれてのぅ。以来、成長して仲間にしてくれるのを待っているのよ」
ケインとしては、赤毛の子犬を拾っただけの認識で、遠い記憶の彼方の出来事だが。
フラウとしては運命の日と言っても、過言では無い。
それを聞いたリーシュアリアは、ウンウンと深く同調していたが、アベルは心情を聞いてみたい衝動に駆られつつも次の質問へ。
「アイツは魔物を仲間に出来ないで悩んでいたが、お前と関係はあるか?」
「あやつの伴侶は妾じゃ、他の者にそう易々と譲るわけが無かろう? 無論、ここらの魔物は妾が言い含めておいた」
「…………なら、何でとっととケインの前に現れなかったんだ?」
何とも言えない表情でアベルが聞くと、フラウは頬を赤く染めてそっぽを向いて言う。
「それは…………その、あやつ、覚えてなさそうだったし? 思い出して迎えに来て欲しかったというか…………」
もじもじと恥ずかしがるフラウに、リーシュアリアは神妙に頷く。
「――――解る、解るわその気持ち」
「何故、俺を睨むんだ…………?」
「自分の胸に手を当て、じっくりと考えて頂戴、旦那様」
にこやかな笑顔で、きっぱり切り捨てる彼女に、心当たりしかなアベルは、うぐっと呻いて話題を変える。
「次だ次。お前に夢に介入する手段はあるか? 金髪の女の事は何か知っているか?」
「――――ごほん。何だそれは? どちらも妾が教えて欲しいくらいだ」
恋敵出現かと戦慄くフラウに、アベルは一件とは無関係だろうと確信する。
だが、もう一つ聞いておかなければならない。
「最後の質問だ。――――アイツが複数の少女に迫られて困っているのは?」
途端、彼女は血相を変えて牙を剥き出しにする。
「詳しく聞かせい。妾が直々に、その不届き者めらを処罰してくれようぞ――――!」
「おわっ!? 急に暴れるんじゃねぇっ!」
「はいはい、気持ちは解るけど落ち着きなさいな」
その後、何とか彼女を宥めたアベル達は、明日の午後に南門まで来るように約束させた。
彼女をケインの仲間に加えて、女神のお告げとやらの少女ハーレムの解決を、という判断である。
仮に、少女ハーレムの方が解決しなくても、フラウの戦力があれば、どこかの魔王が街に襲撃をかけない限り、大抵のことは何とかなるだろうし。
何より。
(イレインとガルシア、そしてコイツ等が居れば、俺ももっと楽になるに違いない)
共に狩りに出ても良し、例えこの様な案件もフラウとケインをリーダーに、イレインとガルシアを組み込めば、アベルも安心してギルドでサボれるというモノだ。
そんな楽観過ぎる算段が、後々ぶち壊される事も知らず、アベルは満足気に帰途へ着いた。
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